「ズッコケ」って言葉、今でも使うんでしょうか。死語かな。
私の滞在許可証が切れるのは9月の終わり。私の現在の許可証は、イタリア人配偶者がいる家族用で、紙のもの。初回の申請から丸5年になる今年が更新です。
今年の更新以降は永久になるとのことだけど、イタリアの外国人滞在許可証の形態が統一されていない不可思議な事実。
果たして、私の地域では何と言われるのだろうか、、、。
とにかく。2ヶ月前から更新手続き可能と友人から聞いていたので、7月は何かと予定が詰まっているし、8月はどうせ社会全体の動きが止まるだろうということで、準備しなきゃいけないものだけでも聞いてこようと行ってきました、クウェストゥーラ(イタリアの警察のひとつで、移民局もこちらが担当)。
空いてたっ! ラッキー!(大きな市ではないですしね。)
待っている間、5カ国語(英語、スペイン語、ヒンズー語らしき文字が2種類、アラビア語、中国語)で書かれた小さな張り紙を見ると、「情報提供は金曜日の10:30-11:30のみ」と。
知らんかったー! 1週間のうちのたったの1時間に、知らなかったけどドンピシャで訪れていた私たち。またまた、ラッキー!
割りとすぐに順番が来て、担当のおばちゃんに「9月末に許可証の更新が必要なんですけど、何が必要ですか?」と聞くと、即座に「あら、まだ早いですよ。9月末に来てください」と。
え? 9月末の更新を9月末ですか? そんなんでいいの? 他の地域の人たち、2ヶ月前に手続きしてるんだけど、、、。
では、とりあえず必要な書類の情報をくださいというと、また悩ましい質問が。
「(今みたいな)紙の許可証にします? カードタイプにします?」と。
選べるんかいっ? なんか、なんか、、、ガクッて感じなんだけど。膝カックンされたみたいな(←まさか、膝カックンも死語?)
在伊の方、特にイタリア人配偶者がいらっしゃる方はご存知の方が多いのですが、イタリアでは、な・ぜ・か、イタリア人の家族のビザは未だにA4くらいのサイズの紙1枚です。就労ビザ、学生ビザの場合は、カードタイプが発行されているようです。
この「紙」の形態はEUが共通で使用している滞在許可証の規定から外れるのか、特別扱いで入っているのか、よく調べていませんが、過去に他のEU国で滞在許可証を見せても許可されなかったり、一旦イミグレーションの待ち合いで止められてとにかく時間がかかったりと、面倒な事態になった話を耳にします。私自身は問題になったことはありませんが、友人は他のEU国を通るとき、「まだこんなん使ってるの? ふっ」と鼻で笑われたそうです。
続けて「紙なら印紙代と写真代のみ、カードタイプは手数料に200ユーロちょっとかかるのとイタリア語のテストがあります。それによってお渡しする情報も違うので、どちらがいいですか?」と。
う、悩ましい! 私のようなイタリア人の配偶者には、紙のものしか手に入らないと思っていたけど、”お金を出せば”カードタイプが手に入ると!
(それにしても、紙のタイプならばイタリア語のテストの必要なしっていうのも解せないけど、、、。その場でツッコミを入れる俊敏さがない私の頭の回転の遅さが残念すぎる。)
このおばちゃんの横にいた警察官。以前に日本人が日本からイタリアに戻る際に紙の滞在許可証を拒否され、やむを得ず帰国した事件のことなどちょっと知っているらしく、紙かカードか一瞬悩んでいる私に「紙の許可証だと問題が起こるかもしれないと予想されてますか?」と聞かれた。そりゃもう「はい!」と。
カードタイプが手に入るならば楽だけど、200ユーロちょっとかぁ、、、きつい。
9月でよいというのなら、今すぐに決めたくないので、両方の情報をもらえないか聞いてみた。
本当にラッキーなことに、そのときには窓口には私たちだけになり、後ろに並んでいる人もゼロ。
警察官のおばちゃんが、印刷されたリストを出してきて、私が準備しなければならない項目にわざわざ印をつけてくれた!
さらには、ひとつひとつ説明までつけてくれ、この丁寧さに私も相方もかなり驚き。
この丁寧さに気が緩んだか、、、。リストをもらったはいいけど、紙なら更新の必要なしとか、カードは5年ごとに更新とか、真実なのか、噂なのか、地域特有の「変化球」クラスの真実なのか(EU共通の規則も地域特有の扱いで変わる)、そんな細かなことを聞くのを忘れてきた、、、。
カードタイプは、はなっからもらえないと思っていたので、事前に聞きたいことを準備していなかったの。あーあ。
カードなんてムリムリって思ってたから、カードタイプになったら何が起こるのか事前に情報収集してなかった。
憧れる対象(お財布に納まる理想的なサイズの許可証)を選べる選択権を目の前に出されて、ぽけーっとしてしまった。
持ち歩きにカードがいいのは当然だけど、何か更新手続きを求められるのか?
