相方の伯父が昨日亡くなった。今日、そちらの自宅へ伺うか、お葬式をするときに伺うことになると思う。ということで、私たちは相方のお母さんの行動に合わせるため連絡待ちの今朝。
考えてみると、、、。
私、この伯父さんの名前を知らない。何度も会っている。でも、みーんな、奥さんである伯母さんも、この伯父さんを姓名の姓の方で呼ぶのだ。
私たちが結婚したときに、この伯父伯母からプレゼントをいただいた。このプレゼントについていた名刺スタイルのカードには、伯父伯母の名前と娘たちの名前が書かれている。
伯父の名前の部分は、もちろん姓で。
相方にも聞いたことがある。「あの伯父さん、名前は何て言うの?」と。
実は、相方も知らない、、、。出会ったときから姓で呼んでるから。ほぼニックネームのように。
この伯父に最後に会ったのは、確か今年の1月の終わり頃。義母にランチを誘われて行ってみると、この伯父伯母も来ていた。ここ数年は治療生活で、住んでいるところはそう遠くなくとも、会う機会がなかなかなかった伯父の元気そうな姿に会えて、私は嬉しかった。
まだ私がイタリア語を話せないと思ってか、英語で一生懸命考えて、隣に座った私にゆっくりと話しかけてくれた。正直、私の英語レベルでも気付くほど、無茶苦茶な英語だったけど、一生懸命話しかけてくれることが私には嬉しかった。その場にいた義姉が、何度も「○○○(伯父の姓)、この子、イタリア語話すわよ」と伯父に促すけれど、伯父は聞いているのか聞いていないのか、英語で話し続けた。私も英語で答えた。私にとっては何語でもいいのだ、話ができるのだから。
さて。私には名前が不明なまま他界した伯父。昨年には初孫が生まれ、とても嬉しそうだった。赤ら顔でいつもにこやかな伯父だった。相方家族の旦那様にあたる方なので、相方家族とは違った気質の人に会えることも私には世界が広がる感じがして嬉しかった。
名前がわかったら、呼びかけてあげよう。
Monday, 27 April 2015
Thursday, 9 April 2015
他人の掃除に文句をつける人
「イタリア人」と「掃除」。このキーワードはまだまだ続く。
掃除を誰かに依頼する人が多いイタリアの家庭(ビジネスとして)。夫婦共働きの家庭で、完璧な掃除を求めようとするからではないかと私は踏んでいる。そういうビジネスがあるからいいではないか、それは。
アイロンかけだけに雇われる人もいる。大概は外国人がそういった職業に就くけれど、時にイタリア人の掃除やアイロン好きなおばちゃんが働いてたりすることもある。
それはよしとして、、、。
私の周りに、人に頼んでおきながら、その掃除に裏で文句を言う人がいることも私は知っている、、、。「あんまり綺麗になんないわよね」と苦笑しながら。これはいただけない。
裏で文句を言うなら、頼まなきゃいいのにって思うんだけど。他の人に変えるとかさ。
でも、その人は同じ人に頼む。何かに文句を言いたいだけなんだろうな、こういう人は。
ついでに批判的に言わせてもらうと、その人は40歳で初めて子供をもち、子供が生まれるまでリンゴの皮をむいたことすらなかった。マンマが皮を剥いて出してくれてたから。
こんな完璧なイタリアンマンマの下で育った人もいるんだなーと、社会勉強にもなった瞬間だった、、、。
そして、消費期限前の食べ物をついこの前まで捨てていた人である。(「今は捨てないわよ」と言ってたが。)
私の適当な掃除に文句を言わない相方に感謝する瞬間でもあったけど、相方家族から「あの子、掃除できないんだわー」と裏で言われているのかもしれないとも思った。
いくらでも言ってくれい。私は掃除が非常に苦手なのだよー。
掃除を誰かに依頼する人が多いイタリアの家庭(ビジネスとして)。夫婦共働きの家庭で、完璧な掃除を求めようとするからではないかと私は踏んでいる。そういうビジネスがあるからいいではないか、それは。
アイロンかけだけに雇われる人もいる。大概は外国人がそういった職業に就くけれど、時にイタリア人の掃除やアイロン好きなおばちゃんが働いてたりすることもある。
それはよしとして、、、。
私の周りに、人に頼んでおきながら、その掃除に裏で文句を言う人がいることも私は知っている、、、。「あんまり綺麗になんないわよね」と苦笑しながら。これはいただけない。
裏で文句を言うなら、頼まなきゃいいのにって思うんだけど。他の人に変えるとかさ。
でも、その人は同じ人に頼む。何かに文句を言いたいだけなんだろうな、こういう人は。
ついでに批判的に言わせてもらうと、その人は40歳で初めて子供をもち、子供が生まれるまでリンゴの皮をむいたことすらなかった。マンマが皮を剥いて出してくれてたから。
こんな完璧なイタリアンマンマの下で育った人もいるんだなーと、社会勉強にもなった瞬間だった、、、。
そして、消費期限前の食べ物をついこの前まで捨てていた人である。(「今は捨てないわよ」と言ってたが。)
私の適当な掃除に文句を言わない相方に感謝する瞬間でもあったけど、相方家族から「あの子、掃除できないんだわー」と裏で言われているのかもしれないとも思った。
いくらでも言ってくれい。私は掃除が非常に苦手なのだよー。
Wednesday, 8 April 2015
掃除方法を知らないイタリア人に笑われた話
「イタリア」「掃除」というキーワードが出てくると、話が止まらん。
イタリアに来て困ったことのひとつ。
掃除の仕方がわからん、、、かった。
掃除機というものは存在するらしい。(当初、わが家にはほうきとちりとりしかなかった。)
で、あとは、、、?
