Sunday, 23 March 2014

染まった! BIOKAP

先週、大切な友人の結婚式に参列するために1週間帰国してました。相方も一緒に。
帰国前に「ちょっとくらい若さを取り戻して、、、」、なーんてことを考えて、去年の秋に失敗したヘナで髪染再挑戦。

前回は忍耐が足りず、30分から2時間くらい放置しなければいけないところを、30分になるかならないかで洗い流したので、確実に失敗。

今回はがんばるぞ!と2時間放置したのですが、、、。

またしても失敗。
今回の敗因は、ヘナで作ったペーストの温度が下がり過ぎたのかと。

さらには、すぐにピアスなどをつけたら、どうも反応したらしく、耳の裏側のピアスの金具があたるあたりが痒い。かっさかさになってしまったので、しばらくピアスも外してました、、、。

ヘナの扱いにまだ慣れない私なのですが、、、そんなことにはお構いなく白髪は伸びるわけ。

30代までは、実は抜いてましたっ!
脳天のあたりばかり生えるので、鏡を見てわかりやすいんですよねー。短いのが鬼太郎の妖気反応とばかりにピコンと立つから。

もうすぐ40代ってときに「そろそろやめとくか、、、」と抜くのをやめ、今ではショートボブの長さまで白髪が達するほどに。

髪の分け目によってはとても目立つので、染めなきゃ、染めなきゃと思いつつ、面倒で放ったらかしに。
帰国直前にヘナを取り出しても失敗。

染まらなかったものは染まらなかったのさ、と開き直りもすばやく、帰国も結婚式もそのままの頭で。

イタリアに戻ってきてから、前回(1年以上前だった!)に使ったBIOKAPを買ってきた。
時差ボケで夜は早く寝たいもんだから、一昨日は風呂に入らず昨日の朝ゆっくりお風呂へ。
髪染しちゃおっかなっと思ったけど、もうすでに風呂に片足を突っ込んだ状態。
準備とか面倒じゃなかったかしら、、、。

湯船につけた片足を戻してふきふきし、BIOKAPの箱を取りに行って見てみると、
1. 液体とクリームを付属ボトルの中で混ぜる。
2. ボトルの口をはさみでカットする。
3. 根元付近に薬剤を半分ほどつけて馴染ませて20分放置。
4. 残りの薬剤を全部つけてコームで馴染ませ、15分放置。
5. ぬるま湯を加えつつカラーをさらに行き渡らさせ、カラーを洗い落とす。
6. 付属のシャンプーで洗う。

いやいや、何とも簡単じゃないの。先に髪を洗っておく必要もなく、ブラッシングしてスタイリング剤の残りをできるだけ取ること、それだけ。(これ以外のメーカーの製品を国内外とも使ったことがないのですが、みんなこんなもん?)

ヘナの場合、髪をまず洗って、お湯を沸かして、自分で容器を用意してヘナペーストを作って、(やってないけど、本来は)筆を使って髪にペーストをのせ、すぐにシャワーキャップをしてタオルなどをまいて保温。ここで30分から2時間待たねばならない。

これに比べれば、BIOKAPはつけるだけ、馴染ませるだけ、覆って保温する必要もなく、洗い流すだけ。
なーんと、簡単。どうやら風呂場に持ってこなければいけないのは、ボトルのキャップについた注ぎ口をカットして穴をあけるためのハサミのみ。

2度もヘナで失敗した後は、BIOKAPがすばらしく簡単に見えてくる。

そして染まり具合も良かった!
前回の色番は3.0。今回はお店の愛想悪いおねえちゃんと話をして2.9という色を使うことに(こちらの色は匂いのないデリケートシリーズでした)。
一段濃いめかなという感じはするけれど、悪くないですよ、これ。

デリケートシリーズだったけど、塗って放置している約35分の間に、なんとなく頭皮はちりちりきましたけどね。私はデリケート肌でもないので、デリケートな方はお気をつけくださいね〜。

大概のBIOショップでは扱っていると思うので、髪を染めてみようと思う方、ぜひお試しくだされ〜。

BIOKAP
(急に思い立って染めたので、もちろん写真などはなしです。)


 

Friday, 7 March 2014

バスで友達がでけた!

