Wednesday, 31 December 2014

年明け最初の(小さな)やっちまった

先ほど、日本では年を越して2015年となったところ。

ダンナに「日本は年が明けたぞー!」と言いにいき(部屋で仕事中)、自分の居場所(キッチン)に戻ってきてパタパタと動き回り、日本で買ってきた小さな日めくりカレンダー、よくある古めかしい、ことわざ付きのカレンダーをひと足早くめくってしまおう!と思い切ってめくったら、、、。
ほら、初めのころって早くめくってしまいたくてフライングしたくなるじゃないですか、、、。

1月の表紙だけを切り取るつもりが、、、。紙が薄くて、、、。
一緒に1月1日を切り取ってしもーた!

あぁ、新年最初の(イタリアでは年末最後の)「やってもーた!」をやらかしてしまった。 

仕方ないので1月1日の1枚は、セロテープで上から貼り付けるという、、、。あははは。
乾いた笑いしか出てこない。 

そんな1月1日に書いてあることわざは「一期一会」。(これもことわざなのか?)
「急いては事を仕損じる」だったら、大爆笑だったのにな。 

2015年もいろんなステキな出会いがたくさんありますように!

Wednesday, 1 October 2014

泣いた後はまともに、、、

身内と運転練習すると喧嘩するってよく言うけど、うちも喧嘩しました。そんでもって、泣きました、思いっきり。ついでに日ごろの鬱憤も合わせて。

その数日後、義母から「ミラノに行かない?」と誘われて、義母とその友達と一緒にミラノに行く機会があり、行きの車の中で「この前ね、、、」と、義母の息子である私の相方に怒ってトイレに篭って思いっきり泣いた話をしました。

義母もその友人も涙が出るほど大爆笑。
「面白いわー。よくやった!」と。

義母からは「教習所で練習しなさいよ」と、そして友人からは「私も娘を泣かせて、私よりずっと静かな私の弟と練習させたり、教習所に行かせたわ」と言われ、やっぱり教習所に行った方が簡単かなと思い始めました。

「教習所に行くことに決めた」と相方に言うと、返ってきた言葉は、、、。

「なんで?」

は? おまえは反省の色なしかーーーー!

私が泣いたことなんか、自分のせいだと思っていない様子。都合いいなー、本当に。

相方に「なんで?」と言われたことを、義母に告げると、義母も開いた口がふさがらない。義母は大概私の味方をしてくれるので「まったく、うちの息子は、、、」と頭を抱えるばかり。

そんなわけで、昨日、ようやく初教習に行ってきました。
ほんの30分ほどだったけど、やっぱり教習所の先生は違うわー。車も運転しやすいし。いきなり出発でドキドキしたけど、車が運転しやすくてよかった。教習所の車はエンストしないようにできてるとか噂だけど、そのおかげだったのかな、、、。

とにかく、30分の練習を終えた後、教習所の先生はうちの相方に「奥さん、大丈夫ですよ。最初の5分くらいはぎこちなかったけど、僕は何もしないで済んだし(教官側のブレーキとか踏まなくて済んだってこと)。最初に数回一緒に乗ったら、後はひとりで大丈夫でしょう」と。

ほー、ほっほっほっほっーーーー! 高笑い〜!
相方も私の運転は認めてくれているけど、落ち着いた人と練習すれば、イライラせずに運転できるのよー。

というわけで、私の路上デビューは近い(教習所の車はもちろん路上教習ですが)。
されど、相方には、私が泣いたことの罪の意識はないまんまなんだろうなぁ。

Tuesday, 30 September 2014

たまには、泣いてみたり。思いっきり。

イタリアの車の免許を取得したのは去年の春。それ以来、何だかんだと練習する時間がなく(私の時間より、練習につきあってくれる相方の時間)、数回、スーパーの駐車場や日曜日の工場地帯などで練習をしたきり、放っておくこと1年以上。その間、前の車が廃車になり、車なし期間が数カ月あったりして、私が運転するなんて考えは、このままフェイドアウトしてしまうのではないかと思っていたけど、、、。

何となくやり過ごしていたものの、やっぱり必要。
何よりも、義母と義弟の奥さんが、ガンガンと押してくる。「もっと自由に行動できるツールとして車よ!」と。

夏の間、いつも以上に仕事が詰まっていた相方が落ち着くのを待って、今月頭に練習再開。また、日曜の工場地帯と、スーパーの駐車場で。

ある日、相方の実家の周り(ほぼ畑)で練習していて、私はキレた!
何に?って相方に!

畑のど真ん中の野道で、ぶっきらぼうに「左!」と指示する相方。
「は? 左がどうした?」
ウィンカーを出せと言うのか? この野道一本道で? 周りに車も歩行者もいないぞ。
わけもわからないので直進すると、「左にちょっとスペースがあっただろ。そこでUターンするんだよっ!」と。

はぁ? 誰が「左!」だけで、そこまで理解できる?

こんなやりとりは、上に書いたことだけではないので、積もり積もって沸々と怒りがわきあがり、「あんたの言ってること、わかんないのよー!」と爆発。
ちょっと先まで進み、民家に入る道のところでUターンして戻り、実家に車を停め、落ち着くために家に入ってソファーに座ったけど、煮えたぎる腹がおさまらんっ!

一生懸命、自分を落ち着かせて、「ただでさえ慣れてきた日本と反対車線を走んなきゃいけなくて、慣れないギアチェンジもがんばってて、私にとっちゃ第三言語のイタリア語で暗号みたいな指示を出されて、誰が運転できるっちゅーねんっ!」と怒りをぶつけた。
相方は、「頭が痛いから」を理由に機嫌が悪く、「おまえがすぐに怒ってたら練習にならないだろう」と。怒らせてるのは誰じゃいっ!

自分を落ち着かせたくとも落ち着かず、そんならば、、、
決めたっ! 泣いてやるっ!

ということで、何も言わずに2階のトイレに鍵をかけて閉じこもり、泣いた!
もー、大声で。わんわんと。

実家の周りは家があるけど、自分の家じゃないからいいやとばかりに、子供のように。
(義母も出かけてていなかったしね。)

運転練習でムカついた相方の態度が切掛けで涙が出てきたけど、出そうと思ったら、出てくる、出てくる。
「このやろー、こんな土地、出てってやるー!」
「イタリア語なんてわかんねーぞ、チクショー!」
ついでに悪態つきまくり。日本語で、もちろん。(こんな私は40代前半♪)

5分以上はひとりで泣いたかと。
ようやく、相方が「とぅちゃーん」と呼びに来た(相方は時に私のことを”とぅちゃん”とか”ととちゃん”と呼ぶ)。それでも、アピールしてやるとばかりに、わざと子供のように泣き続ける私。
ドアをとんとんとノックして、「とぅちゃーん、開けてよー、出ておいでよー」と静かに繰り返す相方。

だんだんと、ドアの向こうの相方の様子を窺っていると、面白くなってきて、でも、笑っちゃいけないとガマンして、もうちょっとだけ「罪悪感を抱けよ」とばかりに泣いてみた。

ようやく私の気持ちもすっきりしてきたので、そーっとドアを開けて相方の手だけ入れさせ、自分の気持ちの整理のために和解の握手をしてドアを開けた。

はー、なんか、すっきり。大声で泣いたのなんて、いつぶり?

相方は、運転練習中の自分のぶっきらぼうな対応に罪悪感を抱いたのか、どうなのか? その辺は謎ですが、私的にはすっきり。

長くなるので、続きは次回に。
涙って、心のデトックスよねー、本当に。

Saturday, 20 September 2014

あんな人もいれば、こんな人もいる。昨日の続き

昨日は相方が電話帳扱いされた件を書きましたが、続きが出てきました。

市で開催するとあるイベントで美術を担当している相方ですが、昨日はそのイベントのプレス会議に参加してきました。
本来ならば行く必要もなく(記者の前で話すわけでもないので、ただの関係者としての見物に呼ばれているだけ)、前日の夜まで「行きたくない。行かなくてもいいんだから、行かないかも」とブツブツ言っていた相方ですが、市外からイベントマネジメントしてくれる方にはお世話になっているので、その方と共に行ってきました。

家に帰ってきてから、「今朝の(電話で起こされた)話を市長にしたんだ」と。

で、市長は何と?

「ごめんなさい、私が悪いのよ!」

えー! 最初に謝った!
あたしゃ、びっくり!

市長は「私が悪いのよ。前日になってあの本屋の人を招待していないことに気づいて、連絡するようにアシスタントに頼んだの」と。

いや、前日の夕方になって気づいたのは遅かったかもしれないけど、市長がプレス会議に呼ぶ人の管理までしなきゃいけないんですか?
アシスタントに頼んだとは言え、アシスタントがとった行動が妙だったわけで、、、。
私から見て、市長が謝る必要はないのではないかい?

日本は「すみません」が多用される文化ですが、ここはイタリア。
相手に非があって「謝ってよ!」と求めても、言い訳ばかり続いて謝罪の言葉を得られないやりとりはよくあること。

非のない市長の第一声が謝罪の言葉だったとは!

本当にその人の性格ですね。どうやったらうまく相手の怒りを誘わずに物事の見方を変えられるか。
何となく、またまたこの市長の株があがりました(私の中で)。

この後、多分、市長がアシスタントに「電話帳を使いなさい」とか注意まではしないだろうと思うので、アシスタントの気の利かなさは変わらないと思いますが、、、。



Friday, 19 September 2014

些細な愚痴ですが、、、機転の利かない人

朝っぱらから、自分とは関係のない他人のことに怒りなのか、呆れなのか、妙にムカムカっとしてます。
些細なことですが、、、。ホントに。でも書かずにいられない!

9時前に相方の携帯が鳴り、相方が出ると相手は市長の秘書の方。
「何事?」と思うでしょ。
まったく検討もつきません。
その秘書の方は友達でもないです。相方が手伝っている市のイベントで顔を合わせるくらいの人。

「チェントロ・コマルチャーレ(複合ショッピングセンター)に入ってる本屋の電話番号わかりますか?」

は?