スーパーにはずらずらーっと並ぶ掃除用洗剤。何をどう選べば良いのかわからない。
相方に聞いてもわからない。(掃除しないで育ったみたいよ、この人も。自分なりの掃除はするけどね。)
そんなわけで、相方マンマの家に来る掃除してくれる人に一度来てもらって一緒に掃除してもらった。(イタリアに来てすぐのことですよ。)
そうすると、「この日本人はきっと掃除機のかけ方すら知らないんだわ」と勘違いされ、掃除機の使い方から指導が始まった。
いや、そんなとこはいらんから、洗剤の種類の違いを教えてくれと、つたないイタリア語で伝え、相手もわかってくれて、家にあった洗剤をずらっと並べて説明が始まった。
「これはガラス用。乾いた布でこうやって拭くのよー。鏡とか、窓とか、テレビの画面とかね。これは家具用。これもほんの少しだけ乾いた布につけて木の家具を磨くのよ。これは床用、使うときはほーんの少しね(と言いつつ、どばっとバケツに入れてた)。こっちは床用の洗剤で掃除した後に、さらに清潔にしたいときに使うもの。これはトイレ用。お風呂、トイレ、洗面台にはアンチ・カルカーレ(石灰成分対策)がいいわよ。これはオーブン用(油分落とし専用)ね。このボトルはアンモニア。こっちはアルコール。」
もう、わけわからん。だいたい、何でこんなに洗剤を揃えたんだ?(私が買ってきたのではない。)
とりあえず、メモにしてみたものの、わからん。もうちょっとシンプルにできないもんだろうか。
掃除嫌いが、さらに嫌いになる。
床掃除が基本なのだろうが、掃除機かけて(もしくは箒で掃く)、モップで拭く。その後、床が乾くまでそこを歩けないのだ。跡がつくから。
なぬー? この不毛な待ち時間は、、、?
なんつー面倒くささ。
ふと、この面倒な掃除を、イタリア人はどれくらいの頻度で行っているのだろうか?と疑問に思った。
チャンスがあったときに、義妹にちょっと聞いてみた。
「イタリアの掃除の仕方が全然違うからよくわかんないんだけど、どれくらいの頻度で掃除してるの?」と。
頻度を答えてもらうよりも、一気に笑われた。「掃除の仕方がわからないのー?」と。
正直、、、傷ついたよ。笑われても仕方ないネタかもしれないけど、笑うんだ、やっぱり。こんなとき、改めて気付く。人のことを安易に笑ってはいけないのだ、と。
人の振り見て我が振り直せ、の瞬間であった。
それは置いといて、、、。今ではイタリア語が多少わかるようになってきたせいか、いまだに義妹はあの会話を思い出すと笑ってしまうらしいけど、私は以前のように傷ついたりしない。
ある日、義妹が「前にこんなことがあったのよー」と私が始めて掃除の質問をしたときのことを周りのイタリア人に話し始めた。
笑うイタリア人たち。
「じゃあ、あんたたち、掃除の仕方を他の国から来た生活様式の違う人に全部説明できるの?」と言ってみた。
我に返って黙る人もいたけど、乗り出して「当然さ!」と言わんばかりに説明し出すイタリア人も。
あぁ、私もムキになって切り返すんじゃなかった。掃除もろくにしない人が掃除の蘊蓄を私に語り始めたのだ。しかも自分の掃除武勇伝ではなく、マンマや奥さんのマンマがいかに素晴らしい掃除をするかということを。
こんな人は、とーってもウザい。そんなときは、イタリア語がわからない振りをして逃げる。外国人という立場を利用して。
昨日、久々に家のモップかけをしながら、そんなことを思い出してた。掃除が嫌いな上に、笑われたイヤな思いを思い出すので、本当はモップかけなんてしたくなーいと毎回思うのだ。
イタリアに来て困ったことのひとつ。
掃除の仕方がわからん、、、かった。
掃除機というものは存在するらしい。(当初、わが家にはほうきとちりとりしかなかった。)
で、あとは、、、?
スーパーにはずらずらーっと並ぶ掃除用洗剤。何をどう選べば良いのかわからない。
相方に聞いてもわからない。(掃除しないで育ったみたいよ、この人も。自分なりの掃除はするけどね。)
そんなわけで、相方マンマの家に来る掃除してくれる人に一度来てもらって一緒に掃除してもらった。(イタリアに来てすぐのことですよ。)
そうすると、「この日本人はきっと掃除機のかけ方すら知らないんだわ」と勘違いされ、掃除機の使い方から指導が始まった。
いや、そんなとこはいらんから、洗剤の種類の違いを教えてくれと、つたないイタリア語で伝え、相手もわかってくれて、家にあった洗剤をずらっと並べて説明が始まった。
「これはガラス用。乾いた布でこうやって拭くのよー。鏡とか、窓とか、テレビの画面とかね。これは家具用。これもほんの少しだけ乾いた布につけて木の家具を磨くのよ。これは床用、使うときはほーんの少しね(と言いつつ、どばっとバケツに入れてた)。こっちは床用の洗剤で掃除した後に、さらに清潔にしたいときに使うもの。これはトイレ用。お風呂、トイレ、洗面台にはアンチ・カルカーレ(石灰成分対策)がいいわよ。これはオーブン用(油分落とし専用)ね。このボトルはアンモニア。こっちはアルコール。」
もう、わけわからん。だいたい、何でこんなに洗剤を揃えたんだ?(私が買ってきたのではない。)
とりあえず、メモにしてみたものの、わからん。もうちょっとシンプルにできないもんだろうか。
掃除嫌いが、さらに嫌いになる。
床掃除が基本なのだろうが、掃除機かけて(もしくは箒で掃く)、モップで拭く。その後、床が乾くまでそこを歩けないのだ。跡がつくから。
なぬー? この不毛な待ち時間は、、、?
