Monday, 27 April 2015

亡くなってわかる(だろう)事実

相方の伯父が昨日亡くなった。今日、そちらの自宅へ伺うか、お葬式をするときに伺うことになると思う。ということで、私たちは相方のお母さんの行動に合わせるため連絡待ちの今朝。

考えてみると、、、。
私、この伯父さんの名前を知らない。何度も会っている。でも、みーんな、奥さんである伯母さんも、この伯父さんを姓名の姓の方で呼ぶのだ。

私たちが結婚したときに、この伯父伯母からプレゼントをいただいた。このプレゼントについていた名刺スタイルのカードには、伯父伯母の名前と娘たちの名前が書かれている。
伯父の名前の部分は、もちろん姓で。

相方にも聞いたことがある。「あの伯父さん、名前は何て言うの?」と。
実は、相方も知らない、、、。出会ったときから姓で呼んでるから。ほぼニックネームのように。

この伯父に最後に会ったのは、確か今年の1月の終わり頃。義母にランチを誘われて行ってみると、この伯父伯母も来ていた。ここ数年は治療生活で、住んでいるところはそう遠くなくとも、会う機会がなかなかなかった伯父の元気そうな姿に会えて、私は嬉しかった。
まだ私がイタリア語を話せないと思ってか、英語で一生懸命考えて、隣に座った私にゆっくりと話しかけてくれた。正直、私の英語レベルでも気付くほど、無茶苦茶な英語だったけど、一生懸命話しかけてくれることが私には嬉しかった。その場にいた義姉が、何度も「○○○(伯父の姓)、この子、イタリア語話すわよ」と伯父に促すけれど、伯父は聞いているのか聞いていないのか、英語で話し続けた。私も英語で答えた。私にとっては何語でもいいのだ、話ができるのだから。

さて。私には名前が不明なまま他界した伯父。昨年には初孫が生まれ、とても嬉しそうだった。赤ら顔でいつもにこやかな伯父だった。相方家族の旦那様にあたる方なので、相方家族とは違った気質の人に会えることも私には世界が広がる感じがして嬉しかった。
名前がわかったら、呼びかけてあげよう。

Thursday, 9 April 2015

他人の掃除に文句をつける人

「イタリア人」と「掃除」。このキーワードはまだまだ続く。

掃除を誰かに依頼する人が多いイタリアの家庭(ビジネスとして)。夫婦共働きの家庭で、完璧な掃除を求めようとするからではないかと私は踏んでいる。そういうビジネスがあるからいいではないか、それは。
アイロンかけだけに雇われる人もいる。大概は外国人がそういった職業に就くけれど、時にイタリア人の掃除やアイロン好きなおばちゃんが働いてたりすることもある。

それはよしとして、、、。

私の周りに、人に頼んでおきながら、その掃除に裏で文句を言う人がいることも私は知っている、、、。「あんまり綺麗になんないわよね」と苦笑しながら。これはいただけない。

裏で文句を言うなら、頼まなきゃいいのにって思うんだけど。他の人に変えるとかさ。
でも、その人は同じ人に頼む。何かに文句を言いたいだけなんだろうな、こういう人は。

ついでに批判的に言わせてもらうと、その人は40歳で初めて子供をもち、子供が生まれるまでリンゴの皮をむいたことすらなかった。マンマが皮を剥いて出してくれてたから。

こんな完璧なイタリアンマンマの下で育った人もいるんだなーと、社会勉強にもなった瞬間だった、、、。

そして、消費期限前の食べ物をついこの前まで捨てていた人である。(「今は捨てないわよ」と言ってたが。)

私の適当な掃除に文句を言わない相方に感謝する瞬間でもあったけど、相方家族から「あの子、掃除できないんだわー」と裏で言われているのかもしれないとも思った。

いくらでも言ってくれい。私は掃除が非常に苦手なのだよー。

Wednesday, 8 April 2015

掃除方法を知らないイタリア人に笑われた話

「イタリア」「掃除」というキーワードが出てくると、話が止まらん。

イタリアに来て困ったことのひとつ。
掃除の仕方がわからん、、、かった。

掃除機というものは存在するらしい。(当初、わが家にはほうきとちりとりしかなかった。)
で、あとは、、、?