ただでさえ寝起きが強烈に悪い相方は、そんな電話で起こされて咄嗟にとった行動。
自分のコンピュータを点けて調べた!
これまたお人好しな!
その場で「チェントロ・コマルチャーレに電話して聞いたらどうですか?」と言えない人の好さか、朝一の電話で頭が混とんとしていたか。

相方も手伝うイベントに市の本屋が数軒関わるので、連絡を取りたかったらしいけど、相方は本当に本当に裏方手伝い。市の他の団体が表立って手伝っているイベント。
なぜ相方がそんな電話で起こされなければならない? なぜ、市から代表的に関わっている団体の担当者に電話しない?
「今日のプレス会議に本屋の人を招待したい」という緊急な用事だったらしいけど、プレス会議に相方は関係ないし、なぜ当日に会議参加者に連絡する?
私にゃ全く関係のないことだけれど、「アホじゃないの!?」と半分怒り、半分呆れで、ぶつぶつと相方に愚痴ってしまった。
(電話してきた方は、相方が起きてると思っているのでしょうが、夜型の相方は9時に起きるか起きないかってとこです。こんな相方の習慣は相手の方には関係ありませんが、、、。)

イタリアにももちろんイエローページが存在してます。Pagina Giallaって、イタリア語でもそのままイエローページと訳せるものが。
市役所ですよ。周りに職員がいて、相談もできたでしょうに。インターネットだってあるでしょうに。

あぁ、頭を抱えちゃう。こんな機転の利かない人。

結局、出てきた番号を伝え、「ネットではこの番号が出てきますけど、この番号、(チェントロ・コマルチャーレに入っている)スーパーの番号かもしれませんよ。このスーパー付属の本屋だし」と言うと、、、

「スーパーにかかったら、そこで番号を聞くからいいわ」と。

えーーーーーー! 先にスーパーに電話しようとも思わなかったの? この市で一番大型で、しかも古くからあるスーパーなのに!
『動くイエローページ』的な扱いをされた相方、お人よしすぎるー!

こんなアシスタントと仕事をする市長さんに同情しちゃいます。
今の市長さん、(市政は知りませんが)人としてとても印象の良い人。市民からの提案や苦情などに手書きのレターで応えたり、会った市民の顔と名前をすぐに覚えて自ら声をかけてくれたりする人。

「イタリアだから」とイタリア人がくくって物事を片づけようとするところを見ると腹がたつから、自分でも「ここはイタリアだから」とくくりたくない。でも、こういうことがそこらじゅうで起こるこの土地。

またしばらく、「イタリア・イヤイヤフィルター」を通して世間を見てしまいそうな私です。

Saturday, 13 September 2014

今年もいただいた! 地元のお菓子、ベルトリーナ!

夏なんてどこに?っていう冷夏のイタリアでしたが、すでに空気は秋。太陽が出ていても、日差しが柔らかくなってきました。

この季節は、、、。

地元のお菓子、ベルトリーナの季節!
赤葡萄、特にほどよい酸味で甘味の強い、Uva Fragola(直訳するとイチゴ葡萄)をタネごとふんだんに使うシンプルなケーキ。
夏くらいになると、地元のケーキ屋さんにいつも並んでます。

この葡萄を買ってきて私が自分で作るのかっちゅーとそうではなく、、、。
いただくのですよ、毎年。しかもホールごと。さらに、葡萄は私が今作業している左前の窓のすぐ下にある葡萄の木から採れるもの。そして、焼いてくれるのは大家さんの奥様という、、、。ぜいたくもんです、本当に。

隣においた文庫本サイズの手帳と比べると、かなりの大きさでしょ。
この見た目のぶつぶつは、ぶつぶつ恐怖症の私の鳥肌を誘うものがあるけれど、食べたときのおいしさはたまらんのだよ。


生地はあっさり。バターではなくヨーグルトを使うのが基本(らしい。作ったことないし)。

まるごとの葡萄がジャム入りケーキと全然違うおいしさを出してくれる。

あ、マグの向こうにリモコンが写ってしもうた

住んでいるアパートの庭には、この葡萄、そして白葡萄、いちじく、小型のプルーニェ(プルーン)、アプリコット、柿など、いろんな果物が実をつける。(時に、大家さんの息子が大ざっぱに剪定しすぎて翌年を待たなければいけないこともあるけれど。)
住んでいる5家族のうち、糖尿病の方がいるらしく、「どんどん食べて!」と言われるので、今年も夏はたくさんいちじくを収穫させてもらって、友達にも配り歩き、おいしくいただいた。

今年は近所に住む日本人の方から、ニラやゴーヤ、トマト、ズッキーニなどを毎週のように大量にいただき、冷夏と言えど、本当に大地の恵みをいただいて過ごしました!

最近は、義母宅のざくろが綺麗な赤色になってきたので、3つばかりいただきました。まだ少し固いので置いてるけれど、来週辺りはテレビを観ながら、プチッ、プチッとやろっかなー。


Tuesday, 12 August 2014

(イタリア在住)経験上最速の配達!(フランスから届いた通販)

先日、Google翻訳を駆使してフランス語のサイトでアロマオイルを購入した話を書きましたが、、、。

配達予定は8月14日頃までにと書いてある。
「までに」と言っても、期待をしないのが常。日本から届く荷物が1週間と書かれていても、2カ月かかってもおかしくない状況ですから。(郵便局の場合)

それがっ!
8月12日、今日届いた!

注文したサイト、Aroma-Zoneが使うのはFedEx。イタリアに入って、うちの近所ではローカルのクーリエが配達を担当する。

ランチの後、玄関のブザーが鳴り、応答するも何を言っているのかわからない。
聞き直しても答えなし。

ピンポンダッシュか、、、? この昼間から?(夜はごくたまにある)

一瞬考えて、もしかして、、、?と思って出てみた。
アパート共通の扉はすりガラスがついているから、いたずらだとわかれば開けなければいいのだから。

誰もいない。
やっぱり、いたずら?

でも、目の前の路上の駐車スペースにバックして駐車しようとしている小さなトラックが。
クーリエだ!
ピンポンを押すだけ押して、こちらが在宅とわかったから車を停め直してたんだ。

というわけで、、、。
8月7日に注文したものが、土日を挟んで本日12日着。実質3日くらい!
私設のクーリエを通ってきたとは言え、6.90ユーロの送料でこのスピード。すばらしい!
(日本では味わえない感動でしょう、、、。)

最近は電車に乗っても、遅延、車両故障、振り替え(計画的な運休だったので用意されていたけど、あるだけマシ)で、ことごとく物事が途切れていたけどびっくり。

さて、届いた精油。私用の使い道は、
・免疫活性:レモンをみぞおちの辺りに1滴(直でいいらしいです、ちょっと怖いけど)
・蚊に刺され後:ラベンダー・スピカとペパーミント(家にあるアロエジェル、ティートゥリーも足してブレンドします)

ちょいと楽しみです。

Monday, 11 August 2014

イタリア人にゴーヤを食べてもらった。さて反応は?

近所に住んでいる日本の方から「今年もゴーヤができたわよ、いかが?」と言われ、「いただきます!」と即答する私。
イタリアの野菜売り場ではゴーヤなんて見たことありません、もちろん。

初めて連絡をいただいたのは去年の夏頃。
このときも即答で「いただきます!」
でも、待てよ、、、。相方は確かゴーヤを日本で食べて嫌いだったはず。
横にいた相方に「ゴーヤ、嫌いだったよね?」と確かめ、ろくに返事も待たず、「うちの相方はゴーヤが嫌いなので、あまり大量にいただくと困ってしまうけど、、、」とその方と会話を続けていると、、、

「ちょっと、待って! 何で僕が"Goya"嫌いなの? 何の話? 僕、嫌いじゃないよ!」と横から相方が割り込む。
「嫌いって言ってたじゃん」と私は勝手にゴーヤを少しだけいただく話をまとめて電話を切ると、不満そうな相方。

相方「何で? 何で僕がGoya嫌いって決めつけるの? 僕、Goya好きだよ!」
私「嫌いって言ったじゃん!」
相方「この前、バルセロナで一緒に観たでしょ?」
私「は? バルセロナのどこにゴーヤなんてあったのよ?」
相方「ほら、あの美術館の展示の一部にあって、君も見入ってたでしょ!」
私「???」

勘のいい方はおわかりかと、、、。
相方が言いたいのは、絵描きのフランシスコ・デ・ゴヤ、、、。

あー!とようやく納得がいった私。
「違うよ、野菜のゴーヤだよ。ほらイボイボのキュウリみたいな、すごく苦い野菜!」

あー!とようやくわかった相方。
もちろん、二人で大爆笑。

そんなゴーヤを今年もいただいて、おいしく私だけが消費しているのですが、、、。
相方マンマが興味を持ったので、今晩の夕飯に呼ばれたときに持っていこうと思って、ささっと簡単に調理しました。

刻んで塩もみして流し、炒めて、卵を足して、ごくごくシンプルなゴーヤと卵だけのチャンプル。味付けは敢えて塩もみの塩のみ。

といっても、苦味をできるだけとろうと必死になって塩でもみすぎて、できあがりは私にとっては塩辛いものに。

まぁ、いいか。










さて、本日の夕飯は、私、相方、相方マンマ、相方弟と奥さん。
このごつごつした初めてみる野菜を口にしたのは、相方マンマと弟の奥さんのみ。

相方マンマ「うわっ、苦い!」と。
相方はわかっているので、一切れだけ口にしたけど、渋い顔。

相方弟は見向きもせず。
弟の奥さんが「私も味見したい」と食べてみると、「あら、おいしいじゃない。確かに苦いけど、好きかも」と。

そうですよね、そんなもんですよね。日本でゴーヤを出されても、同じくらいの反応になるかと。
5人いて、そのうちふたりが渋い顔をしつつつまみ、ふたりが「おいしい」と言って食べるくらい。

というわけで、バカウケでもなく、ドン引きでもなく、普通の結果となりました。


さて、私。イタリアで初めてみて、初めて食べた野菜って何だっただろうか。
丸いズッキーニかな。(写真がないので、Zucchino Rotondoでお調べくださいませ。)
見た目勝負なとこがあって、丸い形をお皿にして使うケースが多い様子。なので、味はというと、、、特筆することもないかな、でした。

Thursday, 7 August 2014

使い方によっては意外と使えるGoogle翻訳

ネット上で出くわすいろんな言語。見た瞬間にわからない言語は、あー、残念とばかりにすぐに「x」で閉じてしまうけれど、イタリアに来て、自分にとって3つ目の言語(日本語、英語、イタリア語)がある程度わかるようになったので、この3つの言語を駆使してネット上で調べモノをするようになりました。

そこでGoogle翻訳登場。これが意外と便利なのねー。
(手間はかかるよ、もちろん。)

文法がまったく異なる日本語を使わずにGoogle翻訳すればいいんだ!って気づいてから時々使っているけど、今日ほど「ありがたや〜」と思ったことはなしよ。

今日なんとかしたかったのは、友人に聞いたフランスのアロマオイルのネットショップの買い物。
サイトを見てみると、ぜーんぶフランス語。

お手上げ〜!なところだけど、ここのショップはささっとみただけでも(イタリア語のおかげでフランス語の単語も何となく想像つくようになった!)、品揃え充実、説明も充分過ぎるほどで、しかも安い!
イタリアまで送っても、送料6.90ユーロ。わが家からミラノ往復するよりずっと安いよ、これ。

近所にエルボリステリア(ハーブ薬局)は何軒かあるけれど、「品揃え、薄っ!」と心の中で悪態をついてしまうほど(日本語で言えばいいのか〜、感じ悪いけど)。
エルボリステリアにも特徴があって、得意分野が違うようなので、必要なものをそれに見合ったお店で買うようにしているけれど、なぜか近所にはアロマオイルが品薄。

だから今回は、イタリア語と日本語のアロマオイルの本を読みつつ、フランス語でショップ内検索し、不明なところは植物の学名になっているラテン語(Google翻訳、意外とやるじゃん!)も登場して、調べる、クリック、探す、クリック、買う、クリック、ほいほい、ほいほい、、、。

でけたっ!