たびたびバスネタを載せておりますが、、、。

つい先日、私も「バスで終始しゃべり続けるデビュー」なるものに至る友達が!

これまでにでてきたアフリカ系の底抜けに明るい女性でもなく、運転中に写真の見せ合いっこをする運転手でもおばはんでもなく、、、。

これまで会ったか会ったことないか?っていう運転手さんと!
(そう、運転手と友達になって運転手中に30分ほどしゃべり続けた私なんですけどね、、、)

私が乗るバス停は、バスが角から曲ってきたところにすぐある新設されたバス停。
そこは同じ方向に行く道路が二車線。当然、バスは歩道寄りの車線に入るはずなのに、、、。
この運転手、待っている、しかも手を挙げて合図してる私を無視して、向こう側の車線に入り、次のラウンドを曲ろうとしていた!

ヤバい!
と思って、バスに駆け寄り、ドアをガンガン叩いてみた。
ドアは開いて「何やってんだよ! 危ないじゃないか!」と一発。

いやいや、何やってんだよってそれはこっちのセリフで、、、。何でバス停で待っている人がいないか確認しないのかな。
「そこのバス停で待ってましたよ! 何で止まらないのよ!」と私も負けませんよ、そりゃ、これが最終バスなんだから。

運「ダメだよ、あんなとこで待ってたら」
私「バス停でしょ? あそこは!」
運「何で次のバス停で待たないんだよ。次のバス停の方が停まりやすいだろ! ここはすぐに車線を変えなきゃいけないから大変なんだよ」

私(怒! 何の言い訳だ、このおっさん!)

私「他のバスは停まってくれますよ! いつもあそこで待ってるんだから! ここの方が家から近いんだから、何で遠いバス停まで行かなきゃいけないの?」
運「何分待ってたの? 仕事は何時に終わるの?」
私「これから仕事に行くんですよ。5分前くらいからちゃんと待ってましたよ、私!」
運「あー、ごめん、ごめん。悪かったよ。でもな、あっちのバス停の方(私には遠い方)が見やすいし、停まりやすいんだよ」

(↑運転手の都合優先かいっ!)

切符の打刻をしたくて打刻の機械に挿しても動かない。よく見ると電源が入ってない。
私「これ、壊れてんですか?」
運「あ、あんた、切符もってんの、、、?」

バカにしとんのかーーーーー!
すぐに打刻機の電源をつけてもらって切符に打刻。運転席のスイッチひとつで電源入るじゃん! つけとけーーー!

運転手は運転を続けながらこんなやりとりをしつつ、、、。
どう考えても、運転手が悪いでしょ?
もう面倒だわーと思いつつ、後ろの座席に行こうとしたら、、、。

運「ちょっと待ちなよ、どっから来たの?」と。
私「日本ですけど、、、」

これを機に、「まー、そこに座んなよ」と運転座席の近くを指す。
「ごめん」と言い出したころからだいぶ穏やかになっきて、さらに嬉しそうに「日本人と話すの初めてだよー」と。

まー、和解しとくか、と私は運転席の近くに座って、、、。

私が降りるまで30〜40分のおしゃべり突入〜。
初めての日本人ってことで、何でここにいるんだ、何の仕事だ、日本はどうだ、何曜日にこのバスに乗るんだ、、、などなど。

最後には私が降りるときに握手までしてしまった〜。
運転手と握手して「ありがとね」なんて初めてだよ、私には。

この日の帰りは遅いので、相方が車で迎えに来てくれる。このことを話すと、、、。
「運転席の上の方に"運転手に話しかけないで下さい"とか書いてなかった?」と。
あぁ、書いてあったかもねぇ。一応イタリアでもそういう注意書きはあるらしいし。

