Sunday, 28 April 2013

ちょっと観光 - バルセロナ

一泊二日のバルセロナの旅。(目的はお葬式ですけどね。)
家を夜中の3時に出て、一日中朝から晩までお葬式行事。
翌日は、ホテルを出てバルで朝ご飯を食べ、友人宅に向かいみんなでお散歩してきました。
友人宅はバルセロナの中心街を徒歩で動ける圏内なので、「ちょっと散歩」と言っても、有名どころに行けちゃいます。
でも、私たちの飛行機は16:30。その前に他のフランス人一家の飛行機が15時くらい。
限られた時間の中、久しぶりにバルセロナを訪れた相方マンマのリクエストで、1カ所、観光してきました!

ポンペウ・ファブラ大学という比較的新しい公立大学に行ってきたんですけどね、前にもここの横は通ったことがあって、相方がいつも「ここの図書館がすんごい建築で、、、」と言うのだけど、中に入ったことはなし。

で、今回、中に入ってきました!

私たちは10人ちょっとがぞろぞろと連なって歩いていたのだけど、この図書館の建物の横に来たとき、みんなでガラス越しにのぞき込む。
中からみたら、「観光客が来たなぁ」って感じでしょう。

しかしこの図書館、まともに入る入り口はないのですよ。
どうやって入るかと言うと、この図書館の建物を通り越し、ずんずん進んでワンブロック先にある別の校舎まで行き、中庭にある階段を下りて地下にある入り口(ここも図書館だった!)から入り、元来た方向に戻るように、校舎の地下をてくてくと歩いていくと例の図書館にたどり着けるという、何ともややこしい構造になってるんです。(だから相方がこれまで中に入らなかったわけだ!)



そしてたどり着いた目的の図書館がこちら!



ええ!? 美しい!

どこまでも、どこまでも続くこのアーチ。

















ほらほら、斜めにみても!

均整が崩れない。




















横から見ても、もちろん美しい!




















今は図書館ですが、この建物はもちろん再利用。
元は貯水場なのです。

で、このひたすら続くアーチの美しさ。構造設計にアントニオ・ガウディも携わっていたと、図書館の外に掲示してある歴史的建造物の説明の看板に書いてありました。

な〜るほどね〜。

友人が「バルセロナの中心部に配給するだけの水をどうやって貯めるか、、、」など、説明をしていましたが、私は天井の高い図書館の空間に圧倒されて聞いていませんでした。ははは。
それに圧倒されちゃって上を見上げるばかりで、階上に上ってこなかった! くぅ! もう一度行くぞ!

図書館にたどり着くまでに歩いてきた地下も、図書館というか、資料室というか、学生でごった返してましたが、ここの貯水場跡図書館はなぜか人が少ない。入り口近くにコンピュータとかそういう設備があるから、それを利用したいのかな。
私だったら、わざわざでもここに来て勉強したいのになぁ。

1990年創立の比較的新しい大学で、他の校舎はいたってモダン。(ここ以外にも校舎は点在しているらしいけど。)
メインキャンパスはオリオル・ボイーガスのMBM事務所だそうです。メインキャンパスの写真、撮ってないけど、、、。目的が貯水場の図書館だったし。




友人一家の長女は、ちょうどこの大学で博士課程を終えたばかり。

彼女が授業を受けた教室の外はこんな感じ。













そして図書館の外は、いたって「キャンパス〜」な雰囲気あふれる大学でした。

奥が貯水場跡図書館の建物。
図書館の入り口側は中庭も学生でいっぱいだったけど、こちらはゆっくり。

気持ちいいね!






今回、相方マンマが「もう一度見たい!」とリクエストして散歩がてら行ってきた図書館。(←相方マンマは随分前に見たことがある。)
建築家である相方マンマは、ヴェネチア大学でカルロ・スカルパなどから指導を直接受けている。見る目が違います。
「見る目が違います」って、「私とは」と言いたいのです。
実は、実は、実は、、、。私も大学の建築学科出身。建築の仕事はほんのちょっぴりしかしていないし、そのときの仕事のトラウマも激しくて建築熱は遠くの彼方へ置き去りにしてきちゃったけど、こだわって建築探訪の旅するのは楽しい。
トラウマはあれど、心の中にはやっぱり何となく建築好きのウキウキ感は残っているしね。

また色々と調べて見に行きたくなってきたぞ。




Saturday, 27 April 2013

お葬式の後に思うこと


前々回前回のスペインで参列したお葬式の続きです。
いつになく、真面目なことを書いちゃおうかと。

去年の8月の終わりに、ご夫婦そろって私たちの街に遊びにきてくれました。
相方の家族とこちらの家族が出会ってから約30年。ほぼ毎年、夏になると遊びに来ていたのですが、奥様の病気が発覚した一昨年はそれがかないませんでした。
去年の夏は治療にいったん目処がつき、元気を取り戻していたので、夫婦揃って「世界で今一番落ち着くところに行きたい」と言って来たのがこの街。

毎年ここに遊びに来ると、相方マンマ宅に数泊して帰ります。その間、本当に特に何もしないんです。わざわざ出かけたりすることもなく。朝食を食べて散歩とバールでひといき、昼ごはんを食べてシエスタ、読書して夕食。夕食後は畑の小道を散歩して、夜はゆっくりとおしゃべり。まさに、ゆったり滞在。

大概は、自分たちの旅行の最後にゆっくりするために寄ってくれる(旦那様は運転できないので、奥様がバルセロナからどこまででも運転する)ので、本当にゆっくりするために来てたんだろうなぁ。私たちの結婚式の前に遊びに来たときは、ギリシャからの帰りでした。結婚式も車で12時間かけて来てくれました。

私たちが結婚してから、相方の仕事もあって私たちがバルセロナに行く機会もあり、互いが行き来して年に2回は会っていました。
私はこの友人とは英語で話していましたが、少しずつイタリア語を覚えてからはイタリア語を交えて話すようになりました。
一昨年の夏、当時イタリアに住み始めて1年足らず。私の気持ちの浮き沈みはもちろんあり、沈みの方が多かったほど。主な原因はコミュニケーション。それがなぜか、バルセロナに行って友人とイタリア語を交えて話していたら、「あら、イタリア語会話が上達してる!」ってブレイクスルーを感じました。