最後の注文と支払いの手続きは、フランス語をコピーしてGoogle翻訳で英語に。
日本語を使わなければ、Google翻訳は自分で理解できるところまで結構いけますよ、本当に。

そんなわけで、このどこもかしこも休業する8月に果たして何日で荷物は届くのか?なんて考えないでポチッと買い物してしまった(予定は8月14日配達。FedExだから大丈夫かな〜。)

アロマオイルやその辺のグッズなどをお探しの方、このサイトはお奨めですよー!

Aroma-Zone』(残念ながら日本へは現在発送していないようです。)






Thursday, 31 July 2014

日焼けとイタリア人

イタリアで夏にぐるりと見回すと、人より濃い小麦色の肌に優越感を感じる人が多いってことに気づく。(夏に限らず、そしてイタリア人に限らず。)
背中のシミや、やけどに近いような日焼けもお構いなし。日焼けしたい人は、綺麗に焼くことはもちろん頭の隅に置きつつも、人より黒くなることが最優先になっているように見える。
(小さな街でも日焼けサロンなるものが必ずあったりするので、こんな人は冬場も日焼け肌で通す。)

うちの大家さん一家、リグーリア州に別宅を持っている。もちろん海の近くで、頻繁に家族が代りばんこに遊びに行っている。大家さんは若い頃は水球の選手で、泳ぎが得意な方。今はもうお歳だし、事故か病気か、少々体が不自由なので、バリバリとしたスポーツマンタイプには見えないけれど、地元チームの練習につきあっている様子。
娘夫婦はダイビングをするし、息子は地元の水球チームで練習している。こんな方々だから、別宅の場所にリグーリアの海そばを選んだのは納得。

その大家さんの奥さん、70歳前後の方で、色白。毎年この時期(7月後半)になると、苦行のようなことを始める。
屋上テラスで太陽に慣れるための”日焼け練”をするのだ。
日焼けすると赤くなるだけで、数日後にはすぐに痛がゆくなり、辛い思いをするだけ。
だからそれを和らげるために、前もって準備するのだとか。

今日も洗濯物を取り込みに屋上に行くと、水色のビキニ姿の大家さんの奥さんが。
「あぁ、驚かせたいわけじゃないのよー。驚かせちゃったらごめんね」と。
「今から少しずつ準備しないとね」と、日焼け止めローションを塗りたくる。

今年は雨ばかりとか、この湿気にはやられるとか(日本に比べりゃ屁の河童、ところで「屁の河童」って何?)、日焼け準備する理由とか、ひとしきり話したあと、、、。最後に。

「好きでやってるわけじゃないのよ、この日焼けの練習、、、嫌なの、本当は」と。

そ、、、そうなんだ。
だったら、日焼けしに行かなきゃいーじゃーーーん!
海のそばだからって、日焼けは義務じゃないのよー!

海に行くことは好きだとしても、パラソルでがっちり守るとか、対処はあるだろうに、、、。なぜか毎年、自ら苦行をする奥さん、、、。

せっかく毎年続けているので、面と向かって言えなかったけどね。


Thursday, 24 July 2014

質が悪いの? 私が悪いの?

あるモノを壊し続ける私。あるいは、壊れ続けるモノ。
5ユーロもしないものだけど、何度買い替えたことか。
今月なんて2個も壊してる。

麦茶の季節ですよね? うちは母の愛で今年は麦茶が手に入りました。だから毎日麦茶や水だし緑茶などおいしくいただいていたわけなんですが、、、。

そう、壊すのは、あのポット。夏になると冷蔵庫の扉側に陣取るあのガラスのジャーですよ。壊すというより、割れる、だね。

初回は不可抗力。水出しのお茶が手元にないときに、茶葉でお湯から出そうとして、沸かしたてのお湯を注いだら、爆発!
そんなに温度差あったか? 熱湯もOKの耐熱ガラスのはずなのに。

その後、洗っているうちに何度か割れ、ネコに遊ばれテーブルから落ちて割れ、、、。

これって、私が悪い? ガラスの質が悪い?

ガラスものでも陶磁器でも、壊れないものって本当に壊れないじゃない?
うちの姉が使っていたお茶碗なんて、30年以上は同じものだったと思う。小さいときからたまたま大人サイズのお茶碗だったし、割れなかったからそのまま使い続け、何度落とそうが割れず、最後には母がつるっと手をすべらせて欠けてしまったけど。

このガラスポット、どこのスーパーでも売っているメーカーです。ガラスタッパーもあって、水色のふたで、、、といえば、在イタリアの方ならばピンとくる、あれです。
決めました。あれは買わない、もう。

相方に「プラスチックを買えば?」と言われたけど、プラスチックではいきなり熱湯を入れたくないし、茶渋が付くのも汚らしい。だからガラスにこだわりたいのだけど、高いものは買いたくない(割るしさ)。

ところで、I○EAのワイングラスとコップも何度割ったか数知れず。
酔っぱらって皿洗いをして、立て続けに3個割ったことは今でも笑い草(これは私が悪い、かな)。

こうして同じものばっかり割れるんだから、私が悪いんじゃなくて、質が悪いんだよね。
(3個立て続けに割ったワイングラスは別として)質が悪いことにしとこ。うん。


Saturday, 19 July 2014

とっくに始まってました。ボローニャ国際絵本原画展@板橋美術館


いやいや、もうそんな季節でした、、、。って7月5日から日本巡回が始まってますね。

イタリア・ボローニャ 国際絵本原画展

見に行くとね、素敵な絵に会えるんですよー。ホント、行って見てくださいって。



Tuesday, 8 July 2014

あたしにゃ真似できない、、、不届きな乗客

6月末で担当しているヨガクラスが終了して夏休みに。
習い事が数カ月も休みになるイタリア。まだまだ納得いかない私ですけど、、、。

そんなわけで、バスに乗る回数もぐぐっと減りました。

イタリアでバス(私の場合は、街中の周回バスではなく、都市間の中距離バス)に乗るようになって見かけるびっくりな客。総集編でいってみましょー。

・携帯おしゃべり率が高すぎ(序の口)
バスに始まったことではないけれど、非常に携帯おしゃべり率が高いイタリア。そんなにしゃべり足りないのか?と思うほど。
私が乗るバスは30〜40分かかるけれど、その間ずーっとしゃべり続ける客はざら。一回切れても、またかけるか、すぐにかかってくるか。正直、うるさい。
客はまだしも、運転手もやるので、これはちょっとやめてほしい、、、。

・押し通す高校生
私が乗るバス停は、出発点から数個目のところ。ある日、高校生くらいの女の子が2人、私が乗るバス停で降りてきた。
むむ? 乗ったばかりで降りるの?
おかしいなと思ったら、運転手もおかしいと思ったらしく「定期、持ってるの?」と聞くと、「ありませんけど」と、しらっと言い切る。
「それならチケットは?」と運転手。「乗ったときに打刻したけど」と女子2人。
でも、この打刻したチケットとは、このバスがA地点からB地点まで行く間に打刻されたもの。このバスはB地点が終点で乗客を全員降ろし、再度B地点からA地点に戻るバス。基本的にはチケットを買い直して乗るもの。
この2人は終点であるB地点でバスの座席に隠れて過ごし、B地点から新たに出発したバスに平然と居座り、数個目で降りようとした様子。
「え、だってチケット打刻したし、別のチケット買ってないもん。私の降りたいバス停はここだから」と無理矢理降りて逃げた女子2人。
え、、、何様?

・テキトーなおっさん
バスに乗り、チケットに打刻しようとしたけれど、打刻する機械がうまく動かないので何度も打刻しようとするおっさん。
運転手がおっさんのチケットをチェックして(しかもヨレヨレのチケット)、「このチケットは別会社のチケットですよ。このバス会社のバスは駅の反対側!」と言うと、「チッ」と舌打ちして、「まぁ、いいじゃないか」と言って乗り込んだ。
え、いいのか? 打刻できてたらラッキーって思ってたの?
チケットをチェックする係員は乗ってこなかったので、このおっさん、自分の降りたいところまで普通に乗っていきました、、、。

・素直なんだか、何なんだか、、、。
ご機嫌に乗ってきた高校生くらいの男の子。運転手に「チケットは?」と聞かれると、「え? いるの?」と。
いるでしょ、普通は、、、。
「じゃ、売って下さい。」
じゃ、って、、、何それ、、、。
でも、この男の子、50ユーロ札しか持ってなかった。
私が乗るバスは、運転手がチケットを持っている場合は売ってくれる。外のチケット売り場やエディコラ(キオスク)で売っている値段よりも少し高くなるけれど。でも、お釣りは大概もっていないので、50ユーロ札では売ってくれない。
「小銭はないの?」と運転手。男の子は「僕ね、さっき350ユーロの携帯電話を買っちゃって、今はこれしかない」と言う。運転手は「350ユーロもする携帯電話を買っておきながら、バス代(1〜3ユーロくらい)は出せないのか!」と言い、「チケットをバス停の前で売ってるところで停めて待っててやるから買ってくるか? さもなければ降りろ」と。
「えー! だってお金ないんだよ、僕!」と。
いや、あるやんか、、、50ユーロも。
降りるのか、乗るのかと問答が2分ほど(長っ!)続き、結局乗り込んできた男の子。
最終的には素直に運転手の指示で、途中のバス停で降りてチケットを買ってきた、、、。