なんつー面倒くささ。
ふと、この面倒な掃除を、イタリア人はどれくらいの頻度で行っているのだろうか?と疑問に思った。
チャンスがあったときに、義妹にちょっと聞いてみた。
「イタリアの掃除の仕方が全然違うからよくわかんないんだけど、どれくらいの頻度で掃除してるの?」と。
頻度を答えてもらうよりも、一気に笑われた。「掃除の仕方がわからないのー?」と。
正直、、、傷ついたよ。笑われても仕方ないネタかもしれないけど、笑うんだ、やっぱり。こんなとき、改めて気付く。人のことを安易に笑ってはいけないのだ、と。
人の振り見て我が振り直せ、の瞬間であった。
それは置いといて、、、。今ではイタリア語が多少わかるようになってきたせいか、いまだに義妹はあの会話を思い出すと笑ってしまうらしいけど、私は以前のように傷ついたりしない。
ある日、義妹が「前にこんなことがあったのよー」と私が始めて掃除の質問をしたときのことを周りのイタリア人に話し始めた。
笑うイタリア人たち。
「じゃあ、あんたたち、掃除の仕方を他の国から来た生活様式の違う人に全部説明できるの?」と言ってみた。
我に返って黙る人もいたけど、乗り出して「当然さ!」と言わんばかりに説明し出すイタリア人も。
あぁ、私もムキになって切り返すんじゃなかった。掃除もろくにしない人が掃除の蘊蓄を私に語り始めたのだ。しかも自分の掃除武勇伝ではなく、マンマや奥さんのマンマがいかに素晴らしい掃除をするかということを。
こんな人は、とーってもウザい。そんなときは、イタリア語がわからない振りをして逃げる。外国人という立場を利用して。
昨日、久々に家のモップかけをしながら、そんなことを思い出してた。掃除が嫌いな上に、笑われたイヤな思いを思い出すので、本当はモップかけなんてしたくなーいと毎回思うのだ。
Tuesday, 7 April 2015
やっぱりイタリアの学校って生徒に掃除させないのね
異文化に触れて驚くこと、多々ありますわなー。
先日、甥っ子の中学校行事に参加して、火を使わずにできる料理というものを教室内で行い、廊下に並べたテーブルにできた料理を並べて、生徒、先生、保護者そろってみんなで食べた。
総勢200名ほどはいたかと。
終われば、それなりにぐちゃぐちゃですわ、食べ散らかした後はもちろん、料理した教室も。
この状況の中、行事の一環として生徒に「さぁ、食べ終わったから次は片づけの時間ですよ」ということにはまったくならず、「片づけなさい」という先生も親もほぼいなかったことにはびっくり。
びっくりというか、イタリアの学校では子供に掃除をさせないと聞いてはいたので、それを目の当たりにして、冷たい目線になってしまった。
学校で子供に掃除をさせない理由は知らない。でも、こんな行事をして、食べるだけ食べて、紙皿をぽいっとそこら辺に置いて行く子どもたち。これに、「片づけなくても良い、ゴミ箱に持っていかなくてもよい」という理由はないと思うんだけど、、、。
200人ほどが飲み食いしたのだから、あたりは相当な散らかりようだったけど、これを掃除したのは誰か。
その場にいた先生と、一部の保護者である。
その間、生徒はどうしていたか、、、。遊びに夢中。先生からの指導はなし。
使わなかったお皿などを戻しに来た子はいたけど、進んで掃除をする子はいなかった、、、。
中学校の1,2年生が主体だったので、12歳前後の子たちである。
家庭でも大概は、親が掃除してくれるか、掃除をしに来てくれる人を雇っている。
だから、基本的に掃除方法を学ぶなんてことがないのだ。
掃除をさせないことに何の理由があるのか知らないが、私が一番イヤだなーと思うのは「掃除をしない人は、散らかすこと、汚すことを気にしない」こと。
だって、誰かが掃除して綺麗にしてくれるから。
イタリアのマンマたちは性格が強いだけでなく、家庭をきちんと保つ強さがすばらしい。自宅を掃除するマンマは徹底的に掃除する。子供に手出しなんてさせない。家は塵一つ、曇り一つなくピッカピカである。
徹底的に掃除するマンマ、もしくは掃除のために雇われている人が家にいて、学校では掃除をしない。
どこで掃除を学ぶのだろうか。ない。
必要になったらどこかで覚えるんだろう。ラッキーな人ならば、一生掃除をしなくてよい生活を送るかもしれない。
さらに言えば、昔から食洗機を導入しているイタリア。お皿や鍋の洗い方を知らない人もわんさかいる。大人になっていざ、食洗機のない家に住み、洗わなければいけないというときには、鍋など内側を洗っても、外側を洗わないのだ。お皿も内側を洗って、外側を洗わない。
さ・れ・ど。
不思議なのは、こんなイタリア人たちも、料理だけはきちんと家の味を習う人が多いこと。
「マンマに習ったの」「おじいちゃんのこだわりの味」など、おいしいものには家族の秘訣が隠されていることが多い。
料理を教えるならさ、ついでに片づけも教えたら良いんではないのかい?と思うのは私だけだろうか、、、。
先日、甥っ子の中学校行事に参加して、火を使わずにできる料理というものを教室内で行い、廊下に並べたテーブルにできた料理を並べて、生徒、先生、保護者そろってみんなで食べた。
総勢200名ほどはいたかと。
終われば、それなりにぐちゃぐちゃですわ、食べ散らかした後はもちろん、料理した教室も。
この状況の中、行事の一環として生徒に「さぁ、食べ終わったから次は片づけの時間ですよ」ということにはまったくならず、「片づけなさい」という先生も親もほぼいなかったことにはびっくり。
びっくりというか、イタリアの学校では子供に掃除をさせないと聞いてはいたので、それを目の当たりにして、冷たい目線になってしまった。