スーパーにはずらずらーっと並ぶ掃除用洗剤。何をどう選べば良いのかわからない。
相方に聞いてもわからない。(掃除しないで育ったみたいよ、この人も。自分なりの掃除はするけどね。)

そんなわけで、相方マンマの家に来る掃除してくれる人に一度来てもらって一緒に掃除してもらった。(イタリアに来てすぐのことですよ。)
そうすると、「この日本人はきっと掃除機のかけ方すら知らないんだわ」と勘違いされ、掃除機の使い方から指導が始まった。
いや、そんなとこはいらんから、洗剤の種類の違いを教えてくれと、つたないイタリア語で伝え、相手もわかってくれて、家にあった洗剤をずらっと並べて説明が始まった。

「これはガラス用。乾いた布でこうやって拭くのよー。鏡とか、窓とか、テレビの画面とかね。これは家具用。これもほんの少しだけ乾いた布につけて木の家具を磨くのよ。これは床用、使うときはほーんの少しね(と言いつつ、どばっとバケツに入れてた)。こっちは床用の洗剤で掃除した後に、さらに清潔にしたいときに使うもの。これはトイレ用。お風呂、トイレ、洗面台にはアンチ・カルカーレ(石灰成分対策)がいいわよ。これはオーブン用(油分落とし専用)ね。このボトルはアンモニア。こっちはアルコール。」
もう、わけわからん。だいたい、何でこんなに洗剤を揃えたんだ?(私が買ってきたのではない。)
とりあえず、メモにしてみたものの、わからん。もうちょっとシンプルにできないもんだろうか。

掃除嫌いが、さらに嫌いになる。

床掃除が基本なのだろうが、掃除機かけて(もしくは箒で掃く)、モップで拭く。その後、床が乾くまでそこを歩けないのだ。跡がつくから。
なぬー? この不毛な待ち時間は、、、?

なんつー面倒くささ。

ふと、この面倒な掃除を、イタリア人はどれくらいの頻度で行っているのだろうか?と疑問に思った。

チャンスがあったときに、義妹にちょっと聞いてみた。
「イタリアの掃除の仕方が全然違うからよくわかんないんだけど、どれくらいの頻度で掃除してるの?」と。

頻度を答えてもらうよりも、一気に笑われた。「掃除の仕方がわからないのー?」と。

正直、、、傷ついたよ。笑われても仕方ないネタかもしれないけど、笑うんだ、やっぱり。こんなとき、改めて気付く。人のことを安易に笑ってはいけないのだ、と。
人の振り見て我が振り直せ、の瞬間であった。

それは置いといて、、、。今ではイタリア語が多少わかるようになってきたせいか、いまだに義妹はあの会話を思い出すと笑ってしまうらしいけど、私は以前のように傷ついたりしない。

ある日、義妹が「前にこんなことがあったのよー」と私が始めて掃除の質問をしたときのことを周りのイタリア人に話し始めた。
笑うイタリア人たち。
「じゃあ、あんたたち、掃除の仕方を他の国から来た生活様式の違う人に全部説明できるの?」と言ってみた。
我に返って黙る人もいたけど、乗り出して「当然さ!」と言わんばかりに説明し出すイタリア人も。
あぁ、私もムキになって切り返すんじゃなかった。掃除もろくにしない人が掃除の蘊蓄を私に語り始めたのだ。しかも自分の掃除武勇伝ではなく、マンマや奥さんのマンマがいかに素晴らしい掃除をするかということを。

こんな人は、とーってもウザい。そんなときは、イタリア語がわからない振りをして逃げる。外国人という立場を利用して。

昨日、久々に家のモップかけをしながら、そんなことを思い出してた。掃除が嫌いな上に、笑われたイヤな思いを思い出すので、本当はモップかけなんてしたくなーいと毎回思うのだ。


Tuesday, 7 April 2015

やっぱりイタリアの学校って生徒に掃除させないのね

異文化に触れて驚くこと、多々ありますわなー。

先日、甥っ子の中学校行事に参加して、火を使わずにできる料理というものを教室内で行い、廊下に並べたテーブルにできた料理を並べて、生徒、先生、保護者そろってみんなで食べた。

総勢200名ほどはいたかと。

終われば、それなりにぐちゃぐちゃですわ、食べ散らかした後はもちろん、料理した教室も。

この状況の中、行事の一環として生徒に「さぁ、食べ終わったから次は片づけの時間ですよ」ということにはまったくならず、「片づけなさい」という先生も親もほぼいなかったことにはびっくり。

びっくりというか、イタリアの学校では子供に掃除をさせないと聞いてはいたので、それを目の当たりにして、冷たい目線になってしまった。

学校で子供に掃除をさせない理由は知らない。でも、こんな行事をして、食べるだけ食べて、紙皿をぽいっとそこら辺に置いて行く子どもたち。これに、「片づけなくても良い、ゴミ箱に持っていかなくてもよい」という理由はないと思うんだけど、、、。

200人ほどが飲み食いしたのだから、あたりは相当な散らかりようだったけど、これを掃除したのは誰か。

その場にいた先生と、一部の保護者である。

その間、生徒はどうしていたか、、、。遊びに夢中。先生からの指導はなし。
使わなかったお皿などを戻しに来た子はいたけど、進んで掃除をする子はいなかった、、、。
中学校の1,2年生が主体だったので、12歳前後の子たちである。