最近見た客はこんな感じ。真似したいとも思わないし、真似しようと思っても度胸がないからできないよ、あたしにゃ、、、。

おまけで、先日電車で見かけた、優しいんだか何なんだかわからない場面をひとつ。
うちの近所の駅は、上りと下りが待ち合わせて出発するのが基本。(別に単線路線じゃないけど。)
先に来た上りの電車に乗っていると、下りの電車を待っている間に切符確認をしにきた車掌さん。
私の近くにいた、えんぴつのように細くて、ひょろっとした、これまた高校生くらいの男の子のチケットを確認。打刻していない。「これは打刻しないとダメなんだよ」と教えてあげるものの、男の子は「あ、、、」とわかったのかわからないのか車掌を見上げ、すぐに寂しそうに空を見つめている。男の子はひとり。連れはなし。
この車掌さん、面倒だったのか、そのままチケットを引き取り電車を降り、線路を渡って駅舎に向かい、その切符に打刻してあげて戻ってきた。
そして、「こうやって打刻するんだよ」と。

この男の子、チケットを持っていかれても、どこに持って行かれたのか確認もせず、わざわざ自分のために車掌が電車を降りて、線路を渡り、打刻してきてくれたことなんで何にも気づいていないし、打刻したチケットを渡されても無言でお礼も何もなし。

イタリアではひとりで電車に乗っていい年齢とかそういった規定があるはずなので、この子は少なくとも高校生以上なはず。
打刻が必要なことを知らなかったとしても、この無反応さはないでしょう。車掌も何かおかしいと思って打刻してきてあげたのかもしれないけど(別のもう少し年上に見える女の子には自分で打刻しに行かせていた)、何がどう必要なのか教えてあげるならば、きちんと教えてあげなきゃ、この男の子は何も覚えないでしょう。

驚きとともに、これからのイタリアを担っていくはずの若者がこれじゃね、、、と冷たい目線になってしまうよ、本当に。これまでも、これからも、まったく変わらないのかしら。自分がやりたいことだけ押し通して、やりたくないことには無反応なのかな。ちょっとイタリアの縮図を垣間見た気分。


Wednesday, 2 July 2014

母の愛はプライスレス

わが家の洗濯物を干すスペースは屋上にある。アパートに住んでいる5家族共用スペースだけど、わが家だけベランダがないので、小物以外はここに干しに行っている。

一昨日、干しに行っている隙に郵便が届いて不在票がポストに入ってた。
大概、夜に作業する相方は夢の中。玄関のブザーが押されようと、99%気付かない。
(ちなみに、起きてて相方の仕事部屋にいるときでも聞こえにくいようで、ほぼ気付かない。毎度毎度、ちっと舌打ちする瞬間なのだ。)

不在票を見ると、海外からのお届ものの様子。今のところ待っているのは、母に頼んだ日本から届く荷物と、アメリカの通販で注文したサプリ。

どっちだろうか。郵便局に受取りに行かないとわからない。

昨日、早速郵便局に受取りに行くと、出てきたのは母からの荷物。わーい!

「15.90ユーロです」

「…」

ガーン! お財布の中には15ユーロあるかないかくらいだったかと、、、。なかったら受取れない!

お財布を見る。ギリギリ、16ユーロちょっとあった! セーフ!

でも実際、不本意。
よくわからんのだ。関税がかかるときとかからないときがあるのはなぜ?
今回は母はバカ正直に内容物の値段を記載した。合計6500円ほど。何にかかったんだろうか。
本1冊、お茶4パック、おもちゃ2つ(もちろん電池なし)、アンパンマンムヒパッチ(これがメイン)、葛根湯(ご丁寧に地元の郵便局の指示で、Chinese medicineと書いた母、届いて良かった、、、)、以上。
面倒なので今税率を調べてないけれど、全体で約35%の関税を取られている。(手数料込みだろうけど)
むむむむむむ、、、、。正直、イタイ出費なのだ。

悶々としながら、荷物を小脇に抱えて帰ってきた。歩きながら「母の愛はプライスレス、母の愛はプライスレス」とつぶやきながら。

この季節の必需品、ムヒパッチを通販で買って、それを母に送って欲しいと頼んだのは私。せっかくだから、他のものを入れてくれたのは母。麦茶、嬉しいわよ、もちろん。葛根湯だってありがたいよ、本当に。愛は、そりゃもう、プライスレスよー!

でも、何もお咎めなくスルーして届く似たような荷物と、関税を要求される荷物の差は何ナノだろうか、、、。

しかも、これまで関税を取られて、明細をもらえたのは一度きり。求めても「これしかないのよ」と郵便局側に持って行かれる。何にいくらかかっているのか知りたいんだけど。
領収書もないってどうなの?

調査不足もあるけれど、郵便局で局員相手に騒いでも何ともならないのは確実。それに受取りたいという気持ちが先だし。

せめて、不在票に「関税がかかるよ」くらい書いておいてくれてもいいのに。前は走り書きで書いてくれたのに。

ぶーたれる毎日だけど、「家族の愛はプライスレス」をテーマに乗り切るしかないわ。

今回は2週間で届いた小型包装物。母の愛に免じてここんとこは褒めてあげようじゃないの! イタリア郵便局!

Saturday, 14 June 2014

美は毎日の積み重ねから・・・

顔に大きなシミをたくさん作りながらも、すんごいタイトルつけちゃいましたが、これホント。最近実感してます。

心なしか肌がつるつるしてきたような、、、?
顔ではなく、手足の話。

秘密はこちら。



ドライブラッシング、つまりは乾布摩擦。
ドライブラッシングが肌にも健康にもいいということは聞いていましたが、なかなかちょうどよいブラシが見つからず、乾燥ヘチマを3年ほど使っていました。
どうもサボりがちなので成果がわからなかったものの、初めて身体用ブラシを購入して気合いを入れ、少なくとも1日1回は軽くくるくるとブラッシングするようにしたら、、、。
あーら、ちょっとつるつる?(自己判断です)

ドライブラッシングは細胞の活性化にもなり、もちろん肌の再生を促し、身体の外側にも内側にも効果のあるもの。まさに一石二鳥!

プラハの後、ヨガのコースに参加するためにロンドンに行ってました。ヨガで素晴らしい先生と友人に会えたこと、久し振りのロンドン、そして”都会”という点に私は舞い上がっちゃったのか、気持ちも高ぶり、モチベーションもあがり、ついには、わざわざロンドンで買わなくてもイタリアでも見つかるだろうっていうブラシまで購入し、、、。(イタリアで見つかりにくいサプリを探しに薬局に入って、ブラシを手に取ってしまった。値段的にもそれほど変わらないかと。持って帰りやすい小さいものを買いました。片手で持って使う大きさです。)

そして、約2週間ほど続けた結果、ちょっとつるつるになった!
しかも、太ももの後ろ側のセルライトが薄くなっている!? (←気のせい?)

どの年齢でもミニスカート、ショートパンツを堂々と(どんな足でも!)履くイタリア女性たちに見習って、今年はショートパンツデビューしたくて、何とかセルライト退治と思っていたけど、これならいけそう!

ブラッシングするのは、お風呂やシャワーの前が最適なんだそうです。でも私はあまり気にせず朝の着替えと夜の着替え(これはお風呂前)のときに。続けるコツは、あまり義務化せず、忘れちゃったら自分を責めないこと。

そしてあとは、ショートパンツを用意するだけ〜。早くセールが来ないかなー。

Wednesday, 11 June 2014

ヨーロッパ圏格安航空の手荷物はいつも注意が必要!

ヨーロッパ近郊を飛行機で移動するとき、非常にありがたいのは格安航空会社のチケット。
うまく利用すれば、かなりお手軽価格でヨーロッパ圏を移動できてしまう。

で・も。
もちろん格安ではナショナルフラッグクラスの飛行機会社と同じサービスが受けられるわけではない。
・機内預け入れ荷物は別料金
・座席予約も別料金(航空会社にもよる)
・機内フード・ドリンクサービスは有料(ナショナルフラッグでも欧州便では有料のところもあるけれど)
などなと、、、。

機内持ち込み荷物の制限に関しては有名。
基本的には、飛行機の機内持ち込みサイズは決まっているのでそれに従うだけですが、、、。
・たとえポシェットのような小さいバッグでも、二つ目のバッグを許可しない。(服に隠れて見逃されることもありますが)
・バッグの大きさを計るため、カゴのようなサイズチェック用の枠があり、空港によっては全旅客のバッグの大きさをチェックする。

機内持ち込み荷物のみのとき、私はボストンバッグやリュックような柔らかいバッグで行くようにしています。
最初は単に小さいスーツケースを持っていなかった(日本に置いてきてた)だけですが、その間、普通サイズのリュックで移動を続け学びました!

バッグの大きさを計るチェック用の枠に、小さいスーツケースが入らない人をよく見かけます。
しかも、あと少し!というところで入らないので、いつも係員と小競り合いになっているんですよ。
もちろん、私が利用するのは発着のどちらかがイタリアなので、イタリア人と係員の小競り合いを見るのは非常に非常に見苦しいもの。声を荒げる、無視して通り抜けようとする、誰彼構わず文句を言い散らす、、、。

5月にプラハからイタリアに戻ったときはひどかったです。
easy jetを利用しましたが、プラハの空港のゲートの待ち合いに入るときに全員のバッグの大きさをチェックしていたんです。
ここでチェックするか?と正直驚きでもありましたが、、、三分の一くらいの人のスーツケースが、あと少し!というところで拒否されて機内預け入れ手続きになったんです。
本当にあと少しなんです。かわいそうなほどに。
だから、スーツケースについている車輪を壊して取る人数名、係員と言い合いになる人数名、仕方なく預け入れにしたけれどイタリア到着後まで文句を言い続ける人数名、、、。

他にも、ベルガモのオーリオ・セーリオ空港だったと思いますが、荷物のセキュリティチェックに入る前に、係員が搭乗券をチェックするところで「これは?」と思ったバッグのサイズを持っている人のみサイズチェックをしていました。入らなければ、セキュリティチェックを受ける前に敢えなく通り抜けもできないという状態。
あと、バルセロナのエル・プラット空港では重量も計ったこともあります。(計らなかったこともあるので、必ず計るわけではないかもしれません。)

いずれにせよ、リュックやボストンバッグのようないわゆる形の定まらないバルクバッグの扱いになるものは、サイズチェックの枠に押し込める!(中に壊れやすいものを入れていたら注意ですが。)
今回のプラハから戻るときは、最初はボストンバッグが入らないか?と思いきや、ぎゅぎゅぎゅっと押し込み合格! (押し込んだ勢いでカゴに頭をぶつけて周りから笑われた。その後、すんなりと取り出せなかったけど、規定の枠に入れば問題ない。)

荷物が多いけど、ゴロゴロと引っ張るトローリーでなくても大丈夫という方は、これがお勧めです。(荷物が多けりゃ、お金出しても預け入れ荷物にするって?)