彼女は私にそうしようと意図したわけではないと思うけど、私は彼女を切掛けにブレイクスルーがあって、その後すすすっと言葉が出てくるようになったのです。
会話が出てくるようになれば、あとはハートをオープンにするだけ。それまで自分でおかしいと思うほど引っ込み思案になっていたけれど、本来の自分を取り戻す切掛けを与えてくれたのはこの友人だったと思っています。

いつか何かお礼がしたいと考えつつ過ごしていた夏に遊びに来てくれて、療養中の彼女のリクエストもあって、滞在中にリストラティブヨガのレッスンを何度かしました。
一般的なヨガのエクササイズでも何らかの運動でも、身体を動かして交感神経が活発になるのが人間の通常の反応。でもリストラティブヨガは、無理なく身体を伸ばしてポーズをとって、副交感神経に働き掛けてリラックス効果とエネルギーチャージを促すもの。だから療養中の方にはぴったりなのです。
彼女にとっては初めてのリストラティブヨガだったし、普段はせかせかと留まることがない人なので、身体がうまく受け入れてくれるか不安はありましたが、とてもリラックスしてもらえて、後からとても良かったと言ってもらえました。
ちょっとこれでお礼ができたかな。

このご夫婦曰く「世界で一番落ち着くところ」に住んでいる私ですが、私にとってはまだその思いにはいたらないまま過ごしてます。



実家に住んでいた頃にいつも利用していた駅前に葬儀屋があって、学校帰り、仕事帰りは毎日黒い服の人たちが葬儀屋の前で列をなしているところでバスを待っていました。1日に何件も重なることもあるので、相当な参列者数になります。
自宅まで行く道のりにも大きな墓地があって、ここでも毎日のように葬儀をしています。
自分が結婚式に出席した帰りであろうと、友達に子供が生まれたというニュースを聞いた日でも、同じときに誰かが誰かを見送っているわけです。
世界中のどこかで命が生まれ、誰かが家族友人の冠婚葬祭に立ち会っているということですよね。
私が都内に住むようになり、駅前の葬儀屋もバス停も駅前開発で少し移動して、喪服の列をみる機会が少なくなって忘れてましたが、葬儀の後の墓地でバルセロナの空を見上げたら、私がどこにいても、私の周りで命は生まれ変わっていくんだったな〜って改めて思いだしました。ちょうどそこに生後数カ月の赤ちゃんがいたからかもしれない。

今、住んでいるところは「世界で一番落ち着くところ」にはなっていないと書いたけれど、これも自分の見方次第なのではなかろうかと思ってます。
そう思ったところで、これも「ブレイクスルー」がないと心から実感できないのかもしれない。
何が切掛けでブレイクスルーがあるかわからない。でも、感じ取れるよう、ビビビッと敏感になっとかんといかんな、と思う今日この頃。

こういうことに気付かせてくれたこの友人にまた感謝、なのです。

バルセロナの夕日 2011年7月

そして、そして、そして、、、。
友人が亡くなった連絡があったのは月曜の朝。日曜の昼過ぎから容体が急変し、日曜から月曜になって2時ごろに静かに息を引きとったと聞きました。
とても不思議なことですが、ちょうど日曜日、彼女のことを考えてたんですよ。
状態が思わしくないことはしばらく前に聞いていたので、彼女のことがよく頭に浮かぶのは私も相方も同じ。ただ心配だから。会いに行きたくとも、今は大変だから控えて欲しいというご家族の意向もあり、遠くから心配して回復を願うだけでした。
でもこの日曜日に彼女のことを考えていた理由は、私の身体が動かなかったから。
とんでもない疲労感に襲われて、午前中は重い身体をひきずってある程度の仕事を片づけ、午後からひどくなり昼ごはんを食べて片づけもせずにベッドに入って寝てました。こんな疲労感は初めて。何もしてないのに!
彼女に病気の診断がされる前、ちょうど私たちはバルセロナに遊びに行ってお世話になり、彼女たちもこちらに遊びに来ていました。「とにかく疲れがとれなくて、めまいがして」と訴えていたのを覚えてます。(最近は見かけなくなった)磁気ブレスレットを一緒に買いに行ったりも(笑)。
だから、この疲労感を感じながら「あぁ、あの人は毎日この疲労感と戦ってたのだろうか」と考えていたのです。
夕飯は、相方があまりにも心配するので、少し無理をしながらも起き上がって食事をし、その後もまだ寝れるだろうか?と頭で考えたけれど、ぐっすり。
翌朝は前日ほどの極度の疲労感はありません。よく寝たからということもあるでしょう。
そして、朝早く、相方マンマから電話があり訃報を聞きました。

何だったのでしょ? あの極度の疲労感。時間的にも彼女の容体が急変したのと、私が疲労感に耐えられなくてベッドに入ったのは同じくらいかと。

いや、何でもいいです。彼女が私のところに来ていたのならば、来てくれてありがとう、そう思ってます。

うーむ、それにしてもちょっぴり考えてしまう。何だったのでしょうかねぇ。

Friday, 26 April 2013

スペインのお葬式にて (その二)

前回の続きです。

スペインのお葬式に参列したのですが、どこの国がどういうお葬式をして、、、って、国の中でも地域によって様々なのかと思います。なので、私なりの目線で気付いたことを。

お別れの仕方にもそれぞれの方法があるかと思います。
葬儀に参列すると決めてから、もしかして、棺の中の遺体のほっぺにチューとかするのだろうか、、、なんてことも想像しましたが、今回それはなかったです。
棺ごとガラスケースに入っていて、ガラス越しに挨拶しました。そっと、心に思うしかないですね。他の参列者も声に出して話しかけている人はいませんでした。

棺の中の友人は、黒いワンピースにハイソックス。
その編み込み模様のグレーのハイソックスですが、何だか生前の友人の姿が思い出されて何となく嬉しくなりました。
映画『おくりびと』でも、亡くなったおばあちゃんが生前、高校生の孫のルーズソックスを履いてみたいと言っていたからと、孫がおばあちゃんを棺に入れる前にルーズソックスを履かせてくれとリクエストしたシーンが思い出されました。