とにかく、この日はイタリア人デビューした気分だった。
何って、大声で他愛ないおしゃべりを続けることに。運転中だからある程度の声をあげないと聞こえないしさ。

そして翌日。
その日は午後のヨガクラスのため同じ路線に。
行きはよく見る寡黙な運転手。
そして帰りは、、、昨日の運転手、エウジェニオだー!
乗るときに挨拶をしつつ、さすがに通勤時間帯なので乗客が多いから私も適当なところに着席。
静かにバスはいつもの路線を走る。

私が降りるところは、ほぼ全員が降りた後のひとつ先。割と最後のほうなので、乗客はいつも私ひとりか2人ほどしか残っていない。

ほぼ全員が降りる駅前のバス停を過ぎたところで、この運転手エウジェニオが「おーい、どこにいるのー?」と声をかけてきた。

昨日あれだけおしゃべりしてりゃ、もう今日は"友"。
「ここだよー。次で降ろしてね」と運転席の近くにいってお願いする。

運「今日もヨガしてきたのかー?」
私「うん、してきたよー。またね〜」とバスを降りる。

切掛けってこんなもんなのね。

このエウジェニオ、ちょいと他の運転手と違うところがある。
他の運転手、定期を購入して乗ってくる客の定期まではチェックしない。
でも、彼はチェックするのだ。乗ってきた客に「チケットは? 定期なら見せろ」と。
イタリアのバスでここまでチェックする運転手は正直見たことがなかった。だって、切符をチェックするのは他の担当員がいるから。よく聞く、突如現れるチェック係だ。
でもなぜかチェックを自分でするエウジェニオ。
常連のおばはんがひとり、「定期、私持ってるわよ」とエラそーに無視していったけど、他の人たちは顔なじみでもきちんと見せている。
あぁ、機能しているって(イタリアでは)すばらすぃ。

次回はいつ会うかしら、エウジェニオ。
私もバスでしゃべり続けるイタリア社会にデビューしてしまったのだ。どうかお願い、事故だけは起こさないでねーと思いつつ。




Saturday, 1 March 2014

さて、どうしよ。イタリア人のアイロン習慣

ただいま、ほんの小さなことに悩んでおります。

先日から、知り合いの60近いおっさんが入院してまして、その間の洗濯物を引き受けることに。
たった今、洗い終えて干しているのですが。

さて。
アイロンして渡すべきか、、、。
カットソー素材のパジャマのズボン、下着なのですが、、、。

かなりの割合のイタリア人の方が、下着、靴下含め、なんでもアイロンするんですよねー。
私は相方がワイシャツでも着ない限りは、洗濯物にアイロンしません。ほんっと、必要にせまられたときのみ。これが私の習慣。

この知り合いのおっさん、一人住まいで唯一の身内のお姉さんは遠方住まい。さて、普段はアイロンかけを自分でしてるのだろうか。それとも、家のことをいろいろとしてくれる方がやってくれるのだろうか。
いや、そんな人がいるならば、友人たちに洗濯物やら、着替えを病院まで持ってきてもらえるようお願いしないだろうなぁ。

入院中に少しでも気持ちよく過ごせるよう、アイロンするかーと思ったけど、本日退院。
いずれにせよ、気持ちよく過ごせるならば、アイロンしてあげるべきなのか。

「アイロンするべき?」と聞くと、「何言ってんの?この子」と、アイロンしない方がおかしいような反応を示すイタリア人もいなくはない。
ちょっとした地味なカルチャーショックのはざまにゆれる瞬間なのでした。

Thursday, 20 February 2014

恐怖の「あのねー」 (言葉について思ったこと その2)

英語の「you know」、イタリア語の「sai」、日本語の「知ってる」について自分の思うことを書いた続きです。(こちら

英語の「you know」は適当に考え克服し、イタリア語の「sai」はあることを切掛けに克服しつつあると書きましたが、、、。

その切掛けとは。

うちの相方は、日本語は話せません。でも、時に私は日本語で話しかけます。
会話はなりたたないので後から言い直しますが、相方の仕事部屋に入り、机に向かっている相方の背中に最初にかける言葉はこれ。

「あのさー」や「あのねー」。(日本語で)

そして、これを切り出されると、相方は相当ビクッとするようです。

はて? なぜ?