紙タイプかカードタイプか忘れたけど、5年か10年に1回は写真を更新しに行かなければいけないとか、何とか、、、?
どちらかだけは必ず更新しなきゃいけないとなると、おかしな話だ。写真の更新はいずれにせよ、いつかは発生するかと思うけど、カードそのものの更新に関しては、もしかすると他のタイプの滞在許可と情報が交錯してる?
友人は、10年以上前の紙タイプを本当にボッロボロのまま使っている。半端ない。折り目で破れてきてる。一応外国人は滞在許可証の携帯が義務なので、その友人は10年以上前から八つ折りにしてお財布に入れている。ボロボロになるのも当然だ。
自分の紙タイプがそんなことになったらと想像すると、他の国に行くときにそんなボロボロなのを出したら、それこそ怪しまれる気がする。
申請ばっかり気を取られて後のことまで考えてなかったし、さらに強調するように、あなたの更新手続きは、「丸5年経った翌日からでないと始められないので、9月の終わりで十分ですよ」と言われ、ラッキーな対応を受けたものの、「2ヶ月前から」と信じてた私にはちょっと空振り気分。
このブログを目にした方、イタリア人の配偶者がいらっしゃって、更新時にカードか紙か悩んだ方いらっしゃいませんかー。ぜひ、ご意見を伺いたいもんです、はい。
Saturday, 20 June 2015
Friday, 19 June 2015
20年ぶりに訪れた場所
4月に相方の伯父のお葬式があってから、5月に入ってさらに忙しくなり、あっという間に夏突入。
(ちなみに、お葬式に行くまで謎だった伯父の名前は、ジョルジョでした。霊安室の入り口に書いてあった。)
5月は前半にロンドン2泊、後半に2週間、ブリストルからバスで一時間ほどのウェルズ(ウェールズじゃないですよ、Wellsです)に行ってました。
私のヨガの先生がここ数年(とはいえ、私が指導を受けるようになったのは昨年からですが)、5月にイギリスでワークショップ、ティーチャートレーニング、ヨガ哲学の講義など開催されていて、今年は前半にロンドン、後半にウェルズという日程でした。
ロンドンの部分のメインは昨年受けたコースト同じだったので行かないつもりでしたが、、、。急きょ、「行くぞ!」と決めて、1日だけのワークショップに参加。ロンドンは相方も一緒だったので、初日に到着してからすぐにヨガスタジオに向かい、相方は自由行動。翌日2日間を二人でロンドン巡りしてきました。
そして帰ってきてからまたすぐに、今度は私一人でブリストル空港へ飛んで、バスを乗り継ぎウェルズへ。今度は13日間のヨガ哲学の講義へ。
このウェルズ。人口10000人ちょっとの小さな市で、電車もないので訪れるには少々不便なところ。でも、ヨガ哲学(今回は『バガヴァッド・ギータ』を一編ずつ見ていく長いコースでした!)の題材はもちろん、このウェルズには、どうしても行きたい!と思って、日本の貯金など駆使して予約して行ってきました!
ウェルズ市。イギリスの南西部、サマセットというエリアにある小さな都市で、近場の有名なところというと、ブリストルや、バースがあります。
このちょいと辺鄙なところにどうしても行きたかったのは、ちょうど20年前にひとりで訪れた土地だったから。まだ学生でした。
ふらっと行ったわけでもなく、そのときの目的はこれ。
(ちなみに、お葬式に行くまで謎だった伯父の名前は、ジョルジョでした。霊安室の入り口に書いてあった。)
5月は前半にロンドン2泊、後半に2週間、ブリストルからバスで一時間ほどのウェルズ(ウェールズじゃないですよ、Wellsです)に行ってました。
私のヨガの先生がここ数年(とはいえ、私が指導を受けるようになったのは昨年からですが)、5月にイギリスでワークショップ、ティーチャートレーニング、ヨガ哲学の講義など開催されていて、今年は前半にロンドン、後半にウェルズという日程でした。
ロンドンの部分のメインは昨年受けたコースト同じだったので行かないつもりでしたが、、、。急きょ、「行くぞ!」と決めて、1日だけのワークショップに参加。ロンドンは相方も一緒だったので、初日に到着してからすぐにヨガスタジオに向かい、相方は自由行動。翌日2日間を二人でロンドン巡りしてきました。
そして帰ってきてからまたすぐに、今度は私一人でブリストル空港へ飛んで、バスを乗り継ぎウェルズへ。今度は13日間のヨガ哲学の講義へ。
このウェルズ。人口10000人ちょっとの小さな市で、電車もないので訪れるには少々不便なところ。でも、ヨガ哲学(今回は『バガヴァッド・ギータ』を一編ずつ見ていく長いコースでした!)の題材はもちろん、このウェルズには、どうしても行きたい!と思って、日本の貯金など駆使して予約して行ってきました!