実際、娘さんに「ハイソックス履いてて、何だかあなたのママらしいなと思った」と言ったら、「そうね、でも実は肌がきれいじゃなくてね」と言ってました。
あ、そういえば、棺の中の人の足って見たことない。日本では大概足首まで隠れていて、足袋を履いてますよね。もしかしたらあらわにするものじゃないのかも。
言われてみると、棺の内側には白いサテン地で飾られていて、足の部分が覆われるようになっていました。隠すものなのね、きっと。
棺に入る前の遺体にまだ対面したことがないので、想像でしかないのですが。

棺ごと保管されていた葬儀場には、受付近くにショーケースがあって、色々な飾り物がありました(おそらく売り物)。
手の平サイズの骨壷型のものがあったり(素材はステンレスっぽい。何を入れるのでしょうか、、、やっぱり用途は骨壷?)、遺体に着せる(飾る)ためのネックレス、帽子、そして雨傘までもが、、、。これは棺の中に入れるものなのだろうか?

出棺、葬儀、土葬が終わり、対外的なことはこれで終了。
この後、どうしたかと言うと、、、。
日本ならば、通夜や葬儀の後にちょっとした食べ物が用意されていたり、ということがあるでしょう。
各家庭の事情で変わってくるかと思いますが、ありました。
ご家族のご友人が大量に用意してくれて、自宅に集まってみんなでいただきました。
最初は10人ほどしかいなかったけれど、入れ替わり、立ち替わりで、合計すると40〜50人くらいはいたのではないかと。
午後4時くらいから、私たちが帰ったのは10時過ぎ。その後も続いていたので、ほとんど飲み会のようなもの。途中から、ふたりの娘の友達が多くなったから、そんな雰囲気が強かったのかも。

翌日、みんなで散歩しようと約束していたので、2時間ほど散歩+観光して、3時には空港へ向かい帰ってきました。

しかしまぁ、このご家族、友人が多い。そして色んな言葉が飛び交う!
前回書いた通り、自宅にまず行ったら、フランス人親子がいたのでフランス語。お父さんはフランス語のみで、お母さんがフランス語とスペイン語と英語を少し、娘さんがフランス語とスペイン語を少し。
葬儀の友人挨拶3名も、一人目スペイン語、二人目イタリア語、三人目カタルーニャ語(バルセロナがあるカタルーニャ地方の言葉)。
基本的にはスペイン語、カタルーニャ語、フランス語、イタリア語の4つの言葉が飛び交ってました。
そうだった、ここのご家族、この4つの言葉を操るのだった、、、。プラスして英語も。そして次女はドイツ語も。あぁ、ヨーロッパだ、ここは。(英語は飛び交わなかったけどね。)

スペイン語は挨拶しかわからないし、フランス語はほとんどわからない。だから、似たような言葉があればそこから想像するしかない。
でも、カタルーニャ語は単語がイタリア語に似ていることが多い。なのでカタルーニャ語を話す人にイタリア語で話しかけたらわかってくれる。なので、私でも会話できちゃったりするのだ。
いずれにしろ、近いところの言語ってすごいなぁ。

ふとした瞬間に、この中に亡くなった友人がいない、という事実を実感します。
ご家族にはなおさらでしょう。節々で娘二人はそのことを口にしていました。その場にいる人みんなそう思ってたと思います。

お葬式の様子はこれでおしまい。

でもこういう場を目にすると、色々なものを感じます。次回はそれを。



散歩中の公園  バルセロナ、暑かった!







Monday, 22 April 2013

スペインのお葬式にて(その一)

今週は水曜、木曜の1泊で急遽バルセロナに行ってたのですが、なぜゆえ「急遽」だったのかと言うと、お葬式でございまして、、、。

相方家族の古くからの友人で、私たちの結婚式で証人になってくれた方の奥様が約2年の闘病の後、月曜日の明け方に永眠。
私にとっては、相方と出会ったときと同時に知り合った家族で、この土地に嫁に来て相方家族と、もうひとつの家族ができたようなおつきあいをさせていただいてます。

今も彼女のことを思いだすとしんみりとしてしまうのですが、あまりにもステキなお葬式で、私にとっては珍しいスペインのお葬式体験だったので、ここに書こうと思います。

ところで私、日本以外でフルで葬儀に参列したのは初めて。
イタリアでも相方の友人のお葬式を覗いたことはあったけれど、教会に置かれた棺に挨拶をしただけ。
今回は家族とほぼつきっきり。「フルで」と言いたいのは、日本でも家族じゃないと体験しないほどの密着ぶりで今回の葬儀に参列したのでした。



朝一番の飛行機に乗るため(葬儀は昼)、3時に起床。相方、義母、義弟と4人で空港へ。ミラノエリアの3つの空港のうち、一番遠い空港だったので朝早いのは仕方ないのよねー。

バルセロナに到着。すでに疲れを感じながらも、ふらふら〜っとしながら空港で朝ご飯を食べ、タクシーに乗り込んで友人宅へ向かった。

友人宅へついて家にあがると、迎えてくれた旦那様の腰にはバスタオル。
そう、このおっさん、朝は常にこの格好なのだった。私も何度も泊まりに来ているので知っている。
キッチンではフランス語が飛び交っている。
フランス人が3名、朝ご飯中。見たことある顔。でも会ったことないよなぁ。
なぜ会ったことないのに見たことある顔と思ったのか。それもそのはず。
このお宅には壁に友達の写真がたくさん貼られているのです。ぺたぺたと。セロテープで直接。ちなみに私もいます。

言葉がわからずも挨拶はできる。名前を言ってほっぺを右、左とくっつけてチュ、チュ、とするだけだから。お互い顔見知りのような気がして、初めてのような気分はありません。

朝ご飯に加わって、ひとしきりしゃべった後、歩いて10分もかからないところにある葬儀場へ。
ここには20ほどの個室があり、遺体が保管されています。個室の他に、葬儀を行う会場もいくつかありました。いわゆる、葬儀場。
ここで葬儀を行う場合もあれば、教会に移動して葬儀を行う場合もあるようです。