追記:機内持ち込みサイズチェックで拒否されてコロコロを壊して取ったイタリア人、本人の意思ですよ。そうまでしても預けたくなかったというのが笑えますけど。

追記(2015年4月17日):いつの間にやら、ヨーロッパの格安飛行機でも手荷物以外に小さい荷物を持てるようになってます。半年ほど前だけれど、飛行機を利用したときにはそうなってました。何か言われやしないかとドキドキしましたが、サイトに明記されているので多分大丈夫です。でもサイズは守った方がいいですよ。ちなみに日本の国内線と若干サイズが違うこともあるので、必ず各社のサイトをチェックしてくださいね!



Tuesday, 10 June 2014

酵素といえば、、、不思議体験

昨日、乳糖不耐性と診断され、酵素をまた取り始めなきゃなーとネットでオーダーしたところ。
去年の今ごろ、他のサプリメントを購入するついでに、「そうそう、酵素を摂らねば」と思い立って摂っていたけれど、1瓶終わって忘れてしまっていた。口にするものの身体への影響を敏感に感じ取れない(感じとろうとしない?)私の悪い癖なのだ。

酵素サプリメントを始めて摂ったのはちょうど5年前。医師や栄養士の指示でもなく、、、実はヒーラーの助言。

いいことも悪いことも占いはその日のうちに忘れて気にしない、おみくじもその場の一喜一憂のみ、よく言えば「今を生きたい」私なので、遠い宇宙から来た助言はあまり真剣に捉えない性質ですが、友人の紹介で一度だけスピリチュアルヒーラーなる人に会ったことがあります。

当時(まだ日本にいました)、身体も心も参っている時期で、友達から「このヒーラーの助言はすばらしいから!」と紹介された。

絶対にお金を出してそういう人に助言を受けようなんて考えられなかったけど、なぜかそのときは「あ、受けてみようかな」と素直に思え、そのヒーラーに会いに行くことに。

その人自身が媒体となり、実際のヒーリングメッセージを発する天の声(こんな言い方しないけど)を伝えてくれるというもの。未来のことを予言するだとか、占うものではなく、現在起きている悩み状況に(過去世も加え)過去がどう関わっていて、何をすれば改善されるか助言してくれるというもの。加えて、身体の不調を癒す力もあるんだとか。
あるかどうかわからない未来のことを言われるわけではないのね、と思うと、ますます会いに行く気は盛り上がり、会いに行く日の間近にはなぜか「もう絶対に会うべき人なんだ」と感じるほどに。これが思い込みでも何でもいいから、会ってみようという気はモリモリに!

生まれて初めての体験だったせいか、そのときに言われた助言はかなり覚えていて、その中の健康面のアドバイスに「酵素を摂取しなさい」というものがあった!

あ、笑った? 何それって思った?

そうでしょう、そうでしょう。今思っても、そんな助言をしてくれたんだっけ、、、と私も笑ってしまうほど。

他にもらった助言も今もずっと心に残っていて、月日が経つほどにその意味を理解するようになり、ある意味私の人生のテーマのようにもなっている。

なーんとなく忘れることもあるけれど、いい助言をいただいたんだなぁ。
酵素を摂りなさいというのも、今思えば、そういうことだったのかもね。腸が悪いこともあるし、振り返ってみれば、正しいアドバイスだったわけで。

昨日は酵素を注文しながらそんなことを思い出してました。

ちなみに酵素といってもいろいろ。私が話しているのは「消化酵素」。大概はプロテインの消化を助けるプロテアーゼ、炭水化物の消化を助けるアミラーゼ、脂肪の消化を助けるリパーゼ、ラクトース(乳糖)の消化を助けるラクターゼ、不溶性繊維の分解を助けるセルラーゼなどが入っています。全部入っていないものもあるけれど、必要なものを選べば良いのかと。

ここまで書きつつも、、、。
消化が悪いかも?と思っている方、まずは専門家に聞いて下さいね。ヒーラーじゃなくてね。

Monday, 9 June 2014

まさかの乳糖不耐性

何をどう間違えたのか、今となっちゃ覚えていませんが、どうやら乳糖不耐性(ラクトース不耐性)でした、、、。

もともと腸が悪いんですよ。小さい頃から毎度お腹を壊し、それ以外にも腸に持病あり。特有の症状が出ることは少ないので、この持病に関しては良くもならず、悪くもならずで20年ほど適当に過ごしている中、ようやく、乳糖不耐性とセリアック病の検査をしましょうと言ってくれた先生がでてきた。
今まで、日本でも何でこの検査をしなかったのか、、、。20代後半くらいから鼓腸が気になっていたものの、日本で消化器科の先生に相談しても「うーん、わからない」というだけ。何もテストもしてませんでした。(←調べもせずに、「わかんない」と言い切った先生が二人もいたし。)
(※ネットで調べたところ、どうやら日本ではあまり厳密な検査しないようですね。乳製品を避けて下痢をするかしないか、程度の判断みたいです。農耕民族だったアジア人には乳糖不耐性が相当多いらしいので、この対応には少し驚きました。)

それで去年の夏に乳糖不耐性とセリアック病の検査をしたわけですが、、、。(イタリアで、です。)
セリアック病はどうやら白。問題なし。

ところが乳糖不耐性の結果を読み違えていた私(と相方)。

今日、別の用事でホームドクターのところに行くと「何か不耐性もってる?」と聞かれ、「セリアックと乳糖は白です!」とはりきって返事して検査結果の紙を見せたところ、、、。

「あら、あなた乳糖不耐性よ」と。

あれれ? そうなの? そうだったの? あ、見間違えてる!

私たちがもらうテスト結果には、標準値から外れるとアスタリスクがついてわかりやすくなっているから、そのテスト結果にアスタリスクがないから大丈夫と勝手に勘違いしたのだ。
よく見ると、血液検査で調べた二つの数値の差が20以上であれば耐性があるというところ、私の場合、差が5しかなかった! ありゃりゃ、不耐性だよ。

家に帰って相方に話すと、必ず私のテスト結果に目を通す相方も見間違えていたと驚くほど。

なんだかこれまでの病歴も、これが原因の一部だったような気がする。単純に言えば、これがあったために、消化吸収が悪く、自己免疫がうまく働かなかったのではなかろうか。だから奇妙な病気をする。
でもアジア人の9割が乳糖不耐性と書いているウェブサイトもあるから、変な病気をする私の場合、これだけが原因じゃないんだろうなぁ。

というわけで、本日より、食事に気をつけなければ。
次のものを摂取しないように、という簡単なリストをもらった。
・牛乳全般(ただし、乳糖を含まない製品もあり)
・牛乳パン、クッキーやビスケット(ギャーーー!)、お菓子(焼き菓子のこと?)、ブリオッシュ(日本で言うクロワッサン)、ジェラート、飴類(おそらくキャラメルのこと?)、チューインガム、牛乳入り飲み物、チョコレート(き、厳しい、、、)、チョコレートドリンク(ココアとか)、牛乳クリーム
・乳糖入りのチーズ全般
・バター、生クリーム
・インスタント製品、牛乳入りピューレ
・市販のマヨネーズ
・モルタデッラ(ハムの一種)、フランクフルトソーセージ(イタリア語で言うWürstel)
・乳糖入りの薬品

元々、牛乳嫌い、生クリーム嫌い、クリーム系のアイスは嫌い(ジェラートは基本フルーツ系)。
ヨーグルトとチーズ、塩味のあるクリーム系料理(ホワイトシチューやベシャメルソース)ならば食べてきた私。もともと私の味覚が乳製品の半分近くを拒否していた様子。チーズを食べると言ってもイタリア人のように大量にチーズは食べないし、バターも自分では料理にほとんど使用しない。
チーズはできたてのぷるんぷるんのチーズではなく(モッツァレラとかではなく)、ある程度の月日を寝かしたもの(パルミジャーノ、エメンタールなど)なら大丈夫という。だから基本的には問題ないかと思いつつも、、、。

チョコレート、クッキーがだめと言われると、、、。涙。
先日、大好きな、そしてたまにしか食べないショートブレッドを買ってきたところだというのにぃ! バターたっぷりじゃーん!

保存料にも乳糖が入っていることは多いので、しばらくは食品選びに慣れるまで時間がかかりそうです、、、。(家で全部作れって?)

それにしても、牛乳を飲んだだけでは(小学校の給食で「残してはいけません」という先生の場合、無理矢理牛乳を飲んでいた)お腹がごろごろしたり、下痢をしたりすることはなかった私。だから気にもしなかった。しょっちゅう緩くてわからなかっただけかしら、、、。
今日のホームドクターの話では、症状は即座に出るものだけではないということなので、私の場合、遅くでるタイプなのかもしれない。

というわけで、ヨーロッパに住み始めてお腹の調子が、、、と感じられてる方、チーズやバターが増えていませんか?
イタリアはオリーブオイルの国なので安心ですが、ほぼ何にでもくっついてくるチーズ。スタジオナートならばラクトースは少ないので、スタジオナートを選びましょー!

Sunday, 8 June 2014

プラハの思い出になった品々(要は、買い物自慢です)

最終日は晴天でしめくくったプラハでしたが、実は最終日も空港に向かう時間には少し雨が。空港行きのバスを待っているときに少し濡れたくらいですが。
私の持っていたバッグは大きなボストンバッグ。地面が濡れてくると下に置きたくないので、がんばって担いでました。お、、、重い、、、。

なぜならば〜。
プラハで買ったものでいっぱいだから!

その一部をお披露目。

プラハに行く前にいろんな方のブログを見ていて見つけたこちらのブックマーク。
かわいかったら買おうかなと思っていた程度だけど、相方がプレゼントしてくれました。
プラハのユダヤ人街に伝わるおとぎ話で有名なゴレムのデザインにしようかと思ったけれど、結局は四つ足が動くネコと糸巻きのデザインに。どの本に使おうかな。

『黄金の小路』にあるお店で売っています。


チェコは日本に負けず、アニメキャラや絵本キャラが有名ですよね。もぐらのクルテクなんてとても人気があるようで、おみやげ屋さんのどこでも見かけるし、空港の免税店にもキャラグッズがあります。

クルテクを目指したわけではないけれど、スーパーに入って物色しているとクルテクなどキャラもののお菓子がたくさん!