ウェルズ市。イギリスの南西部、サマセットというエリアにある小さな都市で、近場の有名なところというと、ブリストルや、バースがあります。
このちょいと辺鄙なところにどうしても行きたかったのは、ちょうど20年前にひとりで訪れた土地だったから。まだ学生でした。
ふらっと行ったわけでもなく、そのときの目的はこれ。
Wells Cathedral
ウェルズ大聖堂です。
私は大学の建築学科を卒業しています。その卒業論文に「ゴシック建築」をテーマに選んで論文を書きました(設計プロジェクトなんて考えようとも思わんかった、、、)。そのために(それよりも、旅行したいがためにテーマをわざわざ海外の建築に絞って)フランス、ドイツ、イギリスのゴシック教会建築を旅して廻ってたんです。
初めての一人海外旅行でした。行きたい教会をピックアップして、電車の乗り継ぎもユースホステル情報もぜーんぶ調べて旅程を組んで、、、。あぁ、懐かしい。
インターネットなんて、多分使ってなかったはず。電車はトーマス・クックの時刻表本とにらめっこ、ユースホステルも場所を調べるだけで予約も何もせず、その土地についたら「空き部屋ありますかー?」から始まり、あれば荷物を置いて、教会堂見学と街探索へ。(なければ、ユースをはしごです、、、。)
そんなふうに巡った教会の中で一番のお気に入りだったのが、このウェルズ大聖堂。
ドイツ、フランス、イギリスと造り方の基本や時代は似通っているけれど、まったく異なる様相を見せるゴシック教会建築で(語らせたらうるさいです、いや、うざいです)、それぞれ面白いところがあるけれど、入った瞬間に「うわっ!」と他とは違う強い印象を受けたのはこちら。
奥のシザー・アーチ(はさみ型のアーチ)です。写真などより、実際に目の前にアーチがあると驚きます、本当に。ものすごい重厚感で、こんな教会の造りがあったのかと。
イギリスに訪れたのはこれが6回目です。この教会に圧倒された学生のときの旅行、その後、1回目の旅の途中、小さなご縁で出会ったご夫婦のところに遊びに行く目的+大学卒業旅行と称して再訪、その数年後、またそのご夫婦に会いに3度目のイギリス。
10年ほど前にそのご夫婦(私の両親くらいの年齢の方々です)が、数ヶ月違いで亡くなってから、何となく足は遠のいてました。
昨年、東京にいらっしゃる私のヨガの先生から、素晴らしい先生を紹介していただいて、その先生がイギリスにいらっしゃるということで受講しに、久しぶりのロンドンへ。
亡くなったご夫婦の息子さんご夫婦とは時々連絡をとっていたので、久しぶりにロンドンに行くことを伝えると、「ロン(亡くなったご夫婦の旦那様)のコレクションで、あなたの名前が入っている電車があったのを覚えてる? 私の手元にあるのだけど、滞在しているホテルに送ってあげましょうか?」と。
亡くなったロンは、電車や飛行機のコレクター。家には壁はもちろん、どこもかしこも、モデルや絵や雑誌が所狭しと並んでいて、本人はバスの運転手をしていたこともある本当の乗り物オタク。ロンは私と出会ってから、新しく手に入れた電車のモデルに、なぜか私の名前のプレートを特別に作ってもらってつけてたんです。奥さんのマリーの手紙にも書いてあったし、実物も訪れたときに見せてもらったことを覚えてました。
それが残っていることに私はびっくり!
滞在は1週間あったので、その間に泊まっているホテルに私の名前入り電車を送ってもらい(これが綺麗に箱までとってあって、しかも絵皿つきの特別バージョンだった!)、受け取って開けたときには、20年近く前の思い出が蘇ってきて、もう号泣。
これが4度目のイギリス再訪のとき。
そして今年、5月に2回イギリスに訪れているので、5回目、6回目と連続したわけだけど、6回目の今回は、偶然にもヨガ哲学の講義がウェルズで、あの大好きな大聖堂を再訪。講義は、上の写真の大聖堂の左側に見える建物の横だったので、毎日、大聖堂の前の大きな芝生を横切って通いました。
小さな小さなご縁(ヨークの鉄道博物館のカフェでひとりでお茶を飲んでいたところ、ご夫婦に「こっちのテーブルにおいで。一緒にお茶を飲もう」と誘われたことが始まり)で、始まったイギリスと私の関係。
ヨガがからまって、何だか新しい方向へ向かってます。
でも、ヨガの先生がイギリスにいらっしゃるのは今年が最後とのこと。残念。
来週は、また妙なご縁で相方がひとりでイングランド北部のダーラムという街近辺を散策することに。
また新たなイギリスとの関係が築けそうな気配です。
Monday, 27 April 2015
亡くなってわかる(だろう)事実
相方の伯父が昨日亡くなった。今日、そちらの自宅へ伺うか、お葬式をするときに伺うことになると思う。ということで、私たちは相方のお母さんの行動に合わせるため連絡待ちの今朝。
考えてみると、、、。
私、この伯父さんの名前を知らない。何度も会っている。でも、みーんな、奥さんである伯母さんも、この伯父さんを姓名の姓の方で呼ぶのだ。
私たちが結婚したときに、この伯父伯母からプレゼントをいただいた。このプレゼントについていた名刺スタイルのカードには、伯父伯母の名前と娘たちの名前が書かれている。