とりあえず会話を続けますが、先日も相方は首をすくめてかなり嫌悪感を表したので、大した用事でもないし、、、ということで話したいことを話すのを止めました。

なぜ、相方はこんなに「あのねー」と話しかけられるのが嫌なのだろうか。
これまでにも何度となく使ってきた。
「あのねー、今日面白いことがあった!」
「あのさー、今日の午後、スーパーに買い物に行かない?」
などなど。

嫌悪感を抱かれる内容を言ったかしら、、、?
言った、、、かも、、、?
「あのね、お皿をゆすぐときは手でも触って、汚れが落ちているか確認してよ」
「あのさー、部屋の掃除しなさいよ」
こういうチクチクささる言葉、言い過ぎたか? いや、そんなにナイーブなのかい?

先日、突如気づいた。
「あのねー」や「あのさー」の後に何となく間を置いていたから、自分では呼びかけの意味合いを強くしたつもりだったけど、これって英語「you know」であり、イタリア語の「sai」と同じではないか、、、。

だとすると、私が持っている嫌悪感(前回のポストご参照されたし)と一緒?

それならば、「自分がされたら嫌なことを人にするな」の黄金法則?

あぁ、きっと、相方は「あのさー」だとか「あのね」と言われると、私からこれまで言われてきたことがトラウマのようにすり込まれて、どんな話題だろうと聞きたくないわけだ。

私がイタリア語の「sai...」に抱く気持ちと似ているのかもねぇ。英語の「you know」は、実際に相槌でも解決することがある。もしかしてイタリア語も、、、?(怠け者なので、実際どうなのか調べていませんが、これで私の頭の中で納得いくことは多々あります。Saiの使い方にもよりますが。)

もしかして相方も嫌なのか?という感覚に陥ったら、黄金法則。自分が嫌なことは相手にしないほうがいいわけだ。

でも、私、嫌なことを言いたいつもりで「あのさー」「あのね」を連発するわけではない。
であるとすると、、、イタリア人もそのつもり? 私の中に嫌な経験が残っていただけ?

なーんだ、気にするだけ無駄な努力に感じてきた。

というわけで、流そう。大した意味もなく「Sai... 」と言われたら、流そう。

そうはいえど、大人になってから(しかも30代後半から)始めたイタリア語では、頭は柔軟に対応してくれないので、「イタリア人が"sai"と言った」→(そのまま直訳で自分が嫌悪感をいだく感覚で受取る前に)「受け流せばよい」→「"sai"を除いて意味を受取る」→会話を続ける、というプロセスが頭の中に生まれる。
頭の切り替えに必要なプロセスは入る。けれど、前より楽に会話を進められるかも?

そんな感じで、完全自己流で納得したわけです。

あくまでも自己流の解決方法ですが、こんなふうに他言語に慣れていくことってありませんか?

私はこれに気づいたからこそ、相方には今まで通り「あのね」「あのさ」と話しかけ続けて相方の恐怖の身震いを誘ってますけどね(人が嫌がることしてるじゃん!)。いつか、相方もわかってくれるのではないかと思って。その前に、相方は「あのね」や「あのさ」の呼びかけが何なのかわかってないと思いますが。

この自己解釈がどこまで通用するかわかりません。でも、言語って本当に面白い。
種類は違いますが、友人にクレオールやピジン(国境言語や国境沿いの独特の方言)を研究する教授がいます。本当に面白い課題を生涯研究として選んでいるなーと思います。
私ももっといろんな言語を学んでみたい気持ちもありますが、、、私の人生、どこまでできるかな。
自分の中では、ずっと漠然と学びたいなと思っているスペイン語、ヨガの勉強からつながるサンスクリット語、スペインから派生してカタルーニャ語を学びたいなぁなんて夢を抱いておりますが、、、。