学校で子供に掃除をさせない理由は知らない。でも、こんな行事をして、食べるだけ食べて、紙皿をぽいっとそこら辺に置いて行く子どもたち。これに、「片づけなくても良い、ゴミ箱に持っていかなくてもよい」という理由はないと思うんだけど、、、。
200人ほどが飲み食いしたのだから、あたりは相当な散らかりようだったけど、これを掃除したのは誰か。
その場にいた先生と、一部の保護者である。
その間、生徒はどうしていたか、、、。遊びに夢中。先生からの指導はなし。
使わなかったお皿などを戻しに来た子はいたけど、進んで掃除をする子はいなかった、、、。
中学校の1,2年生が主体だったので、12歳前後の子たちである。
家庭でも大概は、親が掃除してくれるか、掃除をしに来てくれる人を雇っている。
だから、基本的に掃除方法を学ぶなんてことがないのだ。
掃除をさせないことに何の理由があるのか知らないが、私が一番イヤだなーと思うのは「掃除をしない人は、散らかすこと、汚すことを気にしない」こと。
だって、誰かが掃除して綺麗にしてくれるから。
イタリアのマンマたちは性格が強いだけでなく、家庭をきちんと保つ強さがすばらしい。自宅を掃除するマンマは徹底的に掃除する。子供に手出しなんてさせない。家は塵一つ、曇り一つなくピッカピカである。
徹底的に掃除するマンマ、もしくは掃除のために雇われている人が家にいて、学校では掃除をしない。
どこで掃除を学ぶのだろうか。ない。
必要になったらどこかで覚えるんだろう。ラッキーな人ならば、一生掃除をしなくてよい生活を送るかもしれない。
さらに言えば、昔から食洗機を導入しているイタリア。お皿や鍋の洗い方を知らない人もわんさかいる。大人になっていざ、食洗機のない家に住み、洗わなければいけないというときには、鍋など内側を洗っても、外側を洗わないのだ。お皿も内側を洗って、外側を洗わない。
さ・れ・ど。
不思議なのは、こんなイタリア人たちも、料理だけはきちんと家の味を習う人が多いこと。
「マンマに習ったの」「おじいちゃんのこだわりの味」など、おいしいものには家族の秘訣が隠されていることが多い。
料理を教えるならさ、ついでに片づけも教えたら良いんではないのかい?と思うのは私だけだろうか、、、。
Monday, 6 April 2015
生春巻き、子どもたちにもウケました!
中学校1年生の甥っ子の学校行事で、外国の食べ物を作ろうという企画があり、父母ミーティングなるもので中学校に初潜入し、先々週の土曜日、行事参加に行ってきました!
前日になって、「私も行くから」と行っていた甥っ子の母親、私の義妹(年上だけどね)は仕事で行けないとわかり、ギョギョー!とひとり焦ってたけど、行けないものは仕方ない。
朝、甥っ子を車でピックアップして、朝8時の開始に間に合うように行きました。
だが、しかーし。
学校の前には人だかり。そう、学校が開いてないのだ。
待つこと約20分。ようやく8:20になって開校。どうなんよ、これ。
それはよしとして、子どもたちはがんばってくるくると生春巻きを巻いてくれました。
(写真を載せてましたが都合により削除しました。)
前日になって、「私も行くから」と行っていた甥っ子の母親、私の義妹(年上だけどね)は仕事で行けないとわかり、ギョギョー!とひとり焦ってたけど、行けないものは仕方ない。
朝、甥っ子を車でピックアップして、朝8時の開始に間に合うように行きました。
だが、しかーし。
学校の前には人だかり。そう、学校が開いてないのだ。
待つこと約20分。ようやく8:20になって開校。どうなんよ、これ。
それはよしとして、子どもたちはがんばってくるくると生春巻きを巻いてくれました。
(写真を載せてましたが都合により削除しました。)
できあがったものはこちら。
ソースにタイの甘辛ソースと、念のため、口に合わない人がいたら困るので、マヨネーズも持っていっておいたけど、意外にもタイの甘辛ソースのウケが非常によくて、マヨネーズをありあわせのように持っていった意味はあまりなかったかも。
お皿に出したソースを、子どもたちが指突っ込んでなめる。やめてくれ〜。
学校入り口の廊下にずらずらーっと並べた各国の料理。
クスクス、サラダ、ホットドッグなど色々。火を使わずに時間内にできるものという制限があったので、なじみのあるイタリア料理もちらほら(ティラミスとか、電気オーブンで焼くだけのピザとか)。
頼りになる義妹なしに乗り込んで、ドキドキしたけど、同じクラスのお母様がたが気さくな方ばかりで助かりました!
8時から13時までという時間枠だったけれど、片づけを含めても1時間半ほど前には終了。
でも帰らせてもらえない、、、。
なぜかというと、この行事、通常の学校時間の埋め合わせのために開催したんだとか。
だから、規定の時間を子どもたちは学校に拘束されなければならないわけ。ほー、そんな裏事情があったのか。
子どもたちは中庭で遊び始め、手伝いに来ている母親たちも、子どもたちを置いて行くわけにもいかず、廊下でおしゃべり。
親たちはできれば帰りたいと思いつつも、仕方ないのでおしゃべりで時間潰し。
しばらくして先生が、「記録するので、帰宅してもいいですよ」と言ってくれて、「どの生徒が何時何分に誰と帰宅した」というメモに父兄のサインを入れて帰らせてくれた。ほっ。
その後、昨日のパスクアで、甥っ子は相当生春巻きが気に入ったと見え、家族ランチに生春巻きを作ってくれた。中身がすこーしばかり寂しい生春巻きだったけど、とってもおいしくいただきました!