伯父の名前の部分は、もちろん姓で。
相方にも聞いたことがある。「あの伯父さん、名前は何て言うの?」と。
実は、相方も知らない、、、。出会ったときから姓で呼んでるから。ほぼニックネームのように。
この伯父に最後に会ったのは、確か今年の1月の終わり頃。義母にランチを誘われて行ってみると、この伯父伯母も来ていた。ここ数年は治療生活で、住んでいるところはそう遠くなくとも、会う機会がなかなかなかった伯父の元気そうな姿に会えて、私は嬉しかった。
まだ私がイタリア語を話せないと思ってか、英語で一生懸命考えて、隣に座った私にゆっくりと話しかけてくれた。正直、私の英語レベルでも気付くほど、無茶苦茶な英語だったけど、一生懸命話しかけてくれることが私には嬉しかった。その場にいた義姉が、何度も「○○○(伯父の姓)、この子、イタリア語話すわよ」と伯父に促すけれど、伯父は聞いているのか聞いていないのか、英語で話し続けた。私も英語で答えた。私にとっては何語でもいいのだ、話ができるのだから。
さて。私には名前が不明なまま他界した伯父。昨年には初孫が生まれ、とても嬉しそうだった。赤ら顔でいつもにこやかな伯父だった。相方家族の旦那様にあたる方なので、相方家族とは違った気質の人に会えることも私には世界が広がる感じがして嬉しかった。
名前がわかったら、呼びかけてあげよう。
考えてみると、、、。
私、この伯父さんの名前を知らない。何度も会っている。でも、みーんな、奥さんである伯母さんも、この伯父さんを姓名の姓の方で呼ぶのだ。
私たちが結婚したときに、この伯父伯母からプレゼントをいただいた。このプレゼントについていた名刺スタイルのカードには、伯父伯母の名前と娘たちの名前が書かれている。
伯父の名前の部分は、もちろん姓で。
相方にも聞いたことがある。「あの伯父さん、名前は何て言うの?」と。
実は、相方も知らない、、、。出会ったときから姓で呼んでるから。ほぼニックネームのように。
この伯父に最後に会ったのは、確か今年の1月の終わり頃。義母にランチを誘われて行ってみると、この伯父伯母も来ていた。ここ数年は治療生活で、住んでいるところはそう遠くなくとも、会う機会がなかなかなかった伯父の元気そうな姿に会えて、私は嬉しかった。
まだ私がイタリア語を話せないと思ってか、英語で一生懸命考えて、隣に座った私にゆっくりと話しかけてくれた。正直、私の英語レベルでも気付くほど、無茶苦茶な英語だったけど、一生懸命話しかけてくれることが私には嬉しかった。その場にいた義姉が、何度も「○○○(伯父の姓)、この子、イタリア語話すわよ」と伯父に促すけれど、伯父は聞いているのか聞いていないのか、英語で話し続けた。私も英語で答えた。私にとっては何語でもいいのだ、話ができるのだから。
さて。私には名前が不明なまま他界した伯父。昨年には初孫が生まれ、とても嬉しそうだった。赤ら顔でいつもにこやかな伯父だった。相方家族の旦那様にあたる方なので、相方家族とは違った気質の人に会えることも私には世界が広がる感じがして嬉しかった。
名前がわかったら、呼びかけてあげよう。
Thursday, 9 April 2015
他人の掃除に文句をつける人
「イタリア人」と「掃除」。このキーワードはまだまだ続く。
掃除を誰かに依頼する人が多いイタリアの家庭(ビジネスとして)。夫婦共働きの家庭で、完璧な掃除を求めようとするからではないかと私は踏んでいる。そういうビジネスがあるからいいではないか、それは。
アイロンかけだけに雇われる人もいる。大概は外国人がそういった職業に就くけれど、時にイタリア人の掃除やアイロン好きなおばちゃんが働いてたりすることもある。
それはよしとして、、、。
私の周りに、人に頼んでおきながら、その掃除に裏で文句を言う人がいることも私は知っている、、、。「あんまり綺麗になんないわよね」と苦笑しながら。これはいただけない。
裏で文句を言うなら、頼まなきゃいいのにって思うんだけど。他の人に変えるとかさ。
でも、その人は同じ人に頼む。何かに文句を言いたいだけなんだろうな、こういう人は。
ついでに批判的に言わせてもらうと、その人は40歳で初めて子供をもち、子供が生まれるまでリンゴの皮をむいたことすらなかった。マンマが皮を剥いて出してくれてたから。
こんな完璧なイタリアンマンマの下で育った人もいるんだなーと、社会勉強にもなった瞬間だった、、、。
そして、消費期限前の食べ物をついこの前まで捨てていた人である。(「今は捨てないわよ」と言ってたが。)
私の適当な掃除に文句を言わない相方に感謝する瞬間でもあったけど、相方家族から「あの子、掃除できないんだわー」と裏で言われているのかもしれないとも思った。
いくらでも言ってくれい。私は掃除が非常に苦手なのだよー。
掃除を誰かに依頼する人が多いイタリアの家庭(ビジネスとして)。夫婦共働きの家庭で、完璧な掃除を求めようとするからではないかと私は踏んでいる。そういうビジネスがあるからいいではないか、それは。
アイロンかけだけに雇われる人もいる。大概は外国人がそういった職業に就くけれど、時にイタリア人の掃除やアイロン好きなおばちゃんが働いてたりすることもある。
それはよしとして、、、。