Monday, 17 February 2014

受け付けない外国語フレーズ (言葉について思ったこと その1)

母国語以外の言語を成長してから勉強して、会話で使うようになって、「この言葉だけはあかん、使いこなせない」というもの、ないでしょうか。
母国語話者だからこそ、身体に染みついてさらっと使えるけれど、後から一生懸命記憶しつつたたき込んだ身体には、そのフレーズの感覚が細胞まで染み込まないもの。

私にとっては、英語を話すようになり気づいたのは、相づちのように入る「you know」であった。
「ご存知のように」であったり、言葉の意味そのままで使えるときはよい。
既に成長した脳が記憶力を駆使して覚えた言語だから、覚えた方法に近い状況ならば受け入れやすい。
でも、たとえば、話者が言葉を思いつかず「ほら、、、あの、、、」と思い出しながらしゃべるときに使ったりする「You know,,,」などは、そのまま言葉の意味を直球で捉え過ぎてしまっていた。
後から続くフレーズの内容が実際に私の知らないことだったりすると、「知らんもん、そんなの」と心の中でつぶやく。
用法の変化球が効かない。直球ストレートのみしか受取れないのだ。

これ、いつしか克服した。あんまり考えないようにしたのだ。要は、訓練の結果、変化球も打ち返せるようになったのだ。

そして今、イタリア語を話すようになって、嫌に耳障りな言葉がでてきた。相槌のように使う「sai」である。
最初に気になるなーと思い始めたときは英語にリンクして考えなかったけど、ある日「こりゃ、英語の"you know"だ!」と気づいた。その通り、イタリア語の「(tu) sai」は、動詞 sapereの二人称単数現在形。だから、直球ストレートの意味は英語の「you know」なのだ。

いずれにせよ、このフレーズに私は敏感に反応してしまうらしい。

イタリア人に簡単な質問「今、何時?」「お母さんはどこにいるか知っている?」など聞くと、「Sai che non lo so. 」という回答が返ってくることもしばしば(sai cheがつかないことも多いけど)。
「知らない」と答えているのだけど、ド直訳すれば「(私が)知らないことを(あなたは)わかっている/知っている」ということなのである。
イタリア語の本はあまり読まないので、本当はこのフレーズは疑問文で「知らないんだけど、、、(わかってもらえる?)」と言いたいのかもしれないなど、想像したりもするけど、この想像するのが面倒なので、やっぱり私はこれが嫌いらしい。

そして得意げに「Sai che .... ?」と始まる会話も多い。直球ストレートで捉えると、「…を知ってる?」というものである。
しかも、ほぼ私が知らないことを前提にして聞かれる内容なので、「知ってる?って聞かれても知らんがな、、、」と何となく肩を落としがちに聞いてしまうのだ。

実際、なぜ私がこのフレーズにこれだけ嫌悪感を抱くのか。
ある日思いついた。
日本語でも「○○って知ってる?」と聞かれて、知らない場合に「知らない」と答えると、「えぇーーー! 知らないのぉー?」といった仰々しい反応する人がいなくもない。私の友達にはいる。
これが小さい頃から嫌なのだ。「知らない」ことが恥ずかしくなってくるような言い方をされるから。そして「知らないことはそんなにいけないことかい?」とある日気づき、「知らなくってもいいじゃん!」と言い放つようになった。いや、これはトゲトゲしいよねぇ。こんなに言い放つことはなかったかな。

段々と、言いたい人には言わせておこうと、「知らないもんは知らない」と開き直るように、そして気にしないようにしていたけど、この気にかかるフレーズは、使い方の違いはあれど、外国語でも嫌悪感を抱くようになってしまったのだ。

英語の「you know」は使っているうちに「あまり考えないようにしとこー」っと気楽に考えて克服し、イタリア語の「sai」への嫌悪感は、つい先日起きたあるきっかけから克服しつつある。

その切掛けとは、、、。長くなるので次回に。

Sunday, 16 February 2014

自由は遠からず、、、かな?

