Saturday 27 April 2013

お葬式の後に思うこと


前々回前回のスペインで参列したお葬式の続きです。
いつになく、真面目なことを書いちゃおうかと。

去年の8月の終わりに、ご夫婦そろって私たちの街に遊びにきてくれました。
相方の家族とこちらの家族が出会ってから約30年。ほぼ毎年、夏になると遊びに来ていたのですが、奥様の病気が発覚した一昨年はそれがかないませんでした。
去年の夏は治療にいったん目処がつき、元気を取り戻していたので、夫婦揃って「世界で今一番落ち着くところに行きたい」と言って来たのがこの街。

毎年ここに遊びに来ると、相方マンマ宅に数泊して帰ります。その間、本当に特に何もしないんです。わざわざ出かけたりすることもなく。朝食を食べて散歩とバールでひといき、昼ごはんを食べてシエスタ、読書して夕食。夕食後は畑の小道を散歩して、夜はゆっくりとおしゃべり。まさに、ゆったり滞在。

大概は、自分たちの旅行の最後にゆっくりするために寄ってくれる(旦那様は運転できないので、奥様がバルセロナからどこまででも運転する)ので、本当にゆっくりするために来てたんだろうなぁ。私たちの結婚式の前に遊びに来たときは、ギリシャからの帰りでした。結婚式も車で12時間かけて来てくれました。

私たちが結婚してから、相方の仕事もあって私たちがバルセロナに行く機会もあり、互いが行き来して年に2回は会っていました。
私はこの友人とは英語で話していましたが、少しずつイタリア語を覚えてからはイタリア語を交えて話すようになりました。
一昨年の夏、当時イタリアに住み始めて1年足らず。私の気持ちの浮き沈みはもちろんあり、沈みの方が多かったほど。主な原因はコミュニケーション。それがなぜか、バルセロナに行って友人とイタリア語を交えて話していたら、「あら、イタリア語会話が上達してる!」ってブレイクスルーを感じました。

彼女は私にそうしようと意図したわけではないと思うけど、私は彼女を切掛けにブレイクスルーがあって、その後すすすっと言葉が出てくるようになったのです。
会話が出てくるようになれば、あとはハートをオープンにするだけ。それまで自分でおかしいと思うほど引っ込み思案になっていたけれど、本来の自分を取り戻す切掛けを与えてくれたのはこの友人だったと思っています。

いつか何かお礼がしたいと考えつつ過ごしていた夏に遊びに来てくれて、療養中の彼女のリクエストもあって、滞在中にリストラティブヨガのレッスンを何度かしました。
一般的なヨガのエクササイズでも何らかの運動でも、身体を動かして交感神経が活発になるのが人間の通常の反応。でもリストラティブヨガは、無理なく身体を伸ばしてポーズをとって、副交感神経に働き掛けてリラックス効果とエネルギーチャージを促すもの。だから療養中の方にはぴったりなのです。
彼女にとっては初めてのリストラティブヨガだったし、普段はせかせかと留まることがない人なので、身体がうまく受け入れてくれるか不安はありましたが、とてもリラックスしてもらえて、後からとても良かったと言ってもらえました。
ちょっとこれでお礼ができたかな。

このご夫婦曰く「世界で一番落ち着くところ」に住んでいる私ですが、私にとってはまだその思いにはいたらないまま過ごしてます。



実家に住んでいた頃にいつも利用していた駅前に葬儀屋があって、学校帰り、仕事帰りは毎日黒い服の人たちが葬儀屋の前で列をなしているところでバスを待っていました。1日に何件も重なることもあるので、相当な参列者数になります。
自宅まで行く道のりにも大きな墓地があって、ここでも毎日のように葬儀をしています。
自分が結婚式に出席した帰りであろうと、友達に子供が生まれたというニュースを聞いた日でも、同じときに誰かが誰かを見送っているわけです。
世界中のどこかで命が生まれ、誰かが家族友人の冠婚葬祭に立ち会っているということですよね。
私が都内に住むようになり、駅前の葬儀屋もバス停も駅前開発で少し移動して、喪服の列をみる機会が少なくなって忘れてましたが、葬儀の後の墓地でバルセロナの空を見上げたら、私がどこにいても、私の周りで命は生まれ変わっていくんだったな〜って改めて思いだしました。ちょうどそこに生後数カ月の赤ちゃんがいたからかもしれない。

今、住んでいるところは「世界で一番落ち着くところ」にはなっていないと書いたけれど、これも自分の見方次第なのではなかろうかと思ってます。
そう思ったところで、これも「ブレイクスルー」がないと心から実感できないのかもしれない。
何が切掛けでブレイクスルーがあるかわからない。でも、感じ取れるよう、ビビビッと敏感になっとかんといかんな、と思う今日この頃。

こういうことに気付かせてくれたこの友人にまた感謝、なのです。

バルセロナの夕日 2011年7月

そして、そして、そして、、、。
友人が亡くなった連絡があったのは月曜の朝。日曜の昼過ぎから容体が急変し、日曜から月曜になって2時ごろに静かに息を引きとったと聞きました。
とても不思議なことですが、ちょうど日曜日、彼女のことを考えてたんですよ。
状態が思わしくないことはしばらく前に聞いていたので、彼女のことがよく頭に浮かぶのは私も相方も同じ。ただ心配だから。会いに行きたくとも、今は大変だから控えて欲しいというご家族の意向もあり、遠くから心配して回復を願うだけでした。
でもこの日曜日に彼女のことを考えていた理由は、私の身体が動かなかったから。
とんでもない疲労感に襲われて、午前中は重い身体をひきずってある程度の仕事を片づけ、午後からひどくなり昼ごはんを食べて片づけもせずにベッドに入って寝てました。こんな疲労感は初めて。何もしてないのに!
彼女に病気の診断がされる前、ちょうど私たちはバルセロナに遊びに行ってお世話になり、彼女たちもこちらに遊びに来ていました。「とにかく疲れがとれなくて、めまいがして」と訴えていたのを覚えてます。(最近は見かけなくなった)磁気ブレスレットを一緒に買いに行ったりも(笑)。
だから、この疲労感を感じながら「あぁ、あの人は毎日この疲労感と戦ってたのだろうか」と考えていたのです。
夕飯は、相方があまりにも心配するので、少し無理をしながらも起き上がって食事をし、その後もまだ寝れるだろうか?と頭で考えたけれど、ぐっすり。
翌朝は前日ほどの極度の疲労感はありません。よく寝たからということもあるでしょう。
そして、朝早く、相方マンマから電話があり訃報を聞きました。

何だったのでしょ? あの極度の疲労感。時間的にも彼女の容体が急変したのと、私が疲労感に耐えられなくてベッドに入ったのは同じくらいかと。

いや、何でもいいです。彼女が私のところに来ていたのならば、来てくれてありがとう、そう思ってます。

うーむ、それにしてもちょっぴり考えてしまう。何だったのでしょうかねぇ。

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