私の周りに、人に頼んでおきながら、その掃除に裏で文句を言う人がいることも私は知っている、、、。「あんまり綺麗になんないわよね」と苦笑しながら。これはいただけない。
裏で文句を言うなら、頼まなきゃいいのにって思うんだけど。他の人に変えるとかさ。
でも、その人は同じ人に頼む。何かに文句を言いたいだけなんだろうな、こういう人は。
ついでに批判的に言わせてもらうと、その人は40歳で初めて子供をもち、子供が生まれるまでリンゴの皮をむいたことすらなかった。マンマが皮を剥いて出してくれてたから。
こんな完璧なイタリアンマンマの下で育った人もいるんだなーと、社会勉強にもなった瞬間だった、、、。
そして、消費期限前の食べ物をついこの前まで捨てていた人である。(「今は捨てないわよ」と言ってたが。)
私の適当な掃除に文句を言わない相方に感謝する瞬間でもあったけど、相方家族から「あの子、掃除できないんだわー」と裏で言われているのかもしれないとも思った。
いくらでも言ってくれい。私は掃除が非常に苦手なのだよー。
Wednesday, 8 April 2015
掃除方法を知らないイタリア人に笑われた話
「イタリア」「掃除」というキーワードが出てくると、話が止まらん。
イタリアに来て困ったことのひとつ。
掃除の仕方がわからん、、、かった。
掃除機というものは存在するらしい。(当初、わが家にはほうきとちりとりしかなかった。)
で、あとは、、、?
スーパーにはずらずらーっと並ぶ掃除用洗剤。何をどう選べば良いのかわからない。
相方に聞いてもわからない。(掃除しないで育ったみたいよ、この人も。自分なりの掃除はするけどね。)
そんなわけで、相方マンマの家に来る掃除してくれる人に一度来てもらって一緒に掃除してもらった。(イタリアに来てすぐのことですよ。)
そうすると、「この日本人はきっと掃除機のかけ方すら知らないんだわ」と勘違いされ、掃除機の使い方から指導が始まった。
いや、そんなとこはいらんから、洗剤の種類の違いを教えてくれと、つたないイタリア語で伝え、相手もわかってくれて、家にあった洗剤をずらっと並べて説明が始まった。
「これはガラス用。乾いた布でこうやって拭くのよー。鏡とか、窓とか、テレビの画面とかね。これは家具用。これもほんの少しだけ乾いた布につけて木の家具を磨くのよ。これは床用、使うときはほーんの少しね(と言いつつ、どばっとバケツに入れてた)。こっちは床用の洗剤で掃除した後に、さらに清潔にしたいときに使うもの。これはトイレ用。お風呂、トイレ、洗面台にはアンチ・カルカーレ(石灰成分対策)がいいわよ。これはオーブン用(油分落とし専用)ね。このボトルはアンモニア。こっちはアルコール。」
もう、わけわからん。だいたい、何でこんなに洗剤を揃えたんだ?(私が買ってきたのではない。)
とりあえず、メモにしてみたものの、わからん。もうちょっとシンプルにできないもんだろうか。
掃除嫌いが、さらに嫌いになる。
床掃除が基本なのだろうが、掃除機かけて(もしくは箒で掃く)、モップで拭く。その後、床が乾くまでそこを歩けないのだ。跡がつくから。
なぬー? この不毛な待ち時間は、、、?
なんつー面倒くささ。
ふと、この面倒な掃除を、イタリア人はどれくらいの頻度で行っているのだろうか?と疑問に思った。
チャンスがあったときに、義妹にちょっと聞いてみた。
「イタリアの掃除の仕方が全然違うからよくわかんないんだけど、どれくらいの頻度で掃除してるの?」と。
頻度を答えてもらうよりも、一気に笑われた。「掃除の仕方がわからないのー?」と。
正直、、、傷ついたよ。笑われても仕方ないネタかもしれないけど、笑うんだ、やっぱり。こんなとき、改めて気付く。人のことを安易に笑ってはいけないのだ、と。
人の振り見て我が振り直せ、の瞬間であった。
それは置いといて、、、。今ではイタリア語が多少わかるようになってきたせいか、いまだに義妹はあの会話を思い出すと笑ってしまうらしいけど、私は以前のように傷ついたりしない。
ある日、義妹が「前にこんなことがあったのよー」と私が始めて掃除の質問をしたときのことを周りのイタリア人に話し始めた。
笑うイタリア人たち。
「じゃあ、あんたたち、掃除の仕方を他の国から来た生活様式の違う人に全部説明できるの?」と言ってみた。
我に返って黙る人もいたけど、乗り出して「当然さ!」と言わんばかりに説明し出すイタリア人も。
あぁ、私もムキになって切り返すんじゃなかった。掃除もろくにしない人が掃除の蘊蓄を私に語り始めたのだ。しかも自分の掃除武勇伝ではなく、マンマや奥さんのマンマがいかに素晴らしい掃除をするかということを。
こんな人は、とーってもウザい。そんなときは、イタリア語がわからない振りをして逃げる。外国人という立場を利用して。
昨日、久々に家のモップかけをしながら、そんなことを思い出してた。掃除が嫌いな上に、笑われたイヤな思いを思い出すので、本当はモップかけなんてしたくなーいと毎回思うのだ。
イタリアに来て困ったことのひとつ。
掃除の仕方がわからん、、、かった。
掃除機というものは存在するらしい。(当初、わが家にはほうきとちりとりしかなかった。)
で、あとは、、、?