静かに眠っている亡くなった奥様にここでご挨拶。
棺に寝かされて、棺ごとガラスケースに入っていました。おそらく温度調節されてるのでしょう。部屋には花輪がいっぱい。花の種類は色とりどりです。ゆり、ばら、ひまわりもあります。

このあと、教会で葬儀を行うので教会へ移動。葬儀場を出る前に棺は閉じられて、その後は開けません。
棺を乗せた霊柩車は、霊安室にあった大きな花輪で飾られ、一目で霊柩車とわかるというようなものでした。
その後ろを家族が乗った車、そして私たちはその後ろの車に乗せてもらいました。


葬儀の翌朝、教会の前の広場にあるバルで朝ご飯
葬儀を行う教会は、バルセロナの旧市街にある有名なサンタ・マリア・デル・マル教会。普段は観光客も多いゴシック様式の古い教会です。
この日も教会の前は観光客と市民でいっぱい。その中を車で入っていき、棺が入場します。
棺の後ろを私たちもついてゆき、一番前の親族用に用意された席に着席。

葬儀は神父様のお話、お祈り、友人代表の挨拶、パイプオルガンとバイオリンの音楽、、、と約1時間ほど。
言葉がわからない私には、立ったり、座ったり、周りについていくだけでした。ははは。教会の礼拝には何度も出たことがあるので(日本で)、それほどびっくりすることはなかったけど。

葬儀が終わり、棺はまた霊柩車に乗せられ、家族は参列者ひとりひとりに入り口で挨拶。これが何と長かった! それだけたくさんの参列者がいたわけです。
私たちは挨拶が終わるのを待ち、また同じ車に乗り込んで霊柩車の後をついていき、次は墓地へ。

墓地はバルセロナの町を取り囲む山の上にありました。
バルセロナの空港に近いところに、海に面した斜面を使った墓地があって、眺めはとても良いのですが、棺が入るお墓は、日本的に説明するならばカプセルホテル状態。イタリアにもこれはありますね。
こちらの家族はどうしても土の中に入れてあげたくて、少し遠いところを選びました。
山の上の公園のようなとても広い墓地で、ここにもカプセルホテル状態のお墓と、土に入れるお墓が並んでいました。緑に囲まれたとても静かなところ。海に面した墓地にしろ、山の上の緑に囲まれた墓地にしろ、バルセロナの墓地はとてもいい感じです。
奥様が眠る場所は既に土を掘ってあり、私たちが到着した後、バスで移動している人たちを待ってから、棺を土に納めました。

ところでこのお墓、深い。なぜこんなに深いのか? これほどまで深くしなければならない理由があるのか?
棺が納められ、セメントブロックをはめて蓋になり、その上に空間ができました。セメントブロックの上にビニールでカバーした後、土がもられてゆきます。
あ、この空間はもう一人分ってことなんだ。土葬の習慣ではひとつのお墓に何体も入らないでしょう。でも、2体分を用意している。旦那様の気持ちを察した瞬間でした。
私たちもひとりずつ、手で土をすくってもり、私はここで最後の挨拶の気持ちをこめました。
土を盛った後は、参列者の後ろに回ったのでよく見ていませんが、持ってきた花輪をどっさりと置いて終了。

ミントの香りがふわっとしました。
葬儀社の方が花束をばさばさと運ぶのでそこらじゅうに花や葉が落ちるのですが、誰かが贈った花束にミントの葉を使ったものがあって、落ちたミントの葉の上を誰かが歩いて香りがたっていました。

この日は暑いほど天気がよく、陽射しの中をミントの香りをかぎながら、墓地をあとにしました。
今後ミントの香りがしたら、私は彼女のことを思いだすような気がします。



教会の話に戻りますが、教会のことはほぼ無関心な相方が「神父様の話がすごく良かった」と、教会の葬儀が終わってすぐに私に教えてくれました。
サンタ・マリア・デル・マル教会は、名前にMar(海)がついています。港町バルセロナの海で働く人を守護する教会と聞きました。
水が関係することから神父様は「人は水から生まれ、水に帰っていく」という話をされたそうです。
あぁ、そうなんだ。この気持ち。日本でよく海で遊んでいた頃、海にぷかぷか浮かびながら、何て気持ちがいいんだろう!って感じていた感覚は今も忘れてません。水の中で暮らすのはどんな感じなんだろうかって考えることもよくありました。私の骨の一部は海に撒いてくれって相方に言ったこともあります(その前に、どこで葬儀しようと火葬にしてくれって頼んでます)。私も理解したかったなぁ、このお話し。
相方だけではありません。在バルセロナの相方の一番の友人も普段は教会のことは無関心以上に”アンチ”な立場ですが、この話には感動したそうです。
それに喪主である旦那様も、この神父様のお話の後、「この神父様、好き。教会へのイメージが変わった」と言ってました。葬儀に行く直前は私に「ここからは宗教的なことするからね、我慢してね」と言っていたほどなのに。
あぁ、私がスペイン語を理解できればもっと感動できたかもしれないのに。



さてさて、ずいぶん長くなってしまったので、第2段は後日に記そうと思いまーす。




Saturday, 20 April 2013

春はやっぱりぐぐぐっと成長する時期

ふと思うことがありまして、、、書いときます。

イタリアに来て、3度目の春です。
日本ならば、学校が始まったり、会社に新入社員が入社する時期だったりもするので、社会行事のような感じで「何かが始まる」「新しい風が入ってくる」ことを感じますよね。(実際は働いていた会社は新卒社員を採用することがほとんどない会社だったので、通勤中に明らかに新入社員と分かる初々しさを目にするだけなのですが。)