行事では周りのお母さん方も興味津々で、これ、私も作りたいわーとメモしてってくれました。密かにこの街で生春巻きが流行ったりしてね。
なんだかんだと、幼稚園から大学まで、一通りのイタリアの学校潜入を果たした私(果たすことが目的ではなかったけど)。
幼稚園2ヶ所で折り紙を教え、小学校ではヨガ、中学校の行事参加、高校は相方が美術の授業を行った後の発表の場にくっついていき、大学は年金受給対象者向けの折り紙指導(会場が大学だったというだけ)。イタリア経験、積んでますよー。
Tuesday, 17 March 2015
中学校の父母ミーティングでツッコミが入ったおじさん(+イタリアの教育)
先日、甥っ子のために中学校の父母ミーティングに参加してきました。
話題は、学校行事の「海外の食文化に触れよう」というもので、生徒が5人くらいのグループになって、火を使わずにできる(ミニオーブン、電子レンジはあり)料理を作って、みんなで食べる企画。火を使わずに、といっても、調理が必要なものは、家で父母が用意することになっている。
24グループあり、各グループが違うものを作るので、24個のレシピを挙げて欲しいというのがミーティングの主題。
私たち夫婦は子供がいないので、父母側の立場でミーティングに参加することなんて、まず、ない。でも今回は、家族に外国人がいる児童は招待しても良いので、甥っ子から招待されたわけ。
噂に聞く父母ミーティング、甥っ子の母親(義妹、年上だけどさ)と一緒にいってきました。
20人ちょっと集まっている父母会で、ひたすら見ているだけで、個人的に発言を求められない限り黙っている人が約半数。
聞いてもいないのに、勝手に適当な感想を大声で述べる母親数名。(こういう人ほど、声がよく通る、なんでだろう。)
たとえば、義妹は、全員に意見を求められたときに意見があれば発言するし、先生が黒板に書ききれず「どなたか記録をとってもらえませんか」というときに進んで手をあげるタイプ。
そしてその他の人は、、、。
一生懸命発言する、そう、こういうタイプの人たち。
先生が「どなたかシェフがいらっしゃると聞いたのですが、、、」というと、少し控えめに真ん中あたりから手が上がった。
「私です。フランス人です」と。
先生は喜んで「あらー、フランス料理を子供たちに指導してくださったら嬉しいわー」と。周りの父母も期待のまなざし。
いざ、メニュー名を挙げていく段階になり、このフランス人シェフは「私は○○を提案します」とフランス語のメニューをいい、先生がそのまま黒板に記録した。
その後も、積極的に発言しフランス語のメニューを挙げてくれた。
「下準備が必要なものは私が用意してきますから」と。
そこに質問が。
「あの○○ってメニュー、どんな料理なんですか?」と。
そりゃそーだ。私もわからん。
それがこのフランス人シェフ、「まぁ、フランスの料理なんですけど、タルトのなんちゃらかんちゃらで、、、」と簡単に説明を済ませようとした。
質問した母親は「タルトなら、火を使うのではないですか?」とさらに質問。
フランス人シェフは「私が用意してきますから」と答えるだけ。
また別の母親が「子供たちは何ができるんですか?」と質問。
それにも「えーと、こうやってああやって、、、」と、もごもごと言い、「私が用意してきますから」と。
別の母親が「一体、どうやって作るんですか?」と質問。
「えー、準備は私がするので大丈夫です!」と言い切った。
イライラした母親の一人が一言。
「あなた、どんだけ秘密なんですか? ”私が作ります”、”私が準備してきます”って、全然わかりませんけど」と。
当然だわなー、このツッコミ。
それでも、「ええ、まぁ、、、」と、説明しないフランス人シェフ。こっちも強い。
こうなってくると、周りの気が抜け始め、大声で教室の端と端で打ち合わせをし出す母親たちや、先生の近くに行って直接話し出す母親はどぐちゃぐちゃになってきた。
帰り出す親たちを見て、先生は「作るメニューだけは決めて申告していってくださいねー!」と叫ぶ。
このぐちゃぐちゃ具合に乗じて、私と義妹は「うちのグループは生春巻きを作りますから」といって出てきた。
ここで私は思った。
親戚の家庭しかり、知り合いの家庭しかり、今短期でヨガを教えに行っている小学校しかり、子供が大人に話しかけ、大人の気を引きたいとき、一生懸命気を引こうとするけれど大人は「今話し中だから待ちなさい」と必ず制する。後から子供に話しかけて聞く大人もいれば、忘れてしまう大人もいる。こちらに来た頃、ここまで子供の話に耳を傾けないのか、とびっくりしたこともある。
話し中の大人の邪魔をしてはいけないという教育だけれど、私にはこの教育は果たしてイタリア人には効果があるのだろうかと疑問に思っている。
理にかなっていようがどうだろうが「人より声が大きく相手を黙らせた方が勝つ」社会。人の話を聞いてから、人より大きい声を出して相手を黙らせるわけではなく、誰かが話している途中にさらに大きな声を出して黙らせるのが常。
侵略し、侵略され、歴史を歩んできたイタリアなので、こういう性質が染みついているとイタリア人たちは説明するけれど、小さい頃から「話し中は待ちなさい」って教育されたんじゃないの?と思う。
日本で育った私も、他の在伊邦人も、イタリア人の会話に入り込めない、自分は途中で大きな声で切って入っていくことはできない、と口にする。そうなのだよ、自然と聞く耳もっちゃうのだよ。
聞く耳をもつことは、私はいいことだと思っている。相手の話を聞き、自分の意見を言う、会話のキャッチボールが生まれると思っている。だから、覆い被せるように相手を黙らせようとするイタリア人が苦手である。
そんなとき、どうするか。
冷静に聞いて、あとは負けないだけ。東洋人の冷静さがモノを言うのはここ。
相手に巻かれたら負け。意思をもって冷静に接するべし。はい。
でも、自分の主張が通らないと気付く人は、割りと逃げて消え入るように主張をやめて、こちらは答えが欲しくとも、なあなあなまな会話が終わることもしばしば。
上記のように、フランス人シェフからきちんと答えをもらえなかった母親たちはあきらめたように話題を変え始めるといった状況になる。黙る側が「あきらめ」ならば、まだよい。これがただの「逃げ」態勢で黙り込まれる場合、「相手が声を荒げてきて私はイヤな思いをしているのに、何の会話だったんだろうか、、、」と腑に落ちない気分になることもある。こんなとき、最初は「私のイタリア語が通じなかったから、会話をやめてしまったのだろうか」と気にしたこともあったけど、今では大した内容ではなかったのだ、と流すことにしている。これが後から気を揉まなくて済む最良の方法かと。