スーパーにはずらずらーっと並ぶ掃除用洗剤。何をどう選べば良いのかわからない。
相方に聞いてもわからない。(掃除しないで育ったみたいよ、この人も。自分なりの掃除はするけどね。)
そんなわけで、相方マンマの家に来る掃除してくれる人に一度来てもらって一緒に掃除してもらった。(イタリアに来てすぐのことですよ。)
そうすると、「この日本人はきっと掃除機のかけ方すら知らないんだわ」と勘違いされ、掃除機の使い方から指導が始まった。
いや、そんなとこはいらんから、洗剤の種類の違いを教えてくれと、つたないイタリア語で伝え、相手もわかってくれて、家にあった洗剤をずらっと並べて説明が始まった。
「これはガラス用。乾いた布でこうやって拭くのよー。鏡とか、窓とか、テレビの画面とかね。これは家具用。これもほんの少しだけ乾いた布につけて木の家具を磨くのよ。これは床用、使うときはほーんの少しね(と言いつつ、どばっとバケツに入れてた)。こっちは床用の洗剤で掃除した後に、さらに清潔にしたいときに使うもの。これはトイレ用。お風呂、トイレ、洗面台にはアンチ・カルカーレ(石灰成分対策)がいいわよ。これはオーブン用(油分落とし専用)ね。このボトルはアンモニア。こっちはアルコール。」
もう、わけわからん。だいたい、何でこんなに洗剤を揃えたんだ?(私が買ってきたのではない。)
とりあえず、メモにしてみたものの、わからん。もうちょっとシンプルにできないもんだろうか。
掃除嫌いが、さらに嫌いになる。
床掃除が基本なのだろうが、掃除機かけて(もしくは箒で掃く)、モップで拭く。その後、床が乾くまでそこを歩けないのだ。跡がつくから。
なぬー? この不毛な待ち時間は、、、?
なんつー面倒くささ。
ふと、この面倒な掃除を、イタリア人はどれくらいの頻度で行っているのだろうか?と疑問に思った。
チャンスがあったときに、義妹にちょっと聞いてみた。
「イタリアの掃除の仕方が全然違うからよくわかんないんだけど、どれくらいの頻度で掃除してるの?」と。
頻度を答えてもらうよりも、一気に笑われた。「掃除の仕方がわからないのー?」と。
正直、、、傷ついたよ。笑われても仕方ないネタかもしれないけど、笑うんだ、やっぱり。こんなとき、改めて気付く。人のことを安易に笑ってはいけないのだ、と。
人の振り見て我が振り直せ、の瞬間であった。
それは置いといて、、、。今ではイタリア語が多少わかるようになってきたせいか、いまだに義妹はあの会話を思い出すと笑ってしまうらしいけど、私は以前のように傷ついたりしない。
ある日、義妹が「前にこんなことがあったのよー」と私が始めて掃除の質問をしたときのことを周りのイタリア人に話し始めた。
笑うイタリア人たち。
「じゃあ、あんたたち、掃除の仕方を他の国から来た生活様式の違う人に全部説明できるの?」と言ってみた。
我に返って黙る人もいたけど、乗り出して「当然さ!」と言わんばかりに説明し出すイタリア人も。
あぁ、私もムキになって切り返すんじゃなかった。掃除もろくにしない人が掃除の蘊蓄を私に語り始めたのだ。しかも自分の掃除武勇伝ではなく、マンマや奥さんのマンマがいかに素晴らしい掃除をするかということを。
こんな人は、とーってもウザい。そんなときは、イタリア語がわからない振りをして逃げる。外国人という立場を利用して。
昨日、久々に家のモップかけをしながら、そんなことを思い出してた。掃除が嫌いな上に、笑われたイヤな思いを思い出すので、本当はモップかけなんてしたくなーいと毎回思うのだ。
Tuesday, 7 April 2015
やっぱりイタリアの学校って生徒に掃除させないのね
異文化に触れて驚くこと、多々ありますわなー。
先日、甥っ子の中学校行事に参加して、火を使わずにできる料理というものを教室内で行い、廊下に並べたテーブルにできた料理を並べて、生徒、先生、保護者そろってみんなで食べた。
総勢200名ほどはいたかと。
終われば、それなりにぐちゃぐちゃですわ、食べ散らかした後はもちろん、料理した教室も。
この状況の中、行事の一環として生徒に「さぁ、食べ終わったから次は片づけの時間ですよ」ということにはまったくならず、「片づけなさい」という先生も親もほぼいなかったことにはびっくり。
びっくりというか、イタリアの学校では子供に掃除をさせないと聞いてはいたので、それを目の当たりにして、冷たい目線になってしまった。
学校で子供に掃除をさせない理由は知らない。でも、こんな行事をして、食べるだけ食べて、紙皿をぽいっとそこら辺に置いて行く子どもたち。これに、「片づけなくても良い、ゴミ箱に持っていかなくてもよい」という理由はないと思うんだけど、、、。
200人ほどが飲み食いしたのだから、あたりは相当な散らかりようだったけど、これを掃除したのは誰か。
その場にいた先生と、一部の保護者である。