チョコや飴、ペッツのようなラムネなど、あれもこれもと手を出していたら切りがない。スーパーはやっぱりキケンな場所だー。

そして、プラハのあちこちのバーで見かけるこのキャラクター。


名前はシュヴェイク。プラハ出身の作家ハシェクが書いた『兵士シュヴェイクの冒険』シリーズの主人公の兵士。
デザインは多少違えど、ビアホールやバーの看板や壁によく描かれているキャラクター。

このデザインは特に、ハシェクとともに過ごしたこともあるというチェコのイラストレーター、ラダが描いたもので、かわいさがあるので気に入ってしまいました。
というわけで、ベタにおもちゃやで見つけたマグネットとキーホルダーを購入。ひとつ40コルナほどだったかと思うので、200円するかしないか、、、かな。

そして古本屋で見つけたこちら。


そのイラストレーター、ラダが描いた絵本。もちろんチェコ語なので、まったくわかりませんが、

中はカラー、白黒取り混ぜて、イラストがたくさん(文字もたくさんだけど)。


話しはわからないけど、イラストから想像すると楽しそうな話じゃないですか?
そのうちこれを読むためにチェコ語でも勉強しようかな、、、なって思ってみたりも。
1978年の記録があるので、それほど古いものでもないのですが、絵がかわいくて50コルナ(200円ちょっと)なので、即買いです!

ラダのイラストは古本屋に行けばあちこちで見つかると思いますよ。古本屋も多くはないけれど、街のあちこちにあります。

まだまだ古本屋をめぐる私たち。私よりも、相方が好んで行くのですが、、、。
相方が物色している間、疲れ果てて、古本よりもお茶を飲んで座りたいと、古本屋で座り込みそうになった私の目の入ったのがこの絵本2冊。


古い感じの綺麗な絵本だなと思って中を開いてびっくり。よくよく見て、手放せなくなりました。

というのが、この絵本、中にイラストレーター直筆のイラストが描かれていてサインつきだったんですよ! ほら!

右の本の中扉

左の本の表紙を開いたところ

右の絵本は1954年のもの、左の絵本は1951年のもの。
絵もとても気に入ったので、こちらも購入して、ホテルに帰ってネットで調べてみると、このイラストレーターの名前は、Jan Marcin Szancer。ポーランドのイラストレーターです。
この本は古本屋のポーランド語の棚にあったので、中身ももちろんポーランド語。(これまたポーランド語を勉強しろってこと?)

Wikipediaによると、このイラストレーターは200以上の絵本の挿し絵を描いたそうです。
ポーランドのソポトというところにあるショッピングセンター「Krzwy Domek(ねじれた家)」は、このSzancerさんの絵を元にしているんだそうな。
わ、これも面白そう。ポーランド、次の旅先候補に入りましたっ!

購入してきた本の中身はというと、こんな感じ。非常に美しい絵本ですよ! 絵本といっても、結構文字ありますね、、、。



本は実はこれだけではなく、、、相方も合わせるとどれだけ買ったことか。ボストンバッグが重かったわけです。

そして、買い物は本ばかりではなく、相方はスニーカーや冬物のコートなんて買ったもんだから、これまたバッグはパンパンに。
イタリアで一般的に見かける靴のサイズ45では入らないことも多い、幅広甲高な相方の足(しかも問題があって変形している)。大男の多いと見えるチェコではもう少し大きめのサイズも売っていて、しかも変形した足でも大丈夫な伸び縮みの効く素材のスニーカーを発見! 出会ったときに買うしかない相方の靴。発見したのはスーパーの服飾雑貨売り場。安かったので買いましたよ、変な色だったけど。

コートも立派な米軍ピーコートが2000コルナ(80ユーロくらい、10000円ちょっと)。
肩幅あり、身体の厚みあり(デブとも言うけど、もともと身体の厚みあり)、服にはこだわらないといいつつも何でもいいわけではないという、非常に面倒くさい男が、サイズもOK、デザインもOKなものに出会ったら、買うしかないでしょう。しかも、分厚いウールコートが安い!

でも、こんな分厚いコート、バッグに入るわけはないので、これは着て搭乗手続きしましたけどね。持ってきたコットンのコートをたたんでバッグに入れて。
天気が悪いと5月でもウールのコートを着ている人を見かけるプラハ、そんなコートを手に持っていてもそれほど奇妙でもなかったです。イタリアについたら空港近くの駐車場に車を預けているので、帰りも重たいものを持ち歩く必要もないし。

このピーコートは、泊まったホテルと同じ通りの、ずーっと二人とも気になっていたミリタリー系のお店で購入。(私も相方もミリタリーファンではありませんが、私はシマシマ大好き、相方は変なもの見たさで気になってただけです。)
最終日に、「怪しい店だったら怖いから、(ホテルオーナーの)クリスティーナに探りを入れてから行こう」と言っていたものの、目の前でサイクリングスタイルでばっちり決めた超健康そうな自転車乗りのお兄さんが入っていったので、それにくっついて入ってみました。

そして、私も当然のように縞シャツ買いましたよー。長袖の厚手のタイプで395コルナ(約16ユーロ、2000円位。薄手のタイプはもっと安かった)。サイズも私にちょうどよいボーイズサイズを出してくれました。帰ってから落ち着いて見たら、選択表示のタグがロシア語だった!

コートも長袖の縞シャツも、昼間は30度を超す季節が始まったイタリアではしばらくお預けだけど、これもちょっと変わったプラハのいい記念かも。

Saturday, 7 June 2014

プラハに行ってきました! その4 晴天!

プラハ最終日。

ずーっとこんなポンチョ姿でしたが、、、




やっと、朝から気持ちよく晴れました!



飛行機は夜の10時台なので、昼間は丸一日観光できる日程。

ホテルオーナーのクリスティーナのホットサンドをいただいた後は、相方と私、それぞれが行きたかったところからスタート。

私が観たかったのはこちら。プラハに行くとよく見かけるこのお人形のようなもの。


聖母マリア教会にあり、災いから守ってくれるイエス・キリストの幼子の姿だそうです(衣装をとっかえひっかえするので、衣装持ちになれるという説明もありましたが)。

これが陶器の小さなお人形の置物だったり、いろんな形で街のあちこちのおみやげやで見かけるので、このかわいさに魅かれて見に行きたくなりました。

なので、朝一番、時間短縮のためトラムを利用して聖母マリア教会へ。


いらっしゃいましたよー。本物が。

余談ですが、相方は、カメラを向けられるとピースする日本人のことが嫌い。私が「ほら、キリストさまもピースしてるじゃーん(写真ではなく、上の画像なら見えるかな)」とピースすると、「こいつはどうしようもないアホだ」という顔をされました、、、。
親指を開き、人差し指と中指を揃えて立てる手の形は何を表しているんでしょうね。三位一体?

そして次に。
2日目の夜に歩いていて偶然に見つけた「Special Effects Museum(特撮ミュージアム)、Karel Zeman Museum」。相方が絶対に行きたい!と言っていたけれど、3日目も通りかかったのは閉館後。最終日には絶対に行こうと決めて来ました。

カレル・ゼマンとは、ボヘミア(現在のチェコの一部)出身の特撮映画監督。たとえば、こんなビデオを特撮技術を駆使して撮影していました。



宮殿の部分など、一部を除いてただの絵で、合成して作っているんです(ミュージアムで見て勉強した!)。戦後間もなくから活躍し出した監督さんなので、その当時にしたらすごい技術かと思います。

小さいミュージアムながらも、ビデオの撮影裏話など満載で、とても楽しめました!

ミュージアムを出て、トイレに行きたくなり場所を聞くと、ミュージアムの建物からちょっと離れたところにありました。

行ってびっくり! (トイレ写真で失礼!)

女性用


男性用

わかりにくいかな。カレル・ゼマンのスタイルに全部ペイントされているんですよ!
誰もいなかったので、撮影してきちゃいました。

ビデオ撮影、編集の仕事もする相方は、ゼマンのような特撮、アニメーションスタイルは興味津々。チェコの人だと知らなかったものの、偶然の発見で相当かぶりついてました。


カレル・ゼマン・ミュージアムまでがプラハで絶対に観たかったもの。
では、飛行機の時間までどうしようかと歩いていると、手巻きオルガンの音が聞こえてきました。綺麗な音だ〜♪
カレル・ゼマン・ミュージアムから近い橋の下、カレル橋の端あたりに、手巻きオルガンとクラリネットを演奏するおじさんたちが。
足を止めて道の反対側から見ていると、おじさんが手招きしてくれた。

誘われるがままに近寄っていくと、身振り手振りで手巻きオルガンのハンドルを持って回すように、と。

私も参加して一緒に演奏してきました! 曲はそのときに演奏していた『エリーゼのために』でした。ハンドルを回す早さがわからなくて、かなりゆっくりした演奏になったけど、面白かった!
(とても綺麗な音色だったのでCDを購入。ミラノ・マルペンサ空港から自宅までのドライブの間、このCDでプラハの余韻に浸りながら帰ってきました。)

左が私です

まだ時間があったので、天文時計の塔の上に。屋根景色が好きなんです、私たち。

そしてはっと思い出した。私のカメラ(一昨年、前のカメラを日本帰省中になくし、父から譲り受けた)、ジオラマ撮影ができるんだった! こんなときにこそ使わねば!

ということで、初ジオラマ。わかりますか? 人形っぽいですか?
こんなことが簡単にできちゃうなんて、最近のカメラはすごいなー(5年以上は前のモデルだけど、、、)。



雨ながらも存分に満喫したプラハの4日間の旅。
ミラノから1時間半で着き、行きは朝便、帰りは夜便で、ゆっくりと観光できましたよ。


最後に、新しいことに挑戦し続けたカレル・ゼマン監督の素敵なひとこと。心に残ったのでご紹介。

「なぜ僕が映画を作るかって? 僕は未知の分野を探しているんだ。映画製作者が誰も足を踏み入れていないところを。映画監督が誰も征服した旗をかかげていない惑星を。おとぎ話にしか存在していない世界を。」
- カレル・ゼマン





Friday, 6 June 2014

プラハに行ってきました! その3 雨のプラハ

さて、プラハ3日目。雨ですよ、雨。
でも出かけるときに降っていなかったので、アホな私はまたしても傘をもたず、、、。
2日目に旅行者がみな簡易ポンチョをかぶっている姿を見て、自分たちもポンチョを購入。こっちの方が軽いので、傘を持たずにポンチョを持ってでてきました。
そしたら、すぐにポンチョが必要な状況に、、、。傘の方がよかったかな、、、。

まずは展望台へ。

展望台から見る市街

ほーら、見事な天気でしょ。これがいい天気だったらなぁ。ま、いっか。

この後、プラハ城へ。
プラハ城に行く間、皇帝の図書室だったという修道院も見学。こちらは写真撮影が有料。相方だけ撮影料(入場料+50コルナ)を払って撮影しました。修道院にしちゃゴージャスなとこでした。

お城に着く頃にはお腹がすいていて、お城前のあまりにも観光客向けのレストランには入りたくないなと思ったものの、お腹がとても空いていたのでとりあえず入ったところが、、、、これまた失敗。

レストラン内は禁煙のマークがついているものの、スタッフらしき人がタバコに火を点けたまま入ってきたり。おいしかろうがなんだろうが、この時点で嫌でしょう。こんなスタッフがひとりではなく二人もいたしね。

気を取り直してお城へ。

ちょうど、衛兵交代を見れました!



