Monday 17 February 2014

受け付けない外国語フレーズ (言葉について思ったこと その1)

母国語以外の言語を成長してから勉強して、会話で使うようになって、「この言葉だけはあかん、使いこなせない」というもの、ないでしょうか。
母国語話者だからこそ、身体に染みついてさらっと使えるけれど、後から一生懸命記憶しつつたたき込んだ身体には、そのフレーズの感覚が細胞まで染み込まないもの。

私にとっては、英語を話すようになり気づいたのは、相づちのように入る「you know」であった。
「ご存知のように」であったり、言葉の意味そのままで使えるときはよい。
既に成長した脳が記憶力を駆使して覚えた言語だから、覚えた方法に近い状況ならば受け入れやすい。
でも、たとえば、話者が言葉を思いつかず「ほら、、、あの、、、」と思い出しながらしゃべるときに使ったりする「You know,,,」などは、そのまま言葉の意味を直球で捉え過ぎてしまっていた。
後から続くフレーズの内容が実際に私の知らないことだったりすると、「知らんもん、そんなの」と心の中でつぶやく。
用法の変化球が効かない。直球ストレートのみしか受取れないのだ。

これ、いつしか克服した。あんまり考えないようにしたのだ。要は、訓練の結果、変化球も打ち返せるようになったのだ。

そして今、イタリア語を話すようになって、嫌に耳障りな言葉がでてきた。相槌のように使う「sai」である。
最初に気になるなーと思い始めたときは英語にリンクして考えなかったけど、ある日「こりゃ、英語の"you know"だ!」と気づいた。その通り、イタリア語の「(tu) sai」は、動詞 sapereの二人称単数現在形。だから、直球ストレートの意味は英語の「you know」なのだ。

いずれにせよ、このフレーズに私は敏感に反応してしまうらしい。

イタリア人に簡単な質問「今、何時?」「お母さんはどこにいるか知っている?」など聞くと、「Sai che non lo so. 」という回答が返ってくることもしばしば(sai cheがつかないことも多いけど)。
「知らない」と答えているのだけど、ド直訳すれば「(私が)知らないことを(あなたは)わかっている/知っている」ということなのである。
イタリア語の本はあまり読まないので、本当はこのフレーズは疑問文で「知らないんだけど、、、(わかってもらえる?)」と言いたいのかもしれないなど、想像したりもするけど、この想像するのが面倒なので、やっぱり私はこれが嫌いらしい。

そして得意げに「Sai che .... ?」と始まる会話も多い。直球ストレートで捉えると、「…を知ってる?」というものである。
しかも、ほぼ私が知らないことを前提にして聞かれる内容なので、「知ってる?って聞かれても知らんがな、、、」と何となく肩を落としがちに聞いてしまうのだ。

実際、なぜ私がこのフレーズにこれだけ嫌悪感を抱くのか。
ある日思いついた。
日本語でも「○○って知ってる?」と聞かれて、知らない場合に「知らない」と答えると、「えぇーーー! 知らないのぉー?」といった仰々しい反応する人がいなくもない。私の友達にはいる。
これが小さい頃から嫌なのだ。「知らない」ことが恥ずかしくなってくるような言い方をされるから。そして「知らないことはそんなにいけないことかい?」とある日気づき、「知らなくってもいいじゃん!」と言い放つようになった。いや、これはトゲトゲしいよねぇ。こんなに言い放つことはなかったかな。

段々と、言いたい人には言わせておこうと、「知らないもんは知らない」と開き直るように、そして気にしないようにしていたけど、この気にかかるフレーズは、使い方の違いはあれど、外国語でも嫌悪感を抱くようになってしまったのだ。

英語の「you know」は使っているうちに「あまり考えないようにしとこー」っと気楽に考えて克服し、イタリア語の「sai」への嫌悪感は、つい先日起きたあるきっかけから克服しつつある。

その切掛けとは、、、。長くなるので次回に。

2 comments:

  1. わたしはこの言い回し、イントネーションがSaiの部分が疑問文に近い感じがするからか、「君は意外かもしらないけれど、申しわけないんだけど、僕も知らないんだ。」というふうに受け取って来ました。人や地域によって使い方も違うし、Totoさんにはこの言葉にすりこみのマイナスイメージがあるように、何となく癖になって使ってしまいがちな人もいることでしょうね。昔英語を勉強していたとき、アメリカ人の方からactuallyをむやみに言い過ぎているよと指摘してもらったことがあるのですが、イタリアでもうずいぶん前の話ですが、やたらめったら「実は」「本当に」(Tanto è vero che ... ecc.)という類の言い回しを使う人は、「自分の話を相手が信じてくれないのではないか、疑われているのではないか」という深層心理があると読んだか聞いたかしたことがあります。きっかけはなんだったのか、続きが気になります。

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  2. なおこさん、ありがとうございます。「申し訳ない」の気持ち、なるほど〜です。私にはどこかにすりこまれたマイナスイメージがあるから、物事の見方をそのイメージを通してみてしまうようです。心を柔軟にすると、次に書こうと思っているような切掛けにたどりつけるのですが、、、。大したことではないんですよー。

    私はイタリアに来てから「実は」を使いたい気持ちが強いのですが、うまく使えません。でも、使いたいという気持ちは強い! ということは、、、私の深層心理は、、、。あるかもしれません、正解かも。

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