その間、生徒はどうしていたか、、、。遊びに夢中。先生からの指導はなし。
使わなかったお皿などを戻しに来た子はいたけど、進んで掃除をする子はいなかった、、、。
中学校の1,2年生が主体だったので、12歳前後の子たちである。
家庭でも大概は、親が掃除してくれるか、掃除をしに来てくれる人を雇っている。
だから、基本的に掃除方法を学ぶなんてことがないのだ。
掃除をさせないことに何の理由があるのか知らないが、私が一番イヤだなーと思うのは「掃除をしない人は、散らかすこと、汚すことを気にしない」こと。
だって、誰かが掃除して綺麗にしてくれるから。
イタリアのマンマたちは性格が強いだけでなく、家庭をきちんと保つ強さがすばらしい。自宅を掃除するマンマは徹底的に掃除する。子供に手出しなんてさせない。家は塵一つ、曇り一つなくピッカピカである。
徹底的に掃除するマンマ、もしくは掃除のために雇われている人が家にいて、学校では掃除をしない。
どこで掃除を学ぶのだろうか。ない。
必要になったらどこかで覚えるんだろう。ラッキーな人ならば、一生掃除をしなくてよい生活を送るかもしれない。
さらに言えば、昔から食洗機を導入しているイタリア。お皿や鍋の洗い方を知らない人もわんさかいる。大人になっていざ、食洗機のない家に住み、洗わなければいけないというときには、鍋など内側を洗っても、外側を洗わないのだ。お皿も内側を洗って、外側を洗わない。
さ・れ・ど。
不思議なのは、こんなイタリア人たちも、料理だけはきちんと家の味を習う人が多いこと。
「マンマに習ったの」「おじいちゃんのこだわりの味」など、おいしいものには家族の秘訣が隠されていることが多い。
料理を教えるならさ、ついでに片づけも教えたら良いんではないのかい?と思うのは私だけだろうか、、、。
先日、甥っ子の中学校行事に参加して、火を使わずにできる料理というものを教室内で行い、廊下に並べたテーブルにできた料理を並べて、生徒、先生、保護者そろってみんなで食べた。
総勢200名ほどはいたかと。
終われば、それなりにぐちゃぐちゃですわ、食べ散らかした後はもちろん、料理した教室も。
この状況の中、行事の一環として生徒に「さぁ、食べ終わったから次は片づけの時間ですよ」ということにはまったくならず、「片づけなさい」という先生も親もほぼいなかったことにはびっくり。
びっくりというか、イタリアの学校では子供に掃除をさせないと聞いてはいたので、それを目の当たりにして、冷たい目線になってしまった。
学校で子供に掃除をさせない理由は知らない。でも、こんな行事をして、食べるだけ食べて、紙皿をぽいっとそこら辺に置いて行く子どもたち。これに、「片づけなくても良い、ゴミ箱に持っていかなくてもよい」という理由はないと思うんだけど、、、。
200人ほどが飲み食いしたのだから、あたりは相当な散らかりようだったけど、これを掃除したのは誰か。
その場にいた先生と、一部の保護者である。
その間、生徒はどうしていたか、、、。遊びに夢中。先生からの指導はなし。
使わなかったお皿などを戻しに来た子はいたけど、進んで掃除をする子はいなかった、、、。
中学校の1,2年生が主体だったので、12歳前後の子たちである。
家庭でも大概は、親が掃除してくれるか、掃除をしに来てくれる人を雇っている。
だから、基本的に掃除方法を学ぶなんてことがないのだ。
掃除をさせないことに何の理由があるのか知らないが、私が一番イヤだなーと思うのは「掃除をしない人は、散らかすこと、汚すことを気にしない」こと。
だって、誰かが掃除して綺麗にしてくれるから。
イタリアのマンマたちは性格が強いだけでなく、家庭をきちんと保つ強さがすばらしい。自宅を掃除するマンマは徹底的に掃除する。子供に手出しなんてさせない。家は塵一つ、曇り一つなくピッカピカである。
徹底的に掃除するマンマ、もしくは掃除のために雇われている人が家にいて、学校では掃除をしない。
どこで掃除を学ぶのだろうか。ない。
必要になったらどこかで覚えるんだろう。ラッキーな人ならば、一生掃除をしなくてよい生活を送るかもしれない。
さらに言えば、昔から食洗機を導入しているイタリア。お皿や鍋の洗い方を知らない人もわんさかいる。大人になっていざ、食洗機のない家に住み、洗わなければいけないというときには、鍋など内側を洗っても、外側を洗わないのだ。お皿も内側を洗って、外側を洗わない。
さ・れ・ど。
不思議なのは、こんなイタリア人たちも、料理だけはきちんと家の味を習う人が多いこと。
「マンマに習ったの」「おじいちゃんのこだわりの味」など、おいしいものには家族の秘訣が隠されていることが多い。
料理を教えるならさ、ついでに片づけも教えたら良いんではないのかい?と思うのは私だけだろうか、、、。
Monday, 6 April 2015
生春巻き、子どもたちにもウケました!