昨年の春にようやく手続きを終えて手にしたイタリアの運転免許。

「徒歩圏から脱出だ! あたしゃ、自由だ!」なんて意気込んでいたのは、イタリアに住み始めてすぐに身動きの取りづらさに激しく心も身体も抵抗していた頃。

いざ、2年半くらい経ってから免許を手にすると、「まぁ、そのうち、、、」なんて、運転もしないまま情けない状態になってました。

・相方の車のギアチェンジが硬過ぎて変えづらい
・相方が忙しくて、練習につきあってくれない
・天気が悪いから今日は運転したくない

とまぁ、あらゆる理由をこじつけ、数ヶ月放ってしまい、昨年9月。
突如、私が車の運転を覚えて何とかしなければならないという用事が発生することに。
急ぎではなく、追々はひとりで運転しなくちゃ、という状況。週に一度の用事なので、当面は相方に迎えに来てもらうことにしていた。

その2週間後、、、。

相方の車、廃車。チーン…

幸いなのは事故を起こさなかったこと。弟の家に行って、さぁ帰ろうと思ったら、エンジンがかからなくなった。
知り合いにみてもらうと、修理にはかなりお金がかかる部分が壊れているとのこと。ときどきあるアホみたく安い中古車が買える価格である。
他にも壊れているところはたくさんある。
なので、そのまま廃車に、、、。

というわけで、私が運転することはほぼなく(イタリアに来た当初にスーパーの駐車場で一度運転したくらい)車はさよーならー。

そして私たちには車を買う経済力もなく、数ヶ月が経ち、、、。

義母が新車を購入! 古い車が私たちに来た! やたっ!

前置き長かったですが、数週間前にその車が私たちのところに来て、やっと私は重い腰を上げて練習することに。
実際、私はいつでも練習できるけど、腰がもっと重いのは教官役の相方ですけどね。

今朝初めて「練習は昼ごはんの前か後か、どっちがいい?」と聞かれた。
なんのこっちゃ?と思ったら、運転の練習という意味らしい。お、この腰の重い相方のやる気をそぐと、次がいつになるかわかんないぞ、と思って、今日のランチ後に練習に行くことに。

練習場所は、ランチ直後で空いているスーパーの駐車場か、工場地帯。
日曜日なので町外れの空いているスーパーは時間帯を選べば人が少なく、工場地帯はイヌの散歩を除けばほぼ無人。

義母の車、ギアチェンジらくらく〜。そうだよ、これが普通だよ。

でも、日本にいるころから運転なれしていない私。免許を取ったのも割と遅く20代半ば、マニュアルの免許だけどマニュアル車は教習所のみ。車を運転するのは実家に住んでいるときのみ。しかも近所だけ。遠くても、100キロも先に行ったことはなく、、、。

そんな私は、スーパーの駐車場へ移動する間、助手席に座りながら運転モードの頭に切り替えてみたけど、咄嗟に思ったのは「なんで右側の車線なんだ?」って当たり前のこの国の運転事情をわかっていないとんちんかんなこと。緊張してるらしい。

さて、いざ運転してみると、とりあえず走るものの、ギアチェンジはとんでもなくぎこちない。
ミラーなんて見てらんない。STOPの表示に従うのに必死。
かっこん、かっこんと前後しつつ運転するので、隣に座った相方は気分が悪くなるほど。
普通の道路デビューはいつになることやら、、、。

でも、これは自分で好きなところに行く自由への第一歩だ!とばかりにがんばった!
自由への道はまだまだかなぁ。

日本から誰かが遊びに来た時に「うちの辺りは公共交通事情が悪いから、夜は出かけられないよー」といわないですむことが目標。お客さんを乗せて近所でもいいところをご案内したいのだ。
だから、がんばるよー。