そして、ザ・ゴシック!なスタイルの、聖ヴィート教会。

教会前はスペースがないので、上半分しか撮影できなかった!

このお城と言われる部分、確かに王宮もあるのですが、王宮よりも背が高くて目立つのはこの聖ヴィート教会。
この教会を中心に、プラハ城と言われる部分はひとつの街のようになってます。周囲は家のような建物に囲まれてるんですよ。敷地は世界で一番大きなお城のひとつなんだそうです。

こちらは、プラハ城にあるもうひとつの教会。こちらはロマネスク様式。



『黄金の小路』と呼ばれる通りは、錬金術師が作業に使っていたらしく、こんな展示も。


この通りは今は小さなお店が並ぶ通りになっていますが、その昔は文筆家のカフカも住んでいたという歴史が残っているそうです。

さて、お城のある高台から下りて、カフカミュージアムを目指しました。
が、既に閉館時間。ミュージアムショップでカタログでも見てみるか、とミュージアムショップに寄ったけど、カタログはチェコ語版しかなく、ざんねーん。

ミュージアムショップに寄ったものの、実際のミュージアムはどこなんだ?と探していると、、、。こんなものが、、、。


えー。この二人、互いに用を足し合ってますよ、向かい合って。本当に水が出てますから。
しかも腰をゆっくりと左右にふりながら、、、。

実はこのモニュメントがあるのは、カフカミュージアムの入り口。右の人の後ろにカフカの『K』を使ったモニュメントもあるでしょ。後ろの建物がカフカミュージアムです。
何でこの用を足す二人がカフカミュージアムの前にあるのかは、まったくもって謎。

カフカミュージアムがあるところからまた街の中心部に向かって歩いていくと、建物の隙間に信号が。
この隙間、人が一人通れるほどの細さ。信号があるってことは、、、? 何ナノ?


赤信号(右の壁沿いの上の方)


向こうから人が来た! いや、おじさん、こっち側が緑なんだから、来ちゃいけないんじゃないの?


信号が変わった! おじさん、信号無視してる!


せっかくなので、青になったときに建物の隙間を通って行ってみると、そこはレストランの入り口。
あ、通り抜けできるわけじゃないのね。
戻ろうとすると、反対側にもきちんと信号がありました。

反対側にも信号が!

こんなお茶目な仕掛けをつけたレストラン。センスいいですよね。レストラン自体はどうなのか知りませんが、、、。


外国に行くと変わった標識を見かけます。
こちらはユダヤ人街の途中で見つけた標識。
居住地区なので、22時から翌朝6時までは公共の場ではアルコール禁止という警告。ほー。
ついでに、この条例に反することは違法なんだそうな。ほー。



プラハで見つけたかわいい標識はこちら。


歩道を示す標識で、お父さん(おじいちゃんでもいいね)と女の子が手をつないで歩いている。これはかわいいなぁ。

さ、プラハ最終日は晴れるか?


Thursday, 5 June 2014

プラハに行ってきました その2 ステキな教会!

忘れないうちにプラハの旅の覚書。

2日目は朝から曇り空。天気予報では既に雨予報だったので、覚悟はしていたけど、寒い!

朝はホテルの朝食。パン、チーズ、ハム、ジャム、ヨーグルト、シリアル、フルーツなど、簡単なものを食べ放題で用意してくれている。
でもこれは別料金。確か1人4ユーロだったかな。
これにプラスして、希望者にはオーナーのクリスティーナ自慢のホットサンドを作ってくれる。チーズと少し甘めのチェコのサラミを使ったホットサンド、シンプルだけどとってもおいしい! これを食べても食べなくても朝ご飯料金には変わりないので、食べた方が絶対にお得感増大。もちろん、コーヒー、紅茶もいくらでも。

2日目は土曜日。ここだけは絶対に行く!と決めていたところ、それはファーマーズマーケット!
モルダウ川沿いに毎週土曜日(冬場は休むと思う)にできるファーマーズマーケットが面白いとの情報をキャッチしていたので、サイトまで調べて楽しみにしていたもの。到着したときに、ホテルオーナーのクリスティーナからも「これは行くべきよ」と紹介されたもののひとつだったので、太鼓判が押されたからもっともっと行きたくなった。



私たちは対岸側に宿泊していたので、線路と歩道が並ぶ橋を渡り、、、目指すマーケットが見えてきた!

Farmer's Market

このマーケット、地元ワイン、地元料理、農産物、工芸品、手作り品などごっちゃになって並んでいて、旅行者として一番楽しいのは地元ワインと地元料理の屋台。

写真を撮ったと思ってたんだけど、相方のカメラだったのかな、、、。
チェコ料理なのかわからないけれど、パン生地にひき肉を混ぜ込んで焼いたもの、ブロッコリーとカリフラワーのお好み焼きのようなもの、ワイン、そしてこの日は冷え込んだので、1軒だけあったベジタリアンの屋台でヒヨコ豆のグーラッシュを。どれもおいしかった!

その後、中心街の南側にあるヴィシェフラド地区へ。
元はお城があったところで、ホテルのオーナーのクリスティーナがプラハで一番お気に入りのところと教えてくれた場所。

しかーし。
ヴィシェフラドの丘に上ったところで雨が、、、。
まずは、施設支援のための物品販売をするお店に立ちより物色しながら雨宿り。
でも、どんどん降ってきた。

仕方ないので、雨の中を歩き、カフェで休憩。
ビールはお腹が膨れるので、私はホットワインを。

まだまだ降り続く雨。
実は傘を持ってきていたんですよ。でもね、ホテルに置いてきた、、、。忘れたんじゃなくて、雨が降らないと信じて置いてきた私。
これぞ、何とかの法則で、傘を置いてきた日には雨が降るってパターンだわ。

時間がもったいないので、雨の中を先へ進み、ヴィシェフラドにある教会、聖ペトルとパウロ教会へ。この教会の横には墓地があって、プラハ出身の超有名人たちのお墓が並んでます。作曲家のスメタナやドヴォルザーク、芸術家のミュシャなどなど。

雨で疲れも入ってきて、早く教会の中でも入っちまいたいっ!と思う私をよそに、相方は気に入ったお墓の写真を撮り続け、びっしょり。

もうそろそろ行こうよ、と、聖ペトルとパウロ教会へ。

これが度肝を抜かれた!
教会の入り口にある装飾も素晴らしかったけど、中に入ってさらにびっくり。
内部が全部アールヌーヴォー様式の絵で埋め尽くされている!



天井の一部。色使いが何とも言えない。


各柱もこんなふうに聖人の絵が描かれていて、どれもステキでした!
何がステキって、聖人が自分たちの生活に近そうな感じを受けるところ。


たとえば、こんなふうに羊と一緒にいたり、、、。


子供と一緒だったり。

イタリアの宗教画にはそこまで魅かれる感覚を覚えず、長く見ているとお腹いっぱいな感覚になるのですが、これは見てて飽きない! 好き!

わたくし、大学時代に教会建築(ゴシック)の研究をしましてね、、、。ゴシック建築、特に南部を除く西ヨーロッパのスタイルには何となく知識があるのですが、スタイルは違えど教会を見るのは好き。この教会はスタイルまぜこぜでした。いやー、それにしてもこんなアールヌーヴォー装飾の教会はびっくりしたわ。

この教会は、12世紀から存在し、幾度も崩壊と再建を繰り返して、今に至るのだとか。ちなみにこのアールヌーヴォーの装飾が施されたのは1900年前後だそうです。なるほど、まぜこぜスタイルなわけです。

さて、雨がほぼ止み、地下鉄で街の中心街へ。
どこに行こうかと考えて、旧国立博物館の建物へ。
ここはプラハの一番大きな通りをどどーんと見下ろす形で経っていて、かなり迫力があるところ。
中に入ることはできませんが、建物の入り口から大通り、その先へ続く市街を見下ろすのはなかなかのもの。

入り口では当日行われる五弦楽+ピアノコンサートのチケットを販売してました。
どこかでコンサートに行きたいねと話していたし、ちょうど1時間もすれば開場だったので、チケットを購入。
隣にある新国立博物館のカフェ(博物館は閉館ギリギリの時間でした)で休憩してコンサートへ。



コンサート中はシャッター音を出せないので、曲の合間、拍手でわき上がったところでパチリと撮ってきました。
スメタナの曲などもある有名な曲を10曲ほど。1時間ほどのコンサートでしたが素晴らしかったですよ!
ちなみに客席は、階段にクッションが置かれているだけ。ごくごく簡単なコンサートでした。(椅子席も少しあり)

20時頃にコンサートが終わり、さぁ、食べに行こう! と、トリップアドバイザーをさらっとみて近場の気軽なタイ料理へ。

これがね、、、ありえないほどまずかった、、、。敢えて名前は書きませんが、麺類を売りにしてるらしき、テイクアウトもできる気軽なバーレストラン。満員だったけど、みんな、タイ料理はあれでいいんだろうか、、、。いや、よくない。せめて相方だけには、タイ料理はこんなんじゃない、うまいんだーい!と吠えておきました。

そして、腹ごなしに歩きながらプラハの名所、カレル橋へ。


カレル橋から旧市街側を見たところ。


カレル橋の真ん中あたり。観光客でいっぱいでした!


更新に間を開けてしまったので、覚書の支出メモはありませんが、コンサートは500コルナ(20ユーロ位)でした。

あと2日分、続きまーす。



Saturday, 24 May 2014

プラハ、行ってきました! その1

イタリアに住み始めてから、海外旅行なるものはバルセロナしか行っていなかったのですが、バルセロナは友人宅に行く目的が大きいので、ほぼ親戚の家に遊びに行くようなもの。それでももちろん存分に楽しんでいますが、久々にバルセロナ以外の海外へ。

行き先は、チェコのプラハ!
私は東欧圏に足を踏み入れるのは初めて!
昔バイトしていた飲み屋の常連のおじさんが「今まで訪れた都市で一番素晴らしかった」とコメントしていたことを良く覚えていたので、楽しみにしてました!