話題は、学校行事の「海外の食文化に触れよう」というもので、生徒が5人くらいのグループになって、火を使わずにできる(ミニオーブン、電子レンジはあり)料理を作って、みんなで食べる企画。火を使わずに、といっても、調理が必要なものは、家で父母が用意することになっている。
24グループあり、各グループが違うものを作るので、24個のレシピを挙げて欲しいというのがミーティングの主題。
私たち夫婦は子供がいないので、父母側の立場でミーティングに参加することなんて、まず、ない。でも今回は、家族に外国人がいる児童は招待しても良いので、甥っ子から招待されたわけ。
噂に聞く父母ミーティング、甥っ子の母親(義妹、年上だけどさ)と一緒にいってきました。
20人ちょっと集まっている父母会で、ひたすら見ているだけで、個人的に発言を求められない限り黙っている人が約半数。
聞いてもいないのに、勝手に適当な感想を大声で述べる母親数名。(こういう人ほど、声がよく通る、なんでだろう。)
たとえば、義妹は、全員に意見を求められたときに意見があれば発言するし、先生が黒板に書ききれず「どなたか記録をとってもらえませんか」というときに進んで手をあげるタイプ。
そしてその他の人は、、、。
一生懸命発言する、そう、こういうタイプの人たち。
先生が「どなたかシェフがいらっしゃると聞いたのですが、、、」というと、少し控えめに真ん中あたりから手が上がった。
「私です。フランス人です」と。
先生は喜んで「あらー、フランス料理を子供たちに指導してくださったら嬉しいわー」と。周りの父母も期待のまなざし。
いざ、メニュー名を挙げていく段階になり、このフランス人シェフは「私は○○を提案します」とフランス語のメニューをいい、先生がそのまま黒板に記録した。
その後も、積極的に発言しフランス語のメニューを挙げてくれた。
「下準備が必要なものは私が用意してきますから」と。
そこに質問が。
「あの○○ってメニュー、どんな料理なんですか?」と。
そりゃそーだ。私もわからん。
それがこのフランス人シェフ、「まぁ、フランスの料理なんですけど、タルトのなんちゃらかんちゃらで、、、」と簡単に説明を済ませようとした。
質問した母親は「タルトなら、火を使うのではないですか?」とさらに質問。
フランス人シェフは「私が用意してきますから」と答えるだけ。
また別の母親が「子供たちは何ができるんですか?」と質問。
それにも「えーと、こうやってああやって、、、」と、もごもごと言い、「私が用意してきますから」と。
別の母親が「一体、どうやって作るんですか?」と質問。
「えー、準備は私がするので大丈夫です!」と言い切った。
イライラした母親の一人が一言。
「あなた、どんだけ秘密なんですか? ”私が作ります”、”私が準備してきます”って、全然わかりませんけど」と。
当然だわなー、このツッコミ。
それでも、「ええ、まぁ、、、」と、説明しないフランス人シェフ。こっちも強い。
こうなってくると、周りの気が抜け始め、大声で教室の端と端で打ち合わせをし出す母親たちや、先生の近くに行って直接話し出す母親はどぐちゃぐちゃになってきた。
帰り出す親たちを見て、先生は「作るメニューだけは決めて申告していってくださいねー!」と叫ぶ。
このぐちゃぐちゃ具合に乗じて、私と義妹は「うちのグループは生春巻きを作りますから」といって出てきた。
ここで私は思った。
親戚の家庭しかり、知り合いの家庭しかり、今短期でヨガを教えに行っている小学校しかり、子供が大人に話しかけ、大人の気を引きたいとき、一生懸命気を引こうとするけれど大人は「今話し中だから待ちなさい」と必ず制する。後から子供に話しかけて聞く大人もいれば、忘れてしまう大人もいる。こちらに来た頃、ここまで子供の話に耳を傾けないのか、とびっくりしたこともある。
話し中の大人の邪魔をしてはいけないという教育だけれど、私にはこの教育は果たしてイタリア人には効果があるのだろうかと疑問に思っている。
理にかなっていようがどうだろうが「人より声が大きく相手を黙らせた方が勝つ」社会。人の話を聞いてから、人より大きい声を出して相手を黙らせるわけではなく、誰かが話している途中にさらに大きな声を出して黙らせるのが常。
侵略し、侵略され、歴史を歩んできたイタリアなので、こういう性質が染みついているとイタリア人たちは説明するけれど、小さい頃から「話し中は待ちなさい」って教育されたんじゃないの?と思う。
日本で育った私も、他の在伊邦人も、イタリア人の会話に入り込めない、自分は途中で大きな声で切って入っていくことはできない、と口にする。そうなのだよ、自然と聞く耳もっちゃうのだよ。
聞く耳をもつことは、私はいいことだと思っている。相手の話を聞き、自分の意見を言う、会話のキャッチボールが生まれると思っている。だから、覆い被せるように相手を黙らせようとするイタリア人が苦手である。
そんなとき、どうするか。
冷静に聞いて、あとは負けないだけ。東洋人の冷静さがモノを言うのはここ。
相手に巻かれたら負け。意思をもって冷静に接するべし。はい。
でも、自分の主張が通らないと気付く人は、割りと逃げて消え入るように主張をやめて、こちらは答えが欲しくとも、なあなあなまな会話が終わることもしばしば。
上記のように、フランス人シェフからきちんと答えをもらえなかった母親たちはあきらめたように話題を変え始めるといった状況になる。黙る側が「あきらめ」ならば、まだよい。これがただの「逃げ」態勢で黙り込まれる場合、「相手が声を荒げてきて私はイヤな思いをしているのに、何の会話だったんだろうか、、、」と腑に落ちない気分になることもある。こんなとき、最初は「私のイタリア語が通じなかったから、会話をやめてしまったのだろうか」と気にしたこともあったけど、今では大した内容ではなかったのだ、と流すことにしている。これが後から気を揉まなくて済む最良の方法かと。
Friday, 13 March 2015
イタリアの学校の父母ミーティングに行ってみた(子供はいませんが)
先日、イタリアの中1になる甥から電話がかかってきた。
「学校で外国の食文化のイベントがあるんだけど、来てくれる?」と。
「喜んで行くわよー!」と返事をすると、ほっとした様子でお母さんに電話を代わった。
話を詳しくもう一度聞くと、中学校で「外国の料理を作って食べよう」というイベントを開催するらしく、家族に外国人がいる人はこのイベントに招待して良い、とのこと。甥っ子は「僕の叔母は日本人だ! 連れて来る!」と意気込んだらしい。
当日に参加できる父母の代表が前もって集まり会議するというので、今日、甥っ子の母親(私の義妹)とともに会議に参加してきた。
私たちが着いた頃にはすでに始まっていて、20人ちょっとの父母が集まり、二人の先生が議長として話をしていた。
見回してみると、明らかに顔でわかる外国人は私のみ。まさか、呼ばれてないのに来ちゃったのか、、、?