春といえばパスクアってなイタリア。
でも、カレンダーは毎年変わるので、何となく一定したものがない。

でもやっぱり春は新しいものを感じてます。

今年は友達が増えました♡
3月にも念願のブロ友さん、yuminaさんとも実際に会えました。ボローニャの絵本見本市でも、お友達が増えました。
先日も書いたように、石けん造りなどしてみたり、4月に入ってから隣町で開催しているヨガ教室に二人新しい方が加わりました。そのうちのひとりがヨガの後に私が住んでいるところの近くまで仕事に行くので、そのついでで送ってもらうことになり、ヨガの後に彼女の家に行ってちょっとしたコーヒータイムになったり。
この方、在イタリア20年になるグルジア人。グルジア語、ロシア語の通訳をこなし、さらに勉強のために外国人向けイタリア語学校に通っている。私のヨガ教室を紹介してくれたのは、このイタリア語学校の先生。この方も私の教室に来てくれる生徒さんです。
他にも学校で出会った在イタリア10年ほどになるロシア人女性をヨガ教室に連れてきてくれて、最近は何だかワイワイと楽しんでます。

去年の春は、どうやって友達を増やすべか〜と悩んで、在伊日本人のブロガーさんにコメントしてみたりしてチビチビと輪を拡げてました。
この年も、今も、チビチビとブロ友さんが増えてます♪

一昨年の春は、イタリアに来て1年も経ってませんが、義弟の奥さんの助けもあって4月にヨガ教室を始めることができたしね。

やっぱり、春でしょう。季節と人のつながりに感謝を感じてます。

私は決して引っ込み思案でもなければ、内気な方でもないと思っています。
なのにイタリアに来てから、パッとしないんですよ、パッと。半ひきこもり状態のような、、、。
パッとさせるには、自分が行動! 自分が行動すれば周りを引き付けて動いていける!
小さなことでいいから、少しずつ動かないと何も動かない。

来年の春も成長してますように。

もう遅いけど、4月2日に撮った近所の桜です。来年もたくさん花をつけますように。



Friday, 19 April 2013

またまたイタリアパーンチ!を浴びた日

いきなり初夏に近い気温。
昨日、一昨日、用事があって急にバルセロナに行き、結構暖かかったので、「バルセロナだからでしょ」って思っていたけど、それだけでもなかった様子。
北イタリアも昨日から暑い、暑い。初夏だね、初夏。これでまた5月、6月頃にひゅーっと冷たくなったりするのだろうなぁ。
バルセロナでも、薄手のダウンジャケットを着てる人からチューブトップまで色々。着るもの選びに困っちゃうんだよね。
それより、もう一気に毛糸ものは洗濯しなきゃ。

バルセロナのことは後から書くとして、今日は急な旅とてんこもりの仕事を処理しつつ、隣町までヨガを教えに行ってきました。
14:29のバスに乗る、これがいつものパターン。昼間は1時間に1本しかないバス。
バス停に行くと、やけに大きい文字で印刷された注意書きがある。
「2013年4月15日より、駅前広場のバス停は通りません。その代わり、駅前通りのバス停を利用してください。○○通りと××通りのバス停は、降車のみに使用することとします」とな。
私が利用するバス停の前後のバス停の話である。それならば、私のバス停は関係ないでしょう。でもね、、、。

念のため、相方に電話して書いてある内容を伝え、私の理解の足りないとこがないことを確認。よし。

でも何か心に残る不安、、、。

バス停で時刻表を探せども、私が乗るバスの路線だけがない、、、。

不安だ〜。

相方に再度電話して、バス会社のサイトを調べてもらうと、、、。

やーーーーーっぱりっ!
4月15日から時刻表が変わってる。今までより9分早い! そして次のバスは1時間以上も先。間に合わないよ、クラスの時間に。

やられたぜ、またしても、、、。がっつーんと来たぜ、イタリアパンチ。

急遽、相方に送ってもらうことにして家に帰って出なおした。

あーあ、悲しくとも、悔しくともないのは、何ナノだろうか。あきらめか、感情が消えたか、、、?

相方に送ってもらって時間通りに着いたのでほっとした。
ヨガのクラスの前に、いつも一番に来るクリスティーナに愚痴る。
クリスティーナも「電車通勤してたころはしょっちゅう何時間も時間を取られてたわ〜。遅れ、キャンセル、事故、、、」と笑う。(今はフリーランスで家から仕事をしている。)

時間を取られつつも、文句を言いつつも、何も変わらない、これはいつまでたっても変わらんのだろうなぁ。

2週間前、ボローニャから帰ってきたときに、すごく寒い中を2時間バスを待った。同じ路線のバスである。
このとき2時間待ったのは、パスクア休暇で学校が休みだから、学校があるときにしか運行しない時刻のバスが休みになってしまったから。そばにいたアフリカ系の女の子なんか、「何で? このバスがなかったら、仕事先で殺される〜」って叫んでた。いや、もちろん笑いながらだけどね。
パスクア休暇のバスの運休も知らなければ(お知らせなんて貼り出されたの見てないし)、このとき、今週から始まる時刻表の変更も貼り出されてなかった。

貼り紙がない場合、頼れるものは口コミかインターネットのみ。
インターネットは万人がアクセスできるものではない。この情報伝達の不備でどれだけの人が困るのだろうか。もしかして、「困る」って考えてるのは私だけ? 他の人、まさか困ってない?

こんなおかげで、またまたインターネットにかじりついてひたすら情報を得るしかないんだろうなぁと実感した瞬間なのでした、、、。

話はこれだけじゃー終わらない。
家に帰ってから、バス会社のサイトで変更を見直してみた。
なんとなく、、、なんとなく、、、そうなんではないかと予測してたけど、、、路線のコースが変わってるぅ。
何が変わってるって、私が乗るバス停は、反対方向のバス停で待ってないと乗れないようになってるのだー。だから、今日、たとえ早めにバス停に行っていたとしても、反対車線を走ってるし、しかも大きめのロトンダ(信号のない交差点で丸くなってるところ、英語で言うラウンドアバウト)なので、気付いてもだだだーっと走って追いつく距離でもない。

そしてこのお知らせ(バス路線の部分変更と時刻表の変更)、何日に発表されたと思いますか、、、?
このお知らせの内容が施行されるのは4月15日(月)から。

なんと、、、。
4月11日(木)に発表されたのでした、、、。
同じく15日施行のバス停移動に関する変更が発表されたのは4月12日。
バス停に必ずしも貼り出されているとは限らない。あー、こわこわ。

路線変更って結構な変更だと思うんだよね。それを4日前ですよ、よっかまえ
しかも、全バス停にきちんとお知らせが貼ってあるわけではない。私が見たのはバス停の変更のみで、路線の変更と時刻表の変更は、どこを探しても見当たらなかった!

