相方家族の古くからの友人で、私たちの結婚式で証人になってくれた方の奥様が約2年の闘病の後、月曜日の明け方に永眠。
私にとっては、相方と出会ったときと同時に知り合った家族で、この土地に嫁に来て相方家族と、もうひとつの家族ができたようなおつきあいをさせていただいてます。
今も彼女のことを思いだすとしんみりとしてしまうのですが、あまりにもステキなお葬式で、私にとっては珍しいスペインのお葬式体験だったので、ここに書こうと思います。
今も彼女のことを思いだすとしんみりとしてしまうのですが、あまりにもステキなお葬式で、私にとっては珍しいスペインのお葬式体験だったので、ここに書こうと思います。
ところで私、日本以外でフルで葬儀に参列したのは初めて。
イタリアでも相方の友人のお葬式を覗いたことはあったけれど、教会に置かれた棺に挨拶をしただけ。
今回は家族とほぼつきっきり。「フルで」と言いたいのは、日本でも家族じゃないと体験しないほどの密着ぶりで今回の葬儀に参列したのでした。
朝一番の飛行機に乗るため(葬儀は昼)、3時に起床。相方、義母、義弟と4人で空港へ。ミラノエリアの3つの空港のうち、一番遠い空港だったので朝早いのは仕方ないのよねー。
バルセロナに到着。すでに疲れを感じながらも、ふらふら〜っとしながら空港で朝ご飯を食べ、タクシーに乗り込んで友人宅へ向かった。
友人宅へついて家にあがると、迎えてくれた旦那様の腰にはバスタオル。
そう、このおっさん、朝は常にこの格好なのだった。私も何度も泊まりに来ているので知っている。
キッチンではフランス語が飛び交っている。
フランス人が3名、朝ご飯中。見たことある顔。でも会ったことないよなぁ。
なぜ会ったことないのに見たことある顔と思ったのか。それもそのはず。
このお宅には壁に友達の写真がたくさん貼られているのです。ぺたぺたと。セロテープで直接。ちなみに私もいます。
言葉がわからずも挨拶はできる。名前を言ってほっぺを右、左とくっつけてチュ、チュ、とするだけだから。お互い顔見知りのような気がして、初めてのような気分はありません。
朝ご飯に加わって、ひとしきりしゃべった後、歩いて10分もかからないところにある葬儀場へ。
ここには20ほどの個室があり、遺体が保管されています。個室の他に、葬儀を行う会場もいくつかありました。いわゆる、葬儀場。
ここで葬儀を行う場合もあれば、教会に移動して葬儀を行う場合もあるようです。
静かに眠っている亡くなった奥様にここでご挨拶。
棺に寝かされて、棺ごとガラスケースに入っていました。おそらく温度調節されてるのでしょう。部屋には花輪がいっぱい。花の種類は色とりどりです。ゆり、ばら、ひまわりもあります。
このあと、教会で葬儀を行うので教会へ移動。葬儀場を出る前に棺は閉じられて、その後は開けません。
棺を乗せた霊柩車は、霊安室にあった大きな花輪で飾られ、一目で霊柩車とわかるというようなものでした。
その後ろを家族が乗った車、そして私たちはその後ろの車に乗せてもらいました。
葬儀を行う教会は、バルセロナの旧市街にある有名なサンタ・マリア・デル・マル教会。普段は観光客も多いゴシック様式の古い教会です。
この日も教会の前は観光客と市民でいっぱい。その中を車で入っていき、棺が入場します。
棺の後ろを私たちもついてゆき、一番前の親族用に用意された席に着席。
葬儀は神父様のお話、お祈り、友人代表の挨拶、パイプオルガンとバイオリンの音楽、、、と約1時間ほど。
言葉がわからない私には、立ったり、座ったり、周りについていくだけでした。ははは。教会の礼拝には何度も出たことがあるので(日本で)、それほどびっくりすることはなかったけど。
葬儀が終わり、棺はまた霊柩車に乗せられ、家族は参列者ひとりひとりに入り口で挨拶。これが何と長かった! それだけたくさんの参列者がいたわけです。
私たちは挨拶が終わるのを待ち、また同じ車に乗り込んで霊柩車の後をついていき、次は墓地へ。
墓地はバルセロナの町を取り囲む山の上にありました。
バルセロナの空港に近いところに、海に面した斜面を使った墓地があって、眺めはとても良いのですが、棺が入るお墓は、日本的に説明するならばカプセルホテル状態。イタリアにもこれはありますね。
こちらの家族はどうしても土の中に入れてあげたくて、少し遠いところを選びました。
山の上の公園のようなとても広い墓地で、ここにもカプセルホテル状態のお墓と、土に入れるお墓が並んでいました。緑に囲まれたとても静かなところ。海に面した墓地にしろ、山の上の緑に囲まれた墓地にしろ、バルセロナの墓地はとてもいい感じです。
奥様が眠る場所は既に土を掘ってあり、私たちが到着した後、バスで移動している人たちを待ってから、棺を土に納めました。
ところでこのお墓、深い。なぜこんなに深いのか? これほどまで深くしなければならない理由があるのか?