5月に従兄夫婦が来る予定がある。そのときまでには、、、何とかちょっと遠出ができるほどの勇気と安全運転ができていますように。

今日の練習を終えた後、相方の一言。
「運転は大丈夫だと思うけど、イタリア人を信用するなよ」と。
そうね、ありがたいアドバイスかも、、、。

Tuesday, 11 February 2014

またひとり、そしてまた、、、

イタリアのニュースによく出てくるのは、若者の失業率。昨年の秋頃には若年失業率40%越えなんて数字も出て、「若い友達3人集まったら、1人、2人は失業中なのか」と想像して驚いてしまった。
確かに、私の周りにも若年に入る人、それ以外の人も含め、失業した人は多い。

そんななか!
驚きなのは、私のヨガの生徒さんたちである。
現在3カ所で行っているグループレッスンのうちのひとつ。市の施設を借りて9月スタートさせたクラスがある。
今年で2年目。去年は初めてだし、自分が住んでいる市ではないこともあって、知り合いばかりで生徒さんも少なかったけど、今年は問合せの電話もあったり、去年以上に生徒さんが集まってくれている。
9月からスタートし、大学生は学業が忙しく来れなくなり、10月に入ってからもう1人「仕事を見つけたから」と来れなくなった20代の女性がいた。

ええじゃないの、この失業率が高い中、仕事を見つけたっていうんだから、これは喜ばしいことさ。
「がんばってね」と送り出した。

また数週間経って、別の20代女性が、「来週から新しい仕事をするから来れない、残念」と。
でも彼女はどうしてもヨガを続けたい、と別の場所で開催している私のクラスに来てくれるようになった。

そして、11月半ばには私が日本に帰ったので長い冬休み。

1月になりクラスを再開し、前年度からずっと来てくれている人が(私より数年年上の女性)、「昨日面接を受けに行ったら受かったの。明日から試用期間だからヨガに行けなくなっちゃった。(仕事が)ダメだったらまた行くけどね〜」とメールをくれた。

あらま。しばらくフリーランスで働いていて「いろいろ大変だー」と愚痴を言い合った中だったけど、また喜ばしいニュースじゃないの。
こちらも「がんばって〜!」と送り出し、、、。

その2週間後。
また別の20代の女性が「仕事が見つかって、来週から始まるの」と。
ひゃー。4人目!
「あなたで4人目よー!」と伝えると、彼女も「クリスティーナ(3人目の人)は知ってたけど、他にもいたんだ〜」とびっくり。

Ci porti fortuna! (あなたは幸運を運んでくれる!)と言われた。うふふ〜。

そして今朝。
手足が長くてすら〜っと背の高い、今年のメンバーの唯一の男性から携帯にメッセージが。
「残念だけど、新しい仕事が見つかって、もうヨガクラスに行けなくなった」と。

出た! 5人目!

まさか、、、まさか、、、私って招き猫の化身になったのか?
いや、招き猫は千客万来のためだから逆だ。幸せを運んでくれるのは、、、? 福の神? ドイツのブタさん? 馬の蹄? 四つ葉のクローバー? あとは何だ?

次はこの男性の彼女(失業中)が仕事を見つけるんではないか、、、? そうなったらすごいぞ。

そんな話をすると、「稼ぎが減るじゃないか」とでも言いたそうに「来る生徒が減ったんでしょ?」と私のことを心配する人もいる。
これも否めなくはないけれど、そんなことより、この厳しいイタリア社会情勢の中、仕事を見つけたというニュースを聞く方が何倍も嬉しいことか。

唯一昼間に開催しているグループレッスンなので、来てくれるのは自営業、シフト制の仕事の人、引退した年金暮らしの人、あるいは失業者。
さー、次のいいニュースは何かなー。誰かなー。