中学校1年生の甥っ子の学校行事で、外国の食べ物を作ろうという企画があり、父母ミーティングなるもので中学校に初潜入し、先々週の土曜日、行事参加に行ってきました!
前日になって、「私も行くから」と行っていた甥っ子の母親、私の義妹(年上だけどね)は仕事で行けないとわかり、ギョギョー!とひとり焦ってたけど、行けないものは仕方ない。
朝、甥っ子を車でピックアップして、朝8時の開始に間に合うように行きました。
だが、しかーし。
学校の前には人だかり。そう、学校が開いてないのだ。
待つこと約20分。ようやく8:20になって開校。どうなんよ、これ。
それはよしとして、子どもたちはがんばってくるくると生春巻きを巻いてくれました。
(写真を載せてましたが都合により削除しました。)
前日になって、「私も行くから」と行っていた甥っ子の母親、私の義妹(年上だけどね)は仕事で行けないとわかり、ギョギョー!とひとり焦ってたけど、行けないものは仕方ない。
朝、甥っ子を車でピックアップして、朝8時の開始に間に合うように行きました。
だが、しかーし。
学校の前には人だかり。そう、学校が開いてないのだ。
待つこと約20分。ようやく8:20になって開校。どうなんよ、これ。
それはよしとして、子どもたちはがんばってくるくると生春巻きを巻いてくれました。
(写真を載せてましたが都合により削除しました。)
できあがったものはこちら。
ソースにタイの甘辛ソースと、念のため、口に合わない人がいたら困るので、マヨネーズも持っていっておいたけど、意外にもタイの甘辛ソースのウケが非常によくて、マヨネーズをありあわせのように持っていった意味はあまりなかったかも。
お皿に出したソースを、子どもたちが指突っ込んでなめる。やめてくれ〜。
学校入り口の廊下にずらずらーっと並べた各国の料理。
クスクス、サラダ、ホットドッグなど色々。火を使わずに時間内にできるものという制限があったので、なじみのあるイタリア料理もちらほら(ティラミスとか、電気オーブンで焼くだけのピザとか)。
頼りになる義妹なしに乗り込んで、ドキドキしたけど、同じクラスのお母様がたが気さくな方ばかりで助かりました!
8時から13時までという時間枠だったけれど、片づけを含めても1時間半ほど前には終了。
でも帰らせてもらえない、、、。
なぜかというと、この行事、通常の学校時間の埋め合わせのために開催したんだとか。
だから、規定の時間を子どもたちは学校に拘束されなければならないわけ。ほー、そんな裏事情があったのか。
子どもたちは中庭で遊び始め、手伝いに来ている母親たちも、子どもたちを置いて行くわけにもいかず、廊下でおしゃべり。
親たちはできれば帰りたいと思いつつも、仕方ないのでおしゃべりで時間潰し。
しばらくして先生が、「記録するので、帰宅してもいいですよ」と言ってくれて、「どの生徒が何時何分に誰と帰宅した」というメモに父兄のサインを入れて帰らせてくれた。ほっ。
その後、昨日のパスクアで、甥っ子は相当生春巻きが気に入ったと見え、家族ランチに生春巻きを作ってくれた。中身がすこーしばかり寂しい生春巻きだったけど、とってもおいしくいただきました!
行事では周りのお母さん方も興味津々で、これ、私も作りたいわーとメモしてってくれました。密かにこの街で生春巻きが流行ったりしてね。
なんだかんだと、幼稚園から大学まで、一通りのイタリアの学校潜入を果たした私(果たすことが目的ではなかったけど)。
幼稚園2ヶ所で折り紙を教え、小学校ではヨガ、中学校の行事参加、高校は相方が美術の授業を行った後の発表の場にくっついていき、大学は年金受給対象者向けの折り紙指導(会場が大学だったというだけ)。イタリア経験、積んでますよー。
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