棺が納められ、セメントブロックをはめて蓋になり、その上に空間ができました。セメントブロックの上にビニールでカバーした後、土がもられてゆきます。
あ、この空間はもう一人分ってことなんだ。土葬の習慣ではひとつのお墓に何体も入らないでしょう。でも、2体分を用意している。旦那様の気持ちを察した瞬間でした。
私たちもひとりずつ、手で土をすくってもり、私はここで最後の挨拶の気持ちをこめました。
土を盛った後は、参列者の後ろに回ったのでよく見ていませんが、持ってきた花輪をどっさりと置いて終了。
ミントの香りがふわっとしました。
葬儀社の方が花束をばさばさと運ぶのでそこらじゅうに花や葉が落ちるのですが、誰かが贈った花束にミントの葉を使ったものがあって、落ちたミントの葉の上を誰かが歩いて香りがたっていました。
この日は暑いほど天気がよく、陽射しの中をミントの香りをかぎながら、墓地をあとにしました。
今後ミントの香りがしたら、私は彼女のことを思いだすような気がします。
教会の話に戻りますが、教会のことはほぼ無関心な相方が「神父様の話がすごく良かった」と、教会の葬儀が終わってすぐに私に教えてくれました。
サンタ・マリア・デル・マル教会は、名前にMar(海)がついています。港町バルセロナの海で働く人を守護する教会と聞きました。
水が関係することから神父様は「人は水から生まれ、水に帰っていく」という話をされたそうです。
あぁ、そうなんだ。この気持ち。日本でよく海で遊んでいた頃、海にぷかぷか浮かびながら、何て気持ちがいいんだろう!って感じていた感覚は今も忘れてません。水の中で暮らすのはどんな感じなんだろうかって考えることもよくありました。私の骨の一部は海に撒いてくれって相方に言ったこともあります(その前に、どこで葬儀しようと火葬にしてくれって頼んでます)。私も理解したかったなぁ、このお話し。
相方だけではありません。在バルセロナの相方の一番の友人も普段は教会のことは無関心以上に”アンチ”な立場ですが、この話には感動したそうです。
それに喪主である旦那様も、この神父様のお話の後、「この神父様、好き。教会へのイメージが変わった」と言ってました。葬儀に行く直前は私に「ここからは宗教的なことするからね、我慢してね」と言っていたほどなのに。
あぁ、私がスペイン語を理解できればもっと感動できたかもしれないのに。
さてさて、ずいぶん長くなってしまったので、第2段は後日に記そうと思いまーす。
フランス人が3名、朝ご飯中。見たことある顔。でも会ったことないよなぁ。
なぜ会ったことないのに見たことある顔と思ったのか。それもそのはず。
このお宅には壁に友達の写真がたくさん貼られているのです。ぺたぺたと。セロテープで直接。ちなみに私もいます。
言葉がわからずも挨拶はできる。名前を言ってほっぺを右、左とくっつけてチュ、チュ、とするだけだから。お互い顔見知りのような気がして、初めてのような気分はありません。
朝ご飯に加わって、ひとしきりしゃべった後、歩いて10分もかからないところにある葬儀場へ。
ここには20ほどの個室があり、遺体が保管されています。個室の他に、葬儀を行う会場もいくつかありました。いわゆる、葬儀場。
ここで葬儀を行う場合もあれば、教会に移動して葬儀を行う場合もあるようです。
静かに眠っている亡くなった奥様にここでご挨拶。
棺に寝かされて、棺ごとガラスケースに入っていました。おそらく温度調節されてるのでしょう。部屋には花輪がいっぱい。花の種類は色とりどりです。ゆり、ばら、ひまわりもあります。
このあと、教会で葬儀を行うので教会へ移動。葬儀場を出る前に棺は閉じられて、その後は開けません。
棺を乗せた霊柩車は、霊安室にあった大きな花輪で飾られ、一目で霊柩車とわかるというようなものでした。
その後ろを家族が乗った車、そして私たちはその後ろの車に乗せてもらいました。
葬儀の翌朝、教会の前の広場にあるバルで朝ご飯 |
この日も教会の前は観光客と市民でいっぱい。その中を車で入っていき、棺が入場します。
棺の後ろを私たちもついてゆき、一番前の親族用に用意された席に着席。
葬儀は神父様のお話、お祈り、友人代表の挨拶、パイプオルガンとバイオリンの音楽、、、と約1時間ほど。
言葉がわからない私には、立ったり、座ったり、周りについていくだけでした。ははは。教会の礼拝には何度も出たことがあるので(日本で)、それほどびっくりすることはなかったけど。