言葉も出ませんわ、私。
このイタリアパンチにノックアウトされるのもシャクなので、試合放棄ってことにしたい、私。



Saturday, 13 April 2013

晴れた日の朝に女子4人が集まって、、、

やっと! 春めいてきましたー! 嬉しいよ、本当に。
家の中の方が冷えるし、太陽が出ているところに長時間いないと身体は温まらないから、まだまだ毛糸ものを手放せないでいるけどね。

いつも合気道に一緒に行っているエンツァに誘われて、朝からエンツァの友達のエレナの家へ。
うちから歩いて20分くらい。晴れた土曜の朝のいいお散歩になりました。

初めて会うエレナに挨拶をしてお庭でおしゃべりしていると、今日集まるもう1人のメンバー、リリアナが到着。

みんな手には多少の荷物。

私がもってきたものは、
・本
・ノート
・液体の温度を測るための温度計
・エッセンシャルオイル
・ホホバオイル
・プリングルス(ポテトチップ)の缶

ここで何をしに集まったか予測がついた方は素晴らしい!(直接使わないものも入ってるし。)

他、みんなが持ってきたものは、
・鍋
・秤
・牛乳パック
・オリーブオイル
・ガラスボウル
・紅茶
・オートミール
・カカオバター
・ココナッツオイル
・ひまわり油
・パーム油

ご存知の方ならば、予測はつくかもしれません。

そしてこちら。
・苛性ソーダ

そう、これは石鹸づくりの材料なのですよー。

私の荷物に入っている「本」は、日本で買ってもってきて以来2年半放って置かれた「はじめての手作り石けん 」という本。
今回はこちらに載っているレシピを参考にしました。 エンツァが年末に「初めて石けんを作った!」と言うので、私が「日本で一度だけ作ったことあって、こちらでも作りたいけど苛性ソーダとか名前もわからんし(Soda Causticoというらしい)、、、」と、このとき「苛性ソーダ」のイタリア語、さらには英語の単語すらわからず、「ほら、熱くなって危険なヤツ!」と説明してすぐにわかってくれたエンツァ。
今回、第2段ということで、私も仲間に入れてもらったのでした。

プリングルスの缶や牛乳パックは、混ぜ合わせた材料を流し込んで固めるための型。こちらは石けんができあがったときに、破るとか、箱を切るなどして簡単に取り出せる。
日本で作ったときにこれを使ったと話をすると、エンツァたちは初めてのときに野菜の入っているプラスチックトレーやオーブン用の平たいお皿を使ったから取り出しにくかったので、これはいい!と絶賛。

実はイタリア人に混ざって女子だけで集まって遊ぶって、私にとっては珍しい機会だったので、すごーく楽しめましたよ。
この年(みんな40前後)になると、ダンナもいれば子供もいるし、ましてや昔からの友達とばかりずーっと遊ぶ傾向が強いイタリア人。言葉もままならないうちは、そんな中に入り込むのって、とっても難しかったのです。
たとえ独身でも友達同士で集まるときに、彼氏・彼女つきが当たり前のようになってたり、ひとりだと「じゃ、行かない」と言い出す人も少なくないイタリアの方々。
私のように外国人ではなくても難しそうでしょ。特に都会じゃない場合は。
こういう機会が増えるといいなぁ。

あーでもない、こーでもないと言いながら(4人とも石けん作り素人)、リリアナの石けん作りの先生(「石けんの女王」とリリアナは呼んでいた)の助言を元に、ちゃっちゃっと2種類の石けん(牛乳パックとプリングルス缶2本ずつ)、リップバームを作ったのでした。
楽しかったよ。調理実習と理科の実験室がごっちゃになったような感じで。

ちゃっちゃっと4本分の石けんとリップバームを作ったけれど、リリアナはとっても時間に厳しいお姑さん宅で家族揃ってランチがあるからと、お互いに気を遣って、ささっと片づけて引き上げました。
エレナもエンツァも顔を合わせて「姑さんだからね」と肩をすくめて気の毒そうに苦笑い。
何の食べ物だったか、超辛いソースだったか、商品名に「姑の味」とついているものがあったのを見たことがある。どこの国も一般的な”嫁・姑”の話はつきない様子。

型に流し込んだ石けんは、最低4週間は寝かせなければならないので写真はまた次回に。

その代わり、エレナが「前回作ったものがまだあるの」と、前回の作品を私にくれた。
あとは、寝かせる必要がないリップバームはもって帰ったのでそちらをここでお披露目しましょ。


左上から時計回りに、はちみつ入り、カレンドラの花入り、リップスティック状のバーム、ジャーに入れたリップバーム、コーヒー入り。
石けんはほとんど香りが飛んでしまったなんて言ってたけど、コーヒー入りはまだほんのりシナモンやクローブの香りが。
使うのが楽しみ〜♡

今日作ったものは、半分はエレナ、半分はエンツァが持ち帰り、明後日の夜、エンツァと切り分け作業をして、その後4週間以上寝かせる予定。
オイルの調合がうまくいかないとうまく切れないとか、固まらないということになるらしいので、どうなることか、、、。





Thursday, 4 April 2013

ようやく完成! イタリア運転免許

3月末、ACI(イタリア運輸局が運営する自動車の手続きをする事務所、と私は理解してます)から電話がありました。

免許ができましたとな!

おおおおお! できたか〜!