家庭でも大概は、親が掃除してくれるか、掃除をしに来てくれる人を雇っている。
だから、基本的に掃除方法を学ぶなんてことがないのだ。

掃除をさせないことに何の理由があるのか知らないが、私が一番イヤだなーと思うのは「掃除をしない人は、散らかすこと、汚すことを気にしない」こと。
だって、誰かが掃除して綺麗にしてくれるから。

イタリアのマンマたちは性格が強いだけでなく、家庭をきちんと保つ強さがすばらしい。自宅を掃除するマンマは徹底的に掃除する。子供に手出しなんてさせない。家は塵一つ、曇り一つなくピッカピカである。
徹底的に掃除するマンマ、もしくは掃除のために雇われている人が家にいて、学校では掃除をしない。
どこで掃除を学ぶのだろうか。ない。
必要になったらどこかで覚えるんだろう。ラッキーな人ならば、一生掃除をしなくてよい生活を送るかもしれない。

さらに言えば、昔から食洗機を導入しているイタリア。お皿や鍋の洗い方を知らない人もわんさかいる。大人になっていざ、食洗機のない家に住み、洗わなければいけないというときには、鍋など内側を洗っても、外側を洗わないのだ。お皿も内側を洗って、外側を洗わない。

さ・れ・ど。
不思議なのは、こんなイタリア人たちも、料理だけはきちんと家の味を習う人が多いこと。
「マンマに習ったの」「おじいちゃんのこだわりの味」など、おいしいものには家族の秘訣が隠されていることが多い。
料理を教えるならさ、ついでに片づけも教えたら良いんではないのかい?と思うのは私だけだろうか、、、。

Monday, 6 April 2015

生春巻き、子どもたちにもウケました!

中学校1年生の甥っ子の学校行事で、外国の食べ物を作ろうという企画があり、父母ミーティングなるもので中学校に初潜入し、先々週の土曜日、行事参加に行ってきました!

前日になって、「私も行くから」と行っていた甥っ子の母親、私の義妹(年上だけどね)は仕事で行けないとわかり、ギョギョー!とひとり焦ってたけど、行けないものは仕方ない。
朝、甥っ子を車でピックアップして、朝8時の開始に間に合うように行きました。

だが、しかーし。

学校の前には人だかり。そう、学校が開いてないのだ。
待つこと約20分。ようやく8:20になって開校。どうなんよ、これ。

それはよしとして、子どもたちはがんばってくるくると生春巻きを巻いてくれました。
(写真を載せてましたが都合により削除しました。)



できあがったものはこちら。


ソースにタイの甘辛ソースと、念のため、口に合わない人がいたら困るので、マヨネーズも持っていっておいたけど、意外にもタイの甘辛ソースのウケが非常によくて、マヨネーズをありあわせのように持っていった意味はあまりなかったかも。
お皿に出したソースを、子どもたちが指突っ込んでなめる。やめてくれ〜。


学校入り口の廊下にずらずらーっと並べた各国の料理。
クスクス、サラダ、ホットドッグなど色々。火を使わずに時間内にできるものという制限があったので、なじみのあるイタリア料理もちらほら(ティラミスとか、電気オーブンで焼くだけのピザとか)。




頼りになる義妹なしに乗り込んで、ドキドキしたけど、同じクラスのお母様がたが気さくな方ばかりで助かりました!
8時から13時までという時間枠だったけれど、片づけを含めても1時間半ほど前には終了。
でも帰らせてもらえない、、、。

なぜかというと、この行事、通常の学校時間の埋め合わせのために開催したんだとか。
だから、規定の時間を子どもたちは学校に拘束されなければならないわけ。ほー、そんな裏事情があったのか。

子どもたちは中庭で遊び始め、手伝いに来ている母親たちも、子どもたちを置いて行くわけにもいかず、廊下でおしゃべり。

親たちはできれば帰りたいと思いつつも、仕方ないのでおしゃべりで時間潰し。

しばらくして先生が、「記録するので、帰宅してもいいですよ」と言ってくれて、「どの生徒が何時何分に誰と帰宅した」というメモに父兄のサインを入れて帰らせてくれた。ほっ。

その後、昨日のパスクアで、甥っ子は相当生春巻きが気に入ったと見え、家族ランチに生春巻きを作ってくれた。中身がすこーしばかり寂しい生春巻きだったけど、とってもおいしくいただきました!

行事では周りのお母さん方も興味津々で、これ、私も作りたいわーとメモしてってくれました。密かにこの街で生春巻きが流行ったりしてね。

なんだかんだと、幼稚園から大学まで、一通りのイタリアの学校潜入を果たした私(果たすことが目的ではなかったけど)。
幼稚園2ヶ所で折り紙を教え、小学校ではヨガ、中学校の行事参加、高校は相方が美術の授業を行った後の発表の場にくっついていき、大学は年金受給対象者向けの折り紙指導(会場が大学だったというだけ)。イタリア経験、積んでますよー。