でも、会議の途中で、父親らしきひとりが「私はフランス人ですが、、、」と発言したので、ほっ。
先生の話では、いくつかレシピは用意したけど、24グループあるので、1グループ1レシピで24レシピ考えて欲しいと。
ならば、思いつくレシピを出していこうと、それぞれが口々にレシピを挙げ出す。
条件は、
・子供が簡単な調理だけで作れるもので、片づけも含めて5時間で終わらせること
・火を使わない(だから、準備できるものは家で父母が準備する)、学校で使えるものは小さなオーブンと電子レンジのみ
・子供が食べそうなもの
・生卵を使わない
・乳糖不耐性、グルテン不耐性には気をつけること(絶対ダメというわけではない)
などなど。
出てきたレシピは、クスクス、ホットドッグ、フムス、ギリシャ風サラダなどなど。
そこに、「春巻き」が入ってた。
「春巻き」と聞いて大抵のイタリア人が想像するのは、中華風の揚げたもの。「火が使えないから、これはダメね」と却下になりそうなところを私が「ライスペーパーで生春巻きにすれば大丈夫ですよ」と言うと、ほぼみなさん、きょとん?と。「なーにそれ? どこで買えるの?」と聞かれたので、「ときどき(街に1件だけある)中華食材店で売っていて、水に30秒もつけてから材料を巻き込むだけだから、子供も楽しめると思います」と言うと、お母様方、経験者のあなたが言うならって感じに納得してくれ、大きな話題にもならず、私は「生春巻き」作りを手伝うことになった。
どんどんメニューの名前が挙がっていくと、だんだんネタがつきてくるのか「ブルスケッタ」「ジェノベーゼソース」「マチェドニア(フルーツポンチ)」と、それ、ガチのイタリア料理じゃーんっていうものが挙がってくる。
先生も「リグーリア(ジェノベーゼソースの発祥地、ジェノヴァがある地方)料理、いいアイデアね!」と喜んじゃって、誰もツッコミをいれる様子もない。ジェノヴァは外国とちゃうやーん。
挙げられたレシピの中で、誰も謎に思わないけど、私一人が謎に思ったものがあった。(声には出さなかったけど。)
「リゾ・カントネーゼ」。広東風の米料理。私は、それはチャーハンのようなものをさすのではないのだろーかと思った。そうじゃなーい?
義妹に「リゾ・カントネーゼって何? 私の思うリゾ・カントネーゼは、仕上げに火を使うと思うんだけど」と聞いてみると、「私はわかんないわー。でも、親が米を調理してきて、当日は子供が何かできるんじゃないの?」と。
それって、、、イタリア風のライスサラダとごちゃまぜになってないか?
イタリア風のライスサラダは、パスタのように塩を入れて茹でたお米に、後から調理済みの野菜やら何やら好きなものを混ぜて、オリーブオイルをどしゃどしゃーっとこれでもかってほどかけて和えるもの。
この方法をもとにした、広東風の米料理になるのか、まさか? ぞぞぞー。
なーんか奇妙な料理が並ぶイベントになりそうな、、、?
でも、楽しそうじゃないの、無茶苦茶になりそうで。
要は子供たちが手を動かして楽しめればいいのだから、妙なツッコミは墓穴を掘るだけになりそうなので、私はひたすら黙っておいた。
お寿司を作りたそうなお母さんがひとりいたけど、私に白羽の矢がたたなくてよかった。
後から考えてみると、私に「寿司を作ってくれ」と言われなかったのも、当然なのかも。
私が住んでいる地域ではお寿司を出すレストランは中華料理屋と決まっている。(1軒だけ日本料理屋があるけれど、普段は日本人の料理人がいないし、オーナーもイタリア人なので、あまり知られていない。)
お寿司=日本料理という図式があったとしても、日本がアジアのどこにあるのか知らない人も多い。私もヨーロッパの国々の場所を全部言えと言われてもできないとこもあるので、そんなこともありえるでしょう。
私が教室に入ったときに「あなたが、日本人の叔母さんって方ね」と先生が父母の前で言ったものの、アジア人顔は「日本人」と説明があっても、次の瞬間には全員がそんなことを忘れて、「あなた、中国人ではなかったわよね、だったらタイ人?」とそんな感じなので、お寿司の国から来た人がいるなんてことを、誰もが忘れてるはず。
あー、よかった。このイタリア人の適当加減。誰も「あなたの国の料理は、、、?」なんて尋ねてくることもなかった。
妙なツッコミも質問もなく、生春巻き作りを子供たちに教えて作るということに決まったので良かったー。
でも、妙なツッコミが入ったのは、「フランス人です」と言った父親だった。
その話は次回にでも、、、。
「学校で外国の食文化のイベントがあるんだけど、来てくれる?」と。
「喜んで行くわよー!」と返事をすると、ほっとした様子でお母さんに電話を代わった。
話を詳しくもう一度聞くと、中学校で「外国の料理を作って食べよう」というイベントを開催するらしく、家族に外国人がいる人はこのイベントに招待して良い、とのこと。甥っ子は「僕の叔母は日本人だ! 連れて来る!」と意気込んだらしい。
当日に参加できる父母の代表が前もって集まり会議するというので、今日、甥っ子の母親(私の義妹)とともに会議に参加してきた。
私たちが着いた頃にはすでに始まっていて、20人ちょっとの父母が集まり、二人の先生が議長として話をしていた。
見回してみると、明らかに顔でわかる外国人は私のみ。まさか、呼ばれてないのに来ちゃったのか、、、?