12月3日に書類を提出し終えたので、やく4カ月、、、。遅いっ!
運転したくてたまらないわけではないし、必要性も緊急度が低いので、4カ月運転しないのも、1年運転しないのも同じようなものだけれど、とりあえずできました。

ボローニャ滞在中に電話をもらい、帰ってきてからパスクア明けに早速ACIに行きました。
電話で「日本の免許証を預けないと県の運輸局が免許を発行してくれない」というので、まずは日本の免許証を預けに。

これで日本の免許証は「取り上げ」というわけです。

で、翌日の午後には県の運輸局からACIの担当者が免許証を持ってきてくれるというので、また翌日の午後にいくことに。

なんとっ! ご丁寧にも、「免許を運輸局から持ってきましたよー」との電話連絡までくれましたっ!
これ、イタリアでは驚くべき待遇のような気がしてならないんですけどっ。

で、手にした免許証。
ごく普通のカードです。地がピンクで、左上にEUの旗マーク。その中央にイタリアの「I」の文字が。

氏名、生年月日、出生地、発行日、発行地、有効期限、番号、運転できる種類(日本でいう、普通とか中型とか)が示されてます。裏には、運転免許を取得した日付が入ってます。

相方に「感動する?」と聞かれましたが、、、。

ぜんぜん。なんで感動しなきゃいけないのよ。

感動するよりも何よりもね、顔写真が、、、。
頭の上部、ちょっとかけてるんですけど、、、。

私、どちらかというと、いや、どちらかといわずとも、「でこっぱち」。
その自慢のデコが切られてるんですけどっ。
この免許証、笑い草にしかなりませんがな。

他の在伊日本人の方のブログで、手続き担当者が写真と書類をホッチキスで止めたから、ホッチキスの芯が写っているという方もいらっしゃいましたが、それもひどい。

有効期限は10年後の誕生日だけれども、イタリアの免許の更新っていい加減。
手続き自体は視力検査などきちんとしているけど、免許は表に「更新したよっ!」ってシールを貼るだけ。
相方が去年更新したけれど、プラスチックカードの免許証が折れてるにもかかわらず、新しいものは発行されずシールを貼るだけ。
お金を出したら新しいものを発行してくれるのだろうか、、、?
私は今後何年、デコの切れた運転免許証で過ごすのだろうか、、、?(少なくとも10年はあるわけだ。)


自慢のデコが切られていようが、これで堂々とイタリアで運転できるようになったわけです。
まずは、マニュアル車に慣れることから始めないとね。(日本の免許を取って以来、マニュアル車を運転したことがない、、、)

かかった費用はこちらでーす。(2012年 クレモナ県にて。代行手続きは代行機関により金額が異なるので参考までにしてください。)
・写真代(スピード写真):5ユーロ
・領事館で日本免許の翻訳 + 「この書類に間違いございません」的な書類作成:39.50ユーロ(2012年11月)
・領事館作成の翻訳書類をイタリア国内正式書類扱いにしてもらう県庁の手続き印紙代:4.62ユーロ(2012年11月)
・免許書き換え手続き手数料 + 代行手数料(ACI):160.66ユーロ

以上、209.78ユーロでした。
これにプラスして、領事館や県庁などに行く交通費がかかったというところでしょうかね。

免許は手にしたけど、いつ運転するかなぁ、、、。



余談ですが、免許に記載されている発行日は2013年3月8日。ACIから免許ができた旨の連絡電話があったのは3月26日。旅行中、パスクア休暇など、すぐに免許を取りに行けなかったけれど、免許を手にしたのは昨日、4月3日。
今回の手続き、時間はかかったと言えど、「手にした物の発行日が数カ月前でした」なんてことにならなくて済んでます。よくできましたっ!

Wednesday, 3 April 2013

第50回になりました - ボローニャ国際絵本見本市

今年も行ってきました。3月末のボローニャ国際絵本見本市。

私は絵本出版に何の関係もありませんが、絵本関係者である相方にくっついていって多少通訳など、、、そんなこともあって行くようになり3回目。
今年は第50回。もうそんなに続いているのですね。50年前って生まれてないよ。


第50回の50。さまざまな50が重なり合ってます。

こちらは会場中央部にあるイラストレーター・カフェという名前の広場。
見本市が開催するイラストレーター賞、出版社賞などの発表や、トークが行われます。













そしてその横には、見本市が開催するイラストコンテストの入賞作品の展示ギャラリーが。


(ばしばしと最終日に撮影したので、せっかくの原画展なのに見えにくくてすみません!)











今回の大賞は、日本人イラストレーター、とねさとえさんが受賞。

現在イタリア在住で、イタリアで絵本を出版されているんですよ。

緻密な線が作り出す暖かくやわらかい印象の絵。今後にも期待がかかります!







日本のイラストレーター、大活躍で毎年たくさんの方が入選しています。

こちら、白い背景にすっきりとした色。状況が目に浮かびますよね。











こちらも日本のイラストレーター、八尾慶次さんの作品。

羅漢さんの一体一体の表情がかわいらしいんです。
鳥が下りてきて巣立つまで、見守ってくれる羅漢さんがいいですね。








こちらも日本のイラストレーター、見崎彰広さんの作品。

シンプルな中に、ものすごい印象を残す絵なんです。











こちらはドイツのイラストレーター。
影絵を版画で表してます。

とっても綺麗!












こちらもドイツのイラストレーター。

彼女は韓国で行われたコンペでも入賞している実力の持ち主。












こちらはスペインのイラストレーター、ダビド・ピントールさん。

イタリアでも絵本を出版しています。

実は、ダビド・ピントールさんの最新絵本『L'Eco』にサインしてもらってきました!








ほら!

さらさらさらと、ペンで絵を書いて色をつけてくれましたよ。

『L'Eco』は山のこだまのお話で、作者はイタリア人、アレッサンドロ・リッチョーニさん。
この方とは偶然にも会場でお友達になれたので、彼のサインもいただけました!