プラハはミラノから飛行機で1.5時間。
昨日の晩、一緒に散歩をした近所の方が「カターニア(シチリア)は2時間かかるわよ!」と言っていたので、プラハの方が近いの?とびっくりして地図を見ると、距離的にはミラノからプラハの方が近い!(当然、うちからも!)
意外に近いところでした。

到着してまずホテルへ。泊まったのはアパートメントホテル「Aparthotel City 5」。
予定していた到着時刻よりかなり早く着いた私たち。表のドアでチャイムを押して待っていると、オーナーがドアを開けてくれた。
ん? 一瞬、このオーナー、怪訝な顔した? 相方が名前を告げると、すぐに満面の笑顔に変わって招き入れてくれて「何飲む?」と、既にスーパーフレンドリー。
そして、ゲストシートに名前を書くでもなく、身分証明書を見せろでもなく、ビールが出てきて(私たちがビールを頼んだから)、すぐに街の観光案内。
一通り街の観光案内が済んで、さて部屋へ、、、というときに。

このスーパーフレンドリーなオーナーのクリスティーナ、「実はね、、、」と。
これで最初に一瞬怪訝な顔をした理由がわかった!

相方がネットで予約をしたときに、何を間違えたのか、男性二人で予約してたらしいのだ。
でも、女性を連れてきたからびっくりってわけ。
部屋もツインルームが割り当てられていたので、どうしようかと慌てて掃除のおばちゃんと一瞬のうちに対策を練り、すぐに開いたばかりのダブルルームを掃除して整えてくれて「好きな方を選んで!」と言ってくれました。
窓が大きかったダブルルームを選んで、早速プラハ観光スタート!

ホテルのすぐ近くでランチに地元料理とビールをお腹いっぱい食べた後、モルダウ川方面へ。もちろん口ずさむのはスメタナの『モルダウの流れ』。「モルダウ」ってドイツ語なんですね。チェコ語では「ヴルタヴァ」だそうです。
歌ってたので、写真なしっ。

橋を渡ってまずはメインの広場へ。

観光客でいっぱい!


学生の頃から見たかった時計塔。からくり時計が動く様子も見てきました!




何ヶ所か見かけたけれど、大きな紐を使ったシャボン玉の大道芸も。この女の子、がんばっていたけど、、、うまく飛ばなかった。残念!



そして相方が一番行きたがっていた、ユダヤ人街へ。相方にとっては2度目のプラハ。このユダヤ人街の旧ユダヤ人墓地とその近くにあるシナゴーグに強い印象を受け、絶対にここは行く!と言っていたところにまず行ってきました。

表に見える墓石はこんな感じだけれど、15世紀から18世紀に渡って使われていた墓地で、敷地が足りず、実際はこの下にも幾重にもお墓が重なっているそうです。



墓地の端に建てられたピンカス・シナゴーグは、相方が私に一番見せたかった場所。
「(シナゴーグに)入ればボクの作品の意味がわかるよ」と言っていた相方、入った瞬間に、衝撃。(撮影禁止だったので写真なしです。)
壁すべてにホロコーストで犠牲になったユダヤ系市民の名前、誕生日、送られた収容所などが細かい字で書かれています。

相方はアーティストで、イラスト、絵画、その他の作品やビデオ作成を手がけています。一昨年、本人の活動の中でも一番思い入れが強い作品を作ったのですが、そのインスピレーションを感じたのはこのピンカス・シナゴーグだったようです。
こんなことを書いても、作品を見なければ意味は伝わらないのですが、私にとっては相方の作品の原点を見れて感慨深いものになりました。

余談ですが、私、勝手に何を間違えたのか、相方の家系はどこかにユダヤ系の血が入っていると思っていたんです。相方自身、妙にユダヤ系のことに関心を示すことがあるし、実際に母親のおじさんは強制収容所で亡くなったので。
このプラハ旅行の前に確実にわかったこと、、、。家系には直接的にユダヤ系はいなかったらしいです、、、。ははは、私の勘違い。
でも、相方本人、なぜかユダヤ系の文化に魅かれるところがあるらしいので、そんな私の勝手な思い込みもでてきておかしくないだろうと笑ってましたが。(母方の伯父さんが収容所に入ったのはなぜかまだ聞いていませんが、、、。)

ユダヤ人街に行ったのは、この地区の有料観光地が閉まる直前。相方がどうしても見たかったピンカス・シナゴーグと旧ユダヤ人墓地だけ見て、あとは入れませんでした。ユダヤ人墓地で散歩して時間を取り過ぎたし。思ったより広かったです。

かたつむり発見!
この墓地では小石をお墓の上において偲ぶ習慣があるというので、私もひとつ置いてきました。

旧ユダヤ人墓地にいるころから雨がぽつぽつと降り始め、、、。ざーっと降ってきたので、さっき通ったメインの広場にある市民ギャラリーで開催していた『The World of Tim Burton』展へ。


相方も私も、割とティム・バートン好きなので、偶然に通りかかってこの展示を見つけたときにプラハ滞在中に行きたいねと話していたのですが、思わぬ雨で避難所のように直行。

でも、これがすごく良かったんですよ! ティム・バートンが描いたラフスケッチや、これを発表しないでどうすんの?というようなBurtonismの世界。
今、世界各地を回っているようなので、これからプラハに行く予定があるティム・バートン好きは必見ですよ! 8月初めまで開催中です!
日本にもそのうち行くのではないかなぁ。

ランチの時間が遅くてお腹いっぱい食べ過ぎたので、ギャラリーの後はまた雨を除けて逃げ込んだショッピングモールでサンドイッチどビールを夕食にしました。

朝も早く、相当疲れた私。
早く買えって寝たいと思いつつも、泊まっていたAndel駅近くに夜中12時まで営業しているスーパーTescoがあったので、水を買いに行こうと寄ったらば、、、。
はまった! 
二人して、旧社会主義っぽいパッケージを探そう!と妙に張り切ってしまって、スーパーの中をぐるぐるとまた1時間以上も歩き回ってしまった、、、。

- プラハ1日目 覚書
・空港から市内への交通 1人、32コルナ(約1.30ユーロ、100円いかないくらい)
・ランチ(ビール2杯ずつ、前菜2品、メイン2品、コーヒー)、チップ込みで700コルナ位(約28ユーロ、3800円くらい、私たちには大盤振る舞いな方かと)
・The world of Tim Burton 1人、190コルナ(8ユーロくらい、1000円ちょっと。美術館はイタリアも日本も高いので、安めに感じます! あの見ごたえでこの値段は安い!)
・ユダヤ人街観光施設セット 1人300コルナ(12ユーロ位、1600円位、地区内の5〜6個の施設に入れるチケットです)

トレント その3 中心街へ

トレントの中心街は、自然科学博物館MUSEから徒歩で10分もかからないところ。
自然科学博物館の裏庭側から出て線路の高架下をくぐり、墓地の横を通り抜け歩いていくと、いつの間にかチェントロへ。

チェントロのドゥオモがある広場では、お花のマーケットが開かれてました。


こっちの地方に来たら、やっぱりビールでしょう! 
相方と地ビールを探し求めて歩き回ったのですが、地元のビールが飲めそうな、しかも高くなさそうなところは日曜日のせいかほぼ開いておらず見つからない!
ビールを飲めそうなところを探しつつ、観光をしつつ、、、歩き回り見つけたのは、Yarn Bombing! スプレーやチョークではなく、毛糸で編んでグラフィティのようにストリートアートにしてしまおうというもの。写真ではみたことがあったけど、本物をみたのは初めて!
このお店、Casa del Bottoneにも入ってみたかったけど、残念ながら日曜日でお休み。次にトレントに行く楽しみがひとつできました!



さらにビールを求めて歩いていくと、装飾の綺麗なドアにチョークで書かれた文字を発見。
相方が「ほら見て!」と。

"20+G+M+B+14"とチョークで書いてあります。



「どこかで見たことない?」とうちの相方。
そうそう、見たことある! わが家にあった相方のおばあちゃんの嫁入り家具に書いてあった!
これは家を祝福するために聖職者が家に書いていくらしいです。このチョークも教会で祝福された神聖なものなんだそうな。
意味は最初と最後の数字を合わせて年、つまりこの場合は2014年。Gはガスパール、Mはメルキオール、Bはバルタザールの3人の博士の名前。キリストが誕生したときに東からやってきた3人の博士です。
この3人の博士がこの家を訪れましたよ、という意味らしいです。

なぜ、相方のおばあちゃんの家具に書いてあったのか、、、? おばあちゃんが孫に見せる為に書いたのかと思うと相方は言ってました。

キリスト教でもどういう宗派に家の祝福をする習慣があるのか知りませんが、イタリアでも北部、オーストリアやドイツ方面でよく見かけられるとのこと。相方のおあばちゃんはオーストリア人なので、そういう習慣の中で育った方なのかと思います。


ビールはその後見つかったかというと、、、。見つかりました!
Forstというトレントよりも北にあるMeranoのビールのビアホールに行ってきました。
こちらはそれなりの有名メーカーなので、地元っぽいところが見つからなかったらここにしようと決めていて、最終的に見つからずにここに戻ってきたわけです。
いずれにせよ、ビールはおいしかった! チーズの盛り合わせと合わせていただきました!

日は長くなったけど、遅くならないうちに帰ろうと街を出ようとしたのが6時ちょっと前。
地図を見る限り、元来た道を戻るのが一番いいと思っていた私ですが、、、うちの相方と一緒ではそうはいかない、、、。

「こっちから行こうよ」と道を変え、「そっちに行くとかなり先に行かないと線路を渡れないはず」という私の意見も聞かず、「あそこに出口って書いてあるよ」とずんずんと奇妙なところに入っていく。
どうやら駐車場を通り抜けできる様子。通り抜けようとすると反対側の門は既に閉まっている。
「ほら、やっぱり戻ろうよ」と戻ると、、、。入ってきたところにあった門も閉められた!
だって、18時だもん!
どうやらその駐車場は、博物館から線路を渡ってきたところにあった墓地の駐車場。18時だから閉門時間で門を閉められちゃったんだ!
これだから相方の後を着いていくとロクなことにならない、、、。

それならば、墓地の表側に回って別の出入り口を探すしかない。墓地側を探そうとすると、、、。

野うさぎが! ぴょんぴょんと出てきた!
私たちと距離をとりつつ、ぴょんぴょんと前を行くウサギ。私たちはすっかりアリス気分でウサギを追いかけたら、、、墓地に出れた! (実際、ウサギがいなくてもぐるっと回れば見つかる位置ですが、、、)

ウサギとはそこまでで門に向かうと、やっぱり閉まってる。

イヤな予感はしてたけど、まさに「しまった!(閉まった!)」の瞬間。

仕方ないので、鉄柵を登って越えて出ましたよ。こんなの長いことしてなかったわ。人目を忍びつつ柵を越えるとか、、、。子供じゃないんだから。
越えやすい鉄柵で良かった。石の壁じゃなくて。

日が長くなったおかげで、暗くなる前に墓地から無事に抜け出せて良かったー。今後は相方の選ぶ道にはついていかないぞー。