でも、会議の途中で、父親らしきひとりが「私はフランス人ですが、、、」と発言したので、ほっ。
先生の話では、いくつかレシピは用意したけど、24グループあるので、1グループ1レシピで24レシピ考えて欲しいと。
ならば、思いつくレシピを出していこうと、それぞれが口々にレシピを挙げ出す。
条件は、
・子供が簡単な調理だけで作れるもので、片づけも含めて5時間で終わらせること
・火を使わない(だから、準備できるものは家で父母が準備する)、学校で使えるものは小さなオーブンと電子レンジのみ
・子供が食べそうなもの
・生卵を使わない
・乳糖不耐性、グルテン不耐性には気をつけること(絶対ダメというわけではない)
などなど。
出てきたレシピは、クスクス、ホットドッグ、フムス、ギリシャ風サラダなどなど。
そこに、「春巻き」が入ってた。
「春巻き」と聞いて大抵のイタリア人が想像するのは、中華風の揚げたもの。「火が使えないから、これはダメね」と却下になりそうなところを私が「ライスペーパーで生春巻きにすれば大丈夫ですよ」と言うと、ほぼみなさん、きょとん?と。「なーにそれ? どこで買えるの?」と聞かれたので、「ときどき(街に1件だけある)中華食材店で売っていて、水に30秒もつけてから材料を巻き込むだけだから、子供も楽しめると思います」と言うと、お母様方、経験者のあなたが言うならって感じに納得してくれ、大きな話題にもならず、私は「生春巻き」作りを手伝うことになった。
どんどんメニューの名前が挙がっていくと、だんだんネタがつきてくるのか「ブルスケッタ」「ジェノベーゼソース」「マチェドニア(フルーツポンチ)」と、それ、ガチのイタリア料理じゃーんっていうものが挙がってくる。
先生も「リグーリア(ジェノベーゼソースの発祥地、ジェノヴァがある地方)料理、いいアイデアね!」と喜んじゃって、誰もツッコミをいれる様子もない。ジェノヴァは外国とちゃうやーん。
挙げられたレシピの中で、誰も謎に思わないけど、私一人が謎に思ったものがあった。(声には出さなかったけど。)
「リゾ・カントネーゼ」。広東風の米料理。私は、それはチャーハンのようなものをさすのではないのだろーかと思った。そうじゃなーい?
義妹に「リゾ・カントネーゼって何? 私の思うリゾ・カントネーゼは、仕上げに火を使うと思うんだけど」と聞いてみると、「私はわかんないわー。でも、親が米を調理してきて、当日は子供が何かできるんじゃないの?」と。
それって、、、イタリア風のライスサラダとごちゃまぜになってないか?
イタリア風のライスサラダは、パスタのように塩を入れて茹でたお米に、後から調理済みの野菜やら何やら好きなものを混ぜて、オリーブオイルをどしゃどしゃーっとこれでもかってほどかけて和えるもの。
この方法をもとにした、広東風の米料理になるのか、まさか? ぞぞぞー。
なーんか奇妙な料理が並ぶイベントになりそうな、、、?
でも、楽しそうじゃないの、無茶苦茶になりそうで。
要は子供たちが手を動かして楽しめればいいのだから、妙なツッコミは墓穴を掘るだけになりそうなので、私はひたすら黙っておいた。
お寿司を作りたそうなお母さんがひとりいたけど、私に白羽の矢がたたなくてよかった。
後から考えてみると、私に「寿司を作ってくれ」と言われなかったのも、当然なのかも。
私が住んでいる地域ではお寿司を出すレストランは中華料理屋と決まっている。(1軒だけ日本料理屋があるけれど、普段は日本人の料理人がいないし、オーナーもイタリア人なので、あまり知られていない。)
お寿司=日本料理という図式があったとしても、日本がアジアのどこにあるのか知らない人も多い。私もヨーロッパの国々の場所を全部言えと言われてもできないとこもあるので、そんなこともありえるでしょう。
私が教室に入ったときに「あなたが、日本人の叔母さんって方ね」と先生が父母の前で言ったものの、アジア人顔は「日本人」と説明があっても、次の瞬間には全員がそんなことを忘れて、「あなた、中国人ではなかったわよね、だったらタイ人?」とそんな感じなので、お寿司の国から来た人がいるなんてことを、誰もが忘れてるはず。
あー、よかった。このイタリア人の適当加減。誰も「あなたの国の料理は、、、?」なんて尋ねてくることもなかった。
妙なツッコミも質問もなく、生春巻き作りを子供たちに教えて作るということに決まったので良かったー。
でも、妙なツッコミが入ったのは、「フランス人です」と言った父親だった。
その話は次回にでも、、、。
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