Tuesday 17 March 2015

中学校の父母ミーティングでツッコミが入ったおじさん(+イタリアの教育)

先日、甥っ子のために中学校の父母ミーティングに参加してきました。
話題は、学校行事の「海外の食文化に触れよう」というもので、生徒が5人くらいのグループになって、火を使わずにできる(ミニオーブン、電子レンジはあり)料理を作って、みんなで食べる企画。火を使わずに、といっても、調理が必要なものは、家で父母が用意することになっている。
24グループあり、各グループが違うものを作るので、24個のレシピを挙げて欲しいというのがミーティングの主題。

私たち夫婦は子供がいないので、父母側の立場でミーティングに参加することなんて、まず、ない。でも今回は、家族に外国人がいる児童は招待しても良いので、甥っ子から招待されたわけ。
噂に聞く父母ミーティング、甥っ子の母親(義妹、年上だけどさ)と一緒にいってきました。

20人ちょっと集まっている父母会で、ひたすら見ているだけで、個人的に発言を求められない限り黙っている人が約半数。
聞いてもいないのに、勝手に適当な感想を大声で述べる母親数名。(こういう人ほど、声がよく通る、なんでだろう。)

たとえば、義妹は、全員に意見を求められたときに意見があれば発言するし、先生が黒板に書ききれず「どなたか記録をとってもらえませんか」というときに進んで手をあげるタイプ。

そしてその他の人は、、、。
一生懸命発言する、そう、こういうタイプの人たち。

先生が「どなたかシェフがいらっしゃると聞いたのですが、、、」というと、少し控えめに真ん中あたりから手が上がった。
「私です。フランス人です」と。
先生は喜んで「あらー、フランス料理を子供たちに指導してくださったら嬉しいわー」と。周りの父母も期待のまなざし。

いざ、メニュー名を挙げていく段階になり、このフランス人シェフは「私は○○を提案します」とフランス語のメニューをいい、先生がそのまま黒板に記録した。
その後も、積極的に発言しフランス語のメニューを挙げてくれた。
「下準備が必要なものは私が用意してきますから」と。

そこに質問が。
「あの○○ってメニュー、どんな料理なんですか?」と。

そりゃそーだ。私もわからん。

それがこのフランス人シェフ、「まぁ、フランスの料理なんですけど、タルトのなんちゃらかんちゃらで、、、」と簡単に説明を済ませようとした。

質問した母親は「タルトなら、火を使うのではないですか?」とさらに質問。

フランス人シェフは「私が用意してきますから」と答えるだけ。

また別の母親が「子供たちは何ができるんですか?」と質問。

それにも「えーと、こうやってああやって、、、」と、もごもごと言い、「私が用意してきますから」と。

別の母親が「一体、どうやって作るんですか?」と質問。

「えー、準備は私がするので大丈夫です!」と言い切った。

イライラした母親の一人が一言。
「あなた、どんだけ秘密なんですか? ”私が作ります”、”私が準備してきます”って、全然わかりませんけど」と。

当然だわなー、このツッコミ。

それでも、「ええ、まぁ、、、」と、説明しないフランス人シェフ。こっちも強い。

こうなってくると、周りの気が抜け始め、大声で教室の端と端で打ち合わせをし出す母親たちや、先生の近くに行って直接話し出す母親はどぐちゃぐちゃになってきた。

帰り出す親たちを見て、先生は「作るメニューだけは決めて申告していってくださいねー!」と叫ぶ。
このぐちゃぐちゃ具合に乗じて、私と義妹は「うちのグループは生春巻きを作りますから」といって出てきた。

ここで私は思った。
親戚の家庭しかり、知り合いの家庭しかり、今短期でヨガを教えに行っている小学校しかり、子供が大人に話しかけ、大人の気を引きたいとき、一生懸命気を引こうとするけれど大人は「今話し中だから待ちなさい」と必ず制する。後から子供に話しかけて聞く大人もいれば、忘れてしまう大人もいる。こちらに来た頃、ここまで子供の話に耳を傾けないのか、とびっくりしたこともある。
話し中の大人の邪魔をしてはいけないという教育だけれど、私にはこの教育は果たしてイタリア人には効果があるのだろうかと疑問に思っている。
理にかなっていようがどうだろうが「人より声が大きく相手を黙らせた方が勝つ」社会。人の話を聞いてから、人より大きい声を出して相手を黙らせるわけではなく、誰かが話している途中にさらに大きな声を出して黙らせるのが常。
侵略し、侵略され、歴史を歩んできたイタリアなので、こういう性質が染みついているとイタリア人たちは説明するけれど、小さい頃から「話し中は待ちなさい」って教育されたんじゃないの?と思う。
日本で育った私も、他の在伊邦人も、イタリア人の会話に入り込めない、自分は途中で大きな声で切って入っていくことはできない、と口にする。そうなのだよ、自然と聞く耳もっちゃうのだよ。
聞く耳をもつことは、私はいいことだと思っている。相手の話を聞き、自分の意見を言う、会話のキャッチボールが生まれると思っている。だから、覆い被せるように相手を黙らせようとするイタリア人が苦手である。

そんなとき、どうするか。
冷静に聞いて、あとは負けないだけ。東洋人の冷静さがモノを言うのはここ。
相手に巻かれたら負け。意思をもって冷静に接するべし。はい。
でも、自分の主張が通らないと気付く人は、割りと逃げて消え入るように主張をやめて、こちらは答えが欲しくとも、なあなあなまな会話が終わることもしばしば。
上記のように、フランス人シェフからきちんと答えをもらえなかった母親たちはあきらめたように話題を変え始めるといった状況になる。黙る側が「あきらめ」ならば、まだよい。これがただの「逃げ」態勢で黙り込まれる場合、「相手が声を荒げてきて私はイヤな思いをしているのに、何の会話だったんだろうか、、、」と腑に落ちない気分になることもある。こんなとき、最初は「私のイタリア語が通じなかったから、会話をやめてしまったのだろうか」と気にしたこともあったけど、今では大した内容ではなかったのだ、と流すことにしている。これが後から気を揉まなくて済む最良の方法かと。




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