葬儀が終わり、棺はまた霊柩車に乗せられ、家族は参列者ひとりひとりに入り口で挨拶。これが何と長かった! それだけたくさんの参列者がいたわけです。
私たちは挨拶が終わるのを待ち、また同じ車に乗り込んで霊柩車の後をついていき、次は墓地へ。
墓地はバルセロナの町を取り囲む山の上にありました。
バルセロナの空港に近いところに、海に面した斜面を使った墓地があって、眺めはとても良いのですが、棺が入るお墓は、日本的に説明するならばカプセルホテル状態。イタリアにもこれはありますね。
こちらの家族はどうしても土の中に入れてあげたくて、少し遠いところを選びました。
山の上の公園のようなとても広い墓地で、ここにもカプセルホテル状態のお墓と、土に入れるお墓が並んでいました。緑に囲まれたとても静かなところ。海に面した墓地にしろ、山の上の緑に囲まれた墓地にしろ、バルセロナの墓地はとてもいい感じです。
奥様が眠る場所は既に土を掘ってあり、私たちが到着した後、バスで移動している人たちを待ってから、棺を土に納めました。
ところでこのお墓、深い。なぜこんなに深いのか? これほどまで深くしなければならない理由があるのか?
棺が納められ、セメントブロックをはめて蓋になり、その上に空間ができました。セメントブロックの上にビニールでカバーした後、土がもられてゆきます。
あ、この空間はもう一人分ってことなんだ。土葬の習慣ではひとつのお墓に何体も入らないでしょう。でも、2体分を用意している。旦那様の気持ちを察した瞬間でした。
私たちもひとりずつ、手で土をすくってもり、私はここで最後の挨拶の気持ちをこめました。
土を盛った後は、参列者の後ろに回ったのでよく見ていませんが、持ってきた花輪をどっさりと置いて終了。
ミントの香りがふわっとしました。
葬儀社の方が花束をばさばさと運ぶのでそこらじゅうに花や葉が落ちるのですが、誰かが贈った花束にミントの葉を使ったものがあって、落ちたミントの葉の上を誰かが歩いて香りがたっていました。
この日は暑いほど天気がよく、陽射しの中をミントの香りをかぎながら、墓地をあとにしました。
今後ミントの香りがしたら、私は彼女のことを思いだすような気がします。
教会の話に戻りますが、教会のことはほぼ無関心な相方が「神父様の話がすごく良かった」と、教会の葬儀が終わってすぐに私に教えてくれました。
サンタ・マリア・デル・マル教会は、名前にMar(海)がついています。港町バルセロナの海で働く人を守護する教会と聞きました。
水が関係することから神父様は「人は水から生まれ、水に帰っていく」という話をされたそうです。
あぁ、そうなんだ。この気持ち。日本でよく海で遊んでいた頃、海にぷかぷか浮かびながら、何て気持ちがいいんだろう!って感じていた感覚は今も忘れてません。水の中で暮らすのはどんな感じなんだろうかって考えることもよくありました。私の骨の一部は海に撒いてくれって相方に言ったこともあります(その前に、どこで葬儀しようと火葬にしてくれって頼んでます)。私も理解したかったなぁ、このお話し。
相方だけではありません。在バルセロナの相方の一番の友人も普段は教会のことは無関心以上に”アンチ”な立場ですが、この話には感動したそうです。
それに喪主である旦那様も、この神父様のお話の後、「この神父様、好き。教会へのイメージが変わった」と言ってました。葬儀に行く直前は私に「ここからは宗教的なことするからね、我慢してね」と言っていたほどなのに。
あぁ、私がスペイン語を理解できればもっと感動できたかもしれないのに。
さてさて、ずいぶん長くなってしまったので、第2段は後日に記そうと思いまーす。
初めて海外のお葬式の事を知りました。
ReplyDeleteそうなんだぁ~本当に感動する話だね。
第二段を待ってます。
kyokoさん、こんにちは。
Deleteスペインのお葬式、イタリアともスタイルが違うみたい。いい勉強になったよ。ちなみにお通夜らしきものはあったのかなかったのか、、、。遠方から参列したので詳しく聞いてません。きっとあったとしても、霊庵所に親しい友人が行くだけなのかと。さらにちなみに、何日目、何年目の法要ってものはなさそう。これは亡くなった後の魂がどうのこうの、、、と考える地域独特なものなのかしら、、、? 考えると尽きないねぇ、こういうものって。第二段、時間ができたら書きまーす!