会場ではこんなイラストレーターのサイン会なども催している会社もあります。






こちらはイランのイラストレーター。
数少ない色だけど、使い方が印象的でした。

イランのイラストレーターもたくさん入選していましたよ。
どなたも緻密で素晴らしい色使い。

各文化の特徴が出るのでしょうか。人物の衣装だとか、色の組み合わせだとか、独特で魅かれます。











コンテスト入選作品の中で、私の印象に一番残ったのはこちら。

アメリカ在住の日本人画家、喜多木ノ実さんの作品です。

「近所の○○ちゃんに似てる」と、思わず微笑んでしまう子供の表情があります。
私の中で、一番ヒットです。






で、こちら。
ついでのような勢いで掲載しますが、相方の作品が今年は入選したのですよー。あはは。

(そんなわけもあって、今年は気合いをいれて見本市に臨んだわけです。)















会場にはこういう会議室もいくつかあり、レクチャーに使われています。

マルチリンガル用に翻訳用のイヤホンを貸し出している部屋もあり、私が自分のために聴講したレクチャーは、英語、イタリア語、フランス語の3カ国語で行われてました。









会場入り口付近には、大きな壁にイラストレーターが宣伝用にイラストや連絡先を貼っていきます。
それぞれ個性的で面白いんです。

私たちは早く会場入りしているので誰もいませんが、日中はひとだかりです。









こんな一コマも。

初日から、このカエルのぬいぐるみを着て、会場でステッカーを配っていたふたり。
お昼休憩なのかと思うけれど、階段の陰にひっそりと座って頭をもたげてました。疲れているんでしょうね。

私が発見して、相方と友人が面白がって「写真を撮れ」という中、「写真を撮ってもいいですか?」と聞くとマスクをかぶろうとしたので、「あ、、、そのままで、、、」とお疲れな姿を撮らせてもらいました。本当はもっと頭をもたげて疲れ切ってたんですよ。





全然ブースの写真がないですけど、今年は出版社、エージェント、その他もろもろ合わせて1050社ほどがブースを開いていたそうです。



ここに行くと、世界中から集まる本を立ち読みできちゃうって美味しい思いができるんです。言語はほとんどわからなくとも、絵が物語ってくれるのが絵本のすごいところ。(もちろん、絵本以外にも児童向けの本や学習教材なども展示しています。)

絵本関係者でもない私が行くのは場違いといえば場違いなのですが、ひっそり、そして堂々と入って、美術館を見るように堪能してきました。

最後に、こちらは今回のアニューアルブックの表紙を担当したピーター・シスさんの展示から。
すごい曼荼羅です。もっとじっくり見ていたかった!


Peter Sis氏の曼荼羅


ここにいくと、色々な意味で刺激を受けます。制作欲をかき立ててくれます。
来年また行くことができたら、ここから受けた刺激を形にして成長してから行きたいです。また新しい刺激をもらいに。
たとえ、自分が絵本関係者でなくても、自分の力になる刺激を受ける場所に行けることに感謝、ですね。

イラストコンテストの原画展は、JBBY(日本児童図書国際評議会)、板橋区立美術館の協力を得て、日本4カ所を巡回します。
日程が近くなったらお知らせしますので、ぜひ足をお運びください。





Monday, 1 April 2013

再生の卵 今年はこの子に♡

昨日の日曜日はイースターでした。イタリア語では、Pasqua(パスクア)。
夜中になると、一斉に教会の鐘が鳴り出します。ガランゴロンと。
カルネヴァーレ(謝肉祭、イースター前の禁欲に備えておいしいものを食べ尽くしておく祭り)の後、まるで「かいきーん、かいきーん(解禁)!」と鳴らしているかのごとく、鳴る、鳴る。
うちは、教会が激近ではないので、遠くに響く(それでもとても遠いわけではない)鐘を聞くだけ。


イタリアに来てから、地方電車は日本に比べて本数が圧倒的に少ないので、線路近くにお住まいの方は、騒音がうるさいと言っても、日本の都市部に比べたらどってことないなと思っていたのですが、教会の近所にお住まいの方にはすごいことでしょ、これ。
相方の母は教会の前に住んでいるので、毎時、鳩時計のように鐘が鳴る。
教会の鐘は嫌なものではない。お寺の鐘もそうですよね。音を楽しめるちょっとした時間のような感じ。
この義母宅の前の教会は毎時どころか、30分ごとに鐘を鳴らし、毎朝7時半近くには、時報とは別に思いっきり鐘が鳴る。
この7時半前の鐘は、時々泊まりに行くと、「おっと、来たか!」とビビることもある。(食事にはしょっちゅう行くけど、泊まることは少ないしね。)

さて、パスクアと言えば、スーパーにこれでもかっ!と並ぶ卵形チョコレート。
小さいものから、巨大なものまで色々。
毎年買うわけではないけれど、今年は先週ボローニャ滞在中にスーパーでこれを発見してしまったから買わずにいられなくなってしまった!




ひゃっほぅ!

カリメロの卵だよー。
(ホテルで片づけずに撮ったので、周囲は電話、メモ、時計、パソコン、バナナにみかん、、、)

うちの近所のスーパーにはなかったよー(嬉)











カリメロ。キャラはイタリア発だけど、アニメは日伊合作なんだってね。
私はカリメロを知っている世代だけれども、小さい頃だったので、実は話を覚えてない。でも、なぜかキャラクターの印象だけは強くて懐かしい。

早速ホテルの部屋で写真を撮って、割る。(パスクア前だけど。)

この卵チョコの楽しみは、中に入っているオマケ。
もちろん、カリメロキャラが入っていることを期待して買ったけど、安いものは変なおもちゃしか入っていないこともある。

チョコよりもオマケをあさる。何が出るかな〜。



カリメロキーホルダーだっ!

わーい、と大人げなく喜んでしまいました☆

卵は再生の印なんだとか。再生の印の卵型チョコに今年はカリメロ。いい「再生」があるといいなぁ。













なーんて考えていたら、、、。

前回も書きましたが、先週はボローニャで開催されていた国際絵本見本市に行っていました。
世界各国から絵本出版社などなど、絵本関係者がどっと押し寄せる見本市(この話はまたいずれ、、、)。

その会場で巨大な後ろ姿を発見☆

「カリメロッ!!!!!」

思わず叫んでしまい、ビビったのは一緒にいた相方。(実はこの少し前にも、みつばちマーヤを見つけて「マーヤッ!!!!!」と叫んだばかりの私。)

すぐにカメラを用意して近づいていって、記念撮影。パチリ。



恥ずかしいので顔は隠しますが、口元で私がどれだけにんまりしているかご想像いただけるかと、、、。


イタリアに来てから、「カリメロは人種差別の骨頂だ」なんて意見を聞いたことがあります。
人種差別なんて考え方がなければ、そんな捉え方にもならないのにね。

帰ってきてからキーホルダーを自転車の鍵につけました。
何かを生み